本日は憂歌団をガーミンに入れて走ってみた。
RUN 6km+ウォーキング=1時間。
さすがに「ゲゲゲの鬼太郎」は走っているときの気分に合わず、次へと飛ばす。
憂歌団って名前は最高。
秀逸のコピー。
1975年、デビュー曲の「おそうじオバチャン」は、差別的な歌との理由で放送禁止になる。
なんかね、目くじら立てるほどでもないじゃん。
せっかく日本のブルースができたっていうのに。
新たな日本文化の創世にそんな扱いなんて、大人は何もわかってない!!。
そんなことでぎゃーぎゃー言ってたら、
全編裏切りと報復と嫌がらせだらけの「平家物語」なんか禁書にならなきゃいけないでしょーが、と若気の至りで激しくいきどおっていた。
そしてその当時、なに?床暖?と本気で私に聞いた男子がいた。
どうせゲゲゲの鬼太郎だろ、と吐き捨てた男子も。
ローリング・ストーンズなんか知らなくても生きていける、と強がった男子とともに、
「ホンっとに、何もわかってない3人組」として感情的になって嫌いになる。
その後、クイーンはアイドル路線だろ、とバカにしつつも、キャンディーズのコンサートに行って涙したことをクラスで意気揚々と吹聴する男子を加え、
「全くわかってないカルテット」として私の中に刻まれる。
狭い心でそう思う私が私が100%悪いのですが………。
☆☆☆
なんといってもこのグループの特異性が好き。
何をうたっても日常のストレスを一掃してくれる 木村充揮の破壊力のすごさは、ヘビー級。
誰がつけたか知らないけれども、「天使のだみ声」というぴったりのコピーを与えられ、誰にも媚びないという点では横山やすしを彷彿させる 木村充揮の狂気を、西川きよし然と、内田勘太郎をはじめとするバックがとにかく落ち着いて支える。
猛獣使い。
寄り添ったかと思うと突き放される臨界点をもった彼の声と、やりたいことしかやらないマーケットを無視した憂歌団のプレイは媚びがなくて好感がもてる。
角松敏生がTOKYOを俯瞰しておしゃれに歌うのに対して、この憂歌団は大阪の長屋の台所まで足を踏み込んで、おばちゃんのパンツの機微までを歌にする。
それも“かっこよさ”からおしゃれ感をとりのぞいた、かっこよさで。
日本でブルースを演じるにあたってのベースを大阪の庶民性に求めた憂歌団は、日本を代表する「軽トラ」同様、誰にもカバーが効かない。
「ゲゲゲの鬼太郎」が憂歌団だったと知った時は憂歌団でよかったとなぜか納得し、この後に鬼太郎の主題歌を歌う人は大変だねと思った。
大阪、いや日本のブルース感を一手に引き受けいている存在感の大きさは、私などには計り知れないまま活動休止。
☆☆☆
YouTubeで憂歌団を見ていると、南が横にきて「おそうじオバチャン」の歌で喜んでいる。
なにより歌詞にパンツが出てくるので小学生としては無条件にうれしいのだ。
そして、真面目な顔で「バッティングもこうでなきゃいけないんだよ」と言う。
バッティングが憂歌団と何の関係があるのかまったく解せない。
またわけのわからない話が始まったぞと思いながら話を解いてみる。
「構えているときは力を抜いているけど、バットを振った時にインパクトの瞬間だけ力が入っている感じ」らしい。
「その感じがよくわからないけど、剣道の素振りと同じかな」と聞くと、
「ボクシングのジャブやストレートもそうだよ」と教えてくれた。
当たる瞬間だけ力を入れないとパンチのスピードが遅いし力も伝わらないんだそうだ。
バットの出し方を覚えるために、おとーさんとボクシングのミット打ちをやっているのはそういうことだったのかと納得する。
憂歌団を見てそう思う彼は、
「全くわかってないカルテット」の何倍もわかっている。
「だったら、相撲の立ち合いやテニスのサーブもそんな感じよね」と同意を求めると、
「そうかもしれないけどよくわからない、だけど学校生活がそういう感じ」と言う。
なんだ、正しい過ごし方をしてるのねと安心する。