i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

長いまつげとブラック・バス

南が小学5年生の時のお話。

 

 

南とバス釣りにいくことになった。

以前からいつか一緒にバス釣りに行こうよと、南にせがまれてはいたもののまさか現実化することはないと確信していたのに。

約束の日に南のおとーさんに急用が入った。

 

父親の代替運転手としてダーツの矢が私に当たったのだった。

南は大張り切りで、つぎつぎと必要な道具を素早く車の後部に積み込んでいく。

 

「学校の準備もこのように手際よく出来たらね」と皮肉を言うと

「釣りは頭と運動神経を使うからそれとは回路が違うんだよ」とわかったような返事をする。

 

おなかがすいたら食べなさいと、南のおかーさんが渡してくれたオカカのおにぎりを出発してすぐにほおばりながら、これから行く湖の虫や魚について細かに説明をしてくれる。

いつどこで覚えたのか、細かい種の生態や名前の由来などが次々に出てくる。

南のその豊富な知識には感心させられることばかりだ。

 

父親といつも来るという場所に、わかりやすく車を案内してくれる。

 

 

「ばーばも釣るんだよ」と言いながら、

「えー、見ているだけじゃないの」としり込みする私を無視して、慣れた手つきで細いラインをあやつり、あっという間に仕掛けを作ってくれる南の手際に改めて感心をする。

 

 

「ばーばは女性だからこれかな」と色鮮やかで様々な美しい形をしたルアーの中から、黄色や赤やブルーに塗られたものを一つ選んでくれる。

「こんなのおもちゃみたいなのにバスはくるわけ?」と怪訝そうに尋ねる。

「そうだよ。バスは美しいものが好きなんだよ」とバス釣りの準備が楽しいのだろう、満足そうにに笑いながら応える。

 

「その手際の良さは見ていて気持ちがいいわね。男の子になったねって思うわ」と伝えると

「そうなの」と南は首を傾けて気にも留めようとしない。

 

 

かみ合わない会話をよそに投げ方を教わり、水草の繁る隙間からサオを投げる練習をしていると、突然ウキがズンと沈んだ。

 

 

 

練習中の無心の竿に、バスがかかった。

こんな簡単に釣れるものなの?

 

 

バスの怒りと悔恨の強い引きは、私をあたふたさせる。

 

 

跳躍の様子を見て南は歓喜の声で

「やったね、ばーば。これはきっとでかいから、すぐにはあがらないよ。落ち着こうね」とニコニコして叫ぶ。

「えー、どうすればいいの」

私もバス同様に未知の世界の中に引きずり込まれ、不安満載でどうしていいかわからない。

 

 

「引いたらそのままにしておくんだよ。糸がゆるんだらリールを巻いてね」

南はドンと落ち着いている。

「でもどんどん引くわよ」

その間にもバスは釣られてたまるかと跳躍したり潜ったりと否定を繰り返す。

 

 

 

「持久戦だよ。持久戦」と笑いながら南は言う。

「えー、手が持つかしら」と私は少しばかり陰鬱な気分になる。

 

 

「その時は変わってあげるけど、それまではできるだけばーばが頑張るんだよ。じぶんで掛けたものは自分で釣り上げげないとね」

いつもと立場が逆転しているじゃないのと、南の成長は少しうれしいけれど、とりあえず今はそれどころではない。

 

初めて私が南を頼りにした瞬間だ。

 

 

「巻いて巻いて!!」

「疲れてくたびれるまで勝負だよ!」

「ただリールを巻いてもだめだよ。糸の情報に集中して!!」

「泳がせて!!」

「巻くときはていねいに素早くね」

「泳がせてるときは、ただ泳がせてもだめだよ」

「がまんだよ。がまんだからね」

「はい、いまだよ。いま巻いて!!」

「ばーば、がんばって。俺がついてるからね!!」

 

 

次から次にいわれるがままに、糸を伝わる情報のやり取りに集中し、竿とリールを動かす。

傾きかけた初秋の空の青さや、水面のまぶしさや、途中で南が掛けてくれたサングラスのことなどすべて忘れて。

 

手の疲れに“愚行”を呪いながら、本物の「集中」を経験する。

 

 

10分ほどたっただろうか、時間の経過もわからないうちにあっぱれ、バスを岸辺にたぐりよせる。

南が慣れた手つきで網を使って疲れたバスをすくいあげた。

40cmちょとだねと言いながら、南は私の携帯を手に取り何枚も写真を撮る。

 

「やったねばーば、大物だよ。がんばったね。すごいね。えらいねばーば」

長いまつげを光らせながら、私の腕をさすりさすり自分のことのように喜んでくれる。

 

久しぶりに人に褒められたのと、南がこんなに喜んでくれることにうれしい私。

 

 

「永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい」と中国古諺から開高健が引用していたのを思い出し、その通りだと感心したものだった。