私は小学校5年生のころから洋楽に目覚めた。
6年生になると学期が終わり休みに入ると、いとこのイケてるおねーさんの家を訪ねては、そこにあったビートルズをはじめとする洋楽のレコードをひがな聞いて過ごした。
中学に入るとFMをエアチェックするために、英語の勉強はNHKのラジオを聞かないといけないというウソを真顔でつき続け、数週間いい子に過ごして親の印象をよくした。
英語のためならと簡単に折れた親は、不覚にもAMラジオを買おうとする。
あせりまくる私は、番組は録音して聞きなおさなければならないこと、将来はFMで英語の番組があるようなのでFMは必須であることをありったけの英語への情熱でプレゼンし、やっと買ってもらったラジオの中を縦横無尽に楽しむのであった。
もちろん英語の上達は認められないが、歌詞の聞き取りに必死になったおかげでリスニング力はちょっとだけ上達した。
特にカーペンターズはこの能力向上に大きく貢献した。
1970年代は新しいアーチストが次から次へと出てきてヒットチャートをにぎ合わせる。
そしてついていけないぐらいの名盤と言われるアルバムがでるのもこの時代。
どれもこれもに気持ちが動く。
このときほど、早く大人になってお金を稼ぎたいと思ったことはない。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、カーペンターズ、ボブ・ディラン、ELP、
サイモン&ガーファンクル、イーグルス、ドゥービーブラザース、ELO、
カーリー・サイモン、ダイアナ・ロス、アース・ウインド&ファイア、ドアーズ、
レッド・ツェッペリン、バッド・カンパニー、サンタナ、エアロスミス、クイーン、
ザ・バンド、ビーチボーイズ、ブルース・スプリングスティーン、リトル・フィート、
ビリー・ジョエル、ラズベリーズ、オーティス・レディング、パイロット。
キリがない。
限られたお小遣いの使い道をどのアーチストに費やすかが、中学高校での大きな悩みだった。
洋楽好きな子たちが、クラスや男女関係なく休み時間の廊下に集まるようになる。
誰がどのアルバムを持っているかということが、テスト範囲よりも貴重な情報だった。
アルバムの貸し借りができる関係づくりはもっと大事なことであった。
借りる前よりもきれいにして、録音が済んだらすぐに返すことがエチケット。
これを守れないとマナーがなっていないとしてグループから淘汰されるのだ。
LP盤はお互いが重ならないように分散して購入する計画をみんなで話し合う。
そうやってグループでストックを増やしていった。
加えて、女子は笑顔にバラエティを増やし、愛嬌を磨いた。
家では勉強するふりをしながら必死のエアチェックが日々のルーチンだった。
このように日々の涙ぐましい努力が私の洋楽の幅を広げた。
今やYouTubeで聞けない曲はない。
動画や歌詞までついている。
サブスクで音楽は何万曲も聴き放題だし。
当時は想像もつかないことだ。
とてもいい時代なんだなと思う。
☆☆☆☆☆
しかし、私たちの年代になると(年齢は教えない)、タダで手に入れたものから真の情報を取り出すことが難しくなる。
お金を払う動作は商品への執着をうむので、食でも着るものでもカブトムシでも車でもお茶碗でも、なんでもかんでも大事に扱おうという気持ちになる。
だから、amazonのポイントがたまってそれでCDを買うでしょ、そんなときに限って結構ぞんざいな買い物になってしまったりして、その時の気分に合わなかったりすると、悲しいことにそのCDは何カ月もほおっておかれたりする。
なかなか手に入らない情報にお金を支払う行為は、丁寧さと集中力を伴うので、たっての情報として記憶に残っていくのだなと思う。
YouTubeもサブスクもいいのだけれど、食べ放題と同様にありがたさの度合いが感度を下げるので感動も減る。
注意点としては、このリスクに気をつけて情報を拾わなければならない。
でも、若い人たちは生まれつきそうやって育っているのだから、その中でそのスピードで取捨選択をし感動できているのかもしれない。
実際、孫たちは、高速道路を走る車の中から景色を楽しむ動体視力のような情報処理速度をもって、本を読み音楽を聴いている。
あれやこれやと知りたがりの私としては、それがうらやましかったりもする。
しかし私はそのスピードにはついていけずに、若い人たちに比べて処理する情報量は圧倒的に少ない。
濃度では負けないようにしなければと気を引き締めるも、それもどうなのかというと、たいへんあやしいもののようであることに気づかされる昨今である。