6年生もすでに半年過ぎた南は、相変わらず男子特有の幼さが抜けずにいるけれど、たまに発する言葉に感心することも増えました。
南が学校から帰ってきてすぐに、
ブラジルが「世界の肺」とよばれるアマゾンの熱帯雨林開発を行っていて、世界中が止めようとしているけれど、お前たちだけ発展してうちだけやめろというのはずるいじゃんと反発し、やめようとはしません。あなたたちはどう思いますか?
みたいな授業があったことを説明してくれます。
先日、なぜこの間行った街の中の焼き鳥は、自分家の近くの焼き鳥屋よりもべらぼうに高いのかという疑問を南がおとーさんに投げていました。
おとーさんは、街の中の土地はとても高いので、それは焼き鳥1本にのっかってくるのだよ、と原価のありかたから南に説明をしていました。
そして今日、彼の頭の中で街中の焼き鳥屋とアマゾンの熱帯雨林がリンクします。
ブラジルもそうだけど、どうして酸素をうみだす森よりも、街の中の土地の方が地価が高いのか?
という問題に行きついたようです。
そんな話の詳細を、おやつのドーナツを砂糖と一緒に口の周りにつけながらしゃべられても説得力に欠けるのですが、冷静に考えると彼の説にも一理あります。
南がランダムにいうことを理路整然と並べ替えると、
手つかずの自然が地球のバランスを保っているのであれば、そこに一番高い価値をつけるべきではないのか?
そして、アマゾンの森林などは世界一高価でなければならない。
となります。
でも現実はそうではない。
なんで?、どうして?、大人の価値観はおかしいのか?
南の意見によって、クラスの中も葛藤したようです。
「よかったじゃない、答えのでない勉強ができて」とほめると
「そーなのかなー」と南は納得がいかない様子。
そういえば、私の実家の山々は二束三文で、いまだに誰も取引に応じてはくれません。
二酸化炭素を摂取して酸素を排出し、川や森は生き物のベッドとなり、数種のチョウや虫たちが飛び、川には多種の魚が泳ぎ、見えない菌類がたくさんいて大きく自然サイクルの維持に貢献しているのですが、いざ売るとなるとなんの評価もしてもらえません。
むかし、山を売った場合の価格をおじいさんが業者に訪ねたところ、有効活用には不向きだと言われました。
その話を聞いたそのころ小学校の高学年だった私は、すぐにカチンときたのを覚えています。
有効活用????
キノコやザリガニやバッタやタガメや、おいしいお米とたくさんのお野菜もとれて、秋は色づいた葉っぱを拾って押し花にできるうちの山々が、この世で全く意味のないものとして否定されたように思ったのでした。
そんなこともあったのよと南に話すと、
「ばーばは、そのときは大事な山を家族ごと否定されたように感じたんだね。土地の有効活用というのなら『そのままが一番です!!』っていえばよかったね」
と、優しく的確に私のはなしに寄り添ってくれました。
南はドーナツを食べるのは下手だけれど、心は正しく素敵に成長してくれてるんだなと、しみじみ思うと気持ちがていねいになり、「ありがとね」と言って南の頭を撫でまわしました。
そんな態度にもいやがらず、ニコニコしながら、まだじっとそのままにさせてくれる南にはおおいに感謝しています。