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ばーばと南 + Run&Music

子どもの教養や情緒を育むのは読書から。

読書を子どもに勧める場合、世にいう名作を大人は読ませたがる。

私も含め、うちの家族たちも例外ではなかった。

でも、その名作が名作と言われる所以の力を万人に発揮するかというと、そうでもなかったりするのだ。

 

子どもにも合う本、あわない本、子どもが好きな本、嫌いな本がある。

名作シリーズを購入して与えておけば読書好きになるかと言ったら、そうでもないようで。

 

それは、私の経験からもいえること。

 

子どもたちや孫たちに、私が良かれと思った本を読ませようとしても、全く面白がらないことは往々にしてあった。

 

だからといって、えーっ、どうしてこれの良さがわからないの、わからなくてもいいからとりあえず読んでごらん、みたいなおしつけはしないほうがよい。

そんな時は無理せず、いつの日かその日が来ることを期待してそーっとひっこめる。

 

 

大人だって名作にすべて感銘を受けるものではないのだから。

 

 

かくいう私は、夏目漱石「坊ちゃん」については、何が面白いのかそのよさがわからなかった。今でもきっとわかっていない。

 

でもそれがわからないと周囲に伝えることが恥ずかしく、さもわかったふりをして過ごしてきた。

ただ、いわれるがままに、いやいや読んだだけ。

名作だからという理由で。

 

おそらく私と同じような経験のある人はたくさんいると思うのだけど、ちがうかな。

そして、それはそれで大変に不幸なことだと思う。

 

 

逆に、三島由紀夫金閣寺はその筆力にただただ圧倒されながら、私などは思いもつかないような表現にマーカーで線を引きながら読んだ。

絵本ではあるが、「泣いた赤鬼」には孫たちと一緒に感動した。

 

裏表紙に最初の孫の名前が書いてあるその絵本は、代々従妹同士で受け継がれ、今は南の本棚にしまってある。

 

 

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名のあるものにこだわらず、子どもが興味のあるものを提示してあげれば、子どもはその世界をいろんな角度に幾重にも重ねながら、大人の想像以上に広げていくものだ。

 

我が家ではマンガも頭から否定するものではない。

南はいま、「はじめの一歩」を毎日読んでいる。

 

この間まで読んでいたゴールデンカムイ「チ」は、最初は難しいかなと思っていたけれど、子どもの理解力は洗車の吸水クロスなみにすごい。

わからない事を調べながら、どんどん興味を広げていくのには驚かされた。

 

読後も、北海道の地理的なことに興味を持ち、アウトドアの食事作りや、アイヌの歴史、オオカミの習性や天動説を、ネットやYouTubeなどで調べ、それらに関連する本を次々に読んで、さらに知識を広げ、深めていく。

 

いや、彼は知識を深めようなどとはこれっぽっちも思っていない

ただ、ただ興味がある方へ進んでいるだけだ。

 

 

そのようにして自然と興味を広げながら知識を習得していき、その過程において磨いた自分の考えをちがうシーンで披露してくれる。

南は学校の図書館も駆使する。

 

今や彼の興味は、天動説の周辺情報から、それを調べる過程で興味を覚えたヨーロッパの歴史にすり変わっている。

 

「ばーばこれ知ってる?、あれ知ってる?」と聞いてくるので、私は彼のスピードついていくのに必死だ。

隠れてコソコソと付け焼刃の知識を得て、その場をしのぐ。

 

 

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大人の仕事は、子どもが興味を示したら、スポーツでもなんでもどんどん接していける環境をつくってあげることだ。

これをしなさい、こうしなさいみたいな押しつけではないと思う。

 

その後、その世界を広げるも子ども次第、どんどん深めるも子ども次第。

 

 

この基礎になるのが、学校での勉強だ。

学校で習うことは、一見薄っぺらで、表面的のように思える。

歴史なんてその最たるものだ。

 

それでも、それを知っていると知らないとでは、わからないことや興味のある情報に触れたときの瞬発力が格段に違う。

学校の勉強は跳び箱を飛ぶための踏み台のようなものだ。

 

 

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学校での学力を支えるのは、塾ではなく読書に他ならない。

だから読書は食事と同様に、毎日行うものであると考える。

 

南は、学校の勉強の時間よりも、野球の練習よりも、食事の時間よりも圧倒的に読書の時間が長い。

南の読書の時間に勝るものは睡眠時間のみ。

 

ただ、それは大人が強制的におしつけたものではない。

 

 

1歳になる前から、興味を示す絵本を次々と見せたり、一緒に読んだり、おかーさんが毎晩、毎晩本を読んで南を寝かしつけていたら、今では車に乗り込むときは、数冊の本を持ち込んで、目的地に着くまでずっと読んでいる。

 

本人曰く、「三半規管がバグっているので酔わないんだよ」とのことらしい。

 

最初に気に入った本は「カーズ」の絵本だった。

 

字は読めないが、何度も何度もページをめくって絵を眺めていた。

そのうち字が読めるようになると、詳細な「カーズ」の本を欲しがるようになり、それがボロボロになるまで読み込んでいた。

そうこうするうちに、従妹たちのお下がり本も含め、南の本棚にはたくさんの絵本をはじめ様々な本が増えていった。

 

私や親もいっしょにそれらの本を読み、その内容をともに話す時間を持った。

 

 

南は読書を通して、いろんなことを知る習慣が身についていったのだと思う。

いや、本を読んで知らない事を知る、ということの面白さがわかってきたのだ、と言ったほうがいいのかも知れない。

 

今や、常に彼の神経の数本は、野球と同様に、本につながっている。

 

 

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6年生にもなると、LINEやゲームで何時間も友達とやりとりをする子どもたちが多いと聞く。

 

南の親も私も、南もスマホは中学までは必要ないと考える。

それよりも友達と遊んだ後は、読書とストレッチと野球の自主練と、先取りしている中学の勉強に時間を費やすことが、今の彼には重要なようだ。

 

優先順位を決めて、それを実行にうつすスキルは、大人になる前に獲得しておくべき大事なことだ。

 

 

読書の1ページ1ページの積み重ねの貯金と、読書をする習慣、そして家にある数百冊にも上る彼の本、そこから醸成された教養や情緒や優しさは、何物にも代えがたいものだと思う。

 

南には、この習慣を絶やさず続けていってほしいと思う。

それは親が口やかましく言って成るものではない。

中学生までは、親も一緒の時間を作って同じ環境に身を投じることで、親も子も読書の習慣が身についてくのだろう。