南が9歳・3年生の時、通知表をもらってきたときの会話です。
南 みゆちゃんはね、よくできるばっかりだったよ。
私 あら、それはすごいのね。
南 かい君はできるばっかり。
私 それもいいわね。
南 どうして?
私 よくできるか、できないかでいいのよ。
南 できないのがあるのはマズイんじゃ。
私 できないことばかりじゃまずいけど、よくできるが1つ2つあればいいって。
南 全部がんばらなきゃだめなんだよ。
私 全部がんばったらつかれるわよ。
南 えー、そーなの。
私 大人になったらね、ぜーんぶできるひとなんていないのよ。できないところはそれぞれ得意な人がカバーするから大丈夫なの。それより何もかもフツーで、何も得意なもの、これなら任せてって言うのがない人は、これからの世界は困っちゃうと思うの。ソフトバンクの周東選手はバッティングと守備はまずまずだけれど、足が速いことは誰にも負けないから日本代表までになったのよ。
南 だって先生やおとーさんは努力しなさいって言うよ。
私 だから、その努力を全方向にもっていったら効率が悪いでしょ。
南 効率って?
私 得意なことに集中して時間をムダにしないってこと。
南 じゃあ、おれはソージはしないでほうきで素振りしてようかな。ねっ、時間の活用だよね。
私 それはダメよ。あいさつと掃除はすべての基本だから、どちらもできないと自分の才能は生かせないのよ。
南 そうか。あいさつとベンチが汚いとうまくならないぞ、弱いチームと相手から見られるぞって監督に言われる。でも、うちはきれいにしているけど弱いよ。
私 ちがうわよ。きれいにしているからって、すぐに効果が現れるものではないの。今は弱くてもそれを基本にこれからうまくなるのよ。
南 道具も大切にしなさいって、監督やコーチから言われる。
私 そうね、それもスポーツをやる上で基本よね。
その教えを南が家に持ち込んだのは5年生になってからのこと。
それまでは、どうやって脱いだらこうなるのかと、想像がつかないくらい乱雑な靴の脱ぎ方をしていた南が、少しでも靴が揃ってないと家族みんなの靴を揃えて上がってくるようになる。
最初はチームでいやいやさせられて、怒られながら整頓するうちに、数年かかって善き習慣として彼の精神に根付いたのだろう。
知らないうちに、整頓しなければ気持ちが悪いようになったようだ。
感謝しなければ。
ただ、グローブの手入れと、ちょっとでも放置すればゴミ箱と化すバッグの中身の整理は、おとーさんに注意されないとまだまだできない様子。
さらに、自分の部屋と机の上の節操のなさはワールド級だ。
「はじめの一歩」だけは左から昇順に全巻きちんと並んでいるのに。
玄関の靴と南の部屋の整理整頓における温度差は、真夏の陰ひなたほどにもなる。
このバランスの悪さをよしとしている南の精神状態は計り知れない。
やりたいことを自由にやり続けると、このような部屋になるのだろうということは、わからないでもないが、ほおっておくとどこまでやり続けるのかの想像がつかない。
未来は想像に難くあまりの汚さに耐えかねて、月に一度ほど南とおかーさんと私の3人で一緒に整理する。
かたづいた数分後には、決まって「ほーら整理したからどこに何があるかわからなくなったじゃん」と南が文句を言う。
「そんなことは、背筋を伸ばして自信ありげに言うもんじゃありません」とおかーさんに怒られる。
それを受けた南が、次の瞬間にはいつくばって悲しそうに同じ言葉を発する。
それを聞いた大人は、南にかたづけの話をしても当分は無理なことを悟る。
2人で南の能力の無さにあきれながらも、「まあ、これで部屋がかたづきすぎても、南の性格からして、どうかしたのかと心配にもなるわね」と、話をいい方向にもっていきながらおかーさんと慰め合う。
そして最後には、かたづけている最中はどこかゆっくりできて、心の中を落ち着いた時間が流れていくように思えて、このような時間も悪くはないわ、と達観し安心してみて毎回の片づけは終わる。