学年通信の「あなたたちは天才ではないので努力をしなければいけない」
という一文にキレた数人のおとーさんたちが、
「天才ではないとはどういうことか」
とそれぞれが中学校に文句を言いに行ったそうです。
「天才とは?」
ことばの解釈を南たちのクラスで話し合いをするように担任の先生が促しました。
クラスでまとまった意見は次のとおり。
☆ ☆ ☆
努力なしでなんでもできる人が天才ではなくて、
そもそもそういう人は世の中に存在しなくて、
人の何倍もの努力をするけど、
できない事をできるようになるスピードが人の何倍も速くて
その痕跡を見せないのが天才。
天才ははじめから天才ではなくて、
天才と言われるようになる。
だから、天才になっても努力を惜しむと天才の座から転がり落ちる。
という解釈らしいです。
ついでに
同じことをやってもスピードが遅いけどがんばってたどりつく人のことを努力家と言うそうです。
がんばってもできない人は、それには才能がないのでむいてないというそうです。
がんばらない人はズボラというそうです。
私もそうだと思います。
異論はありません。
みんなで話し合うところが、すごいねとほめました。
☆☆☆
ちょっとした言い間違いが大事にいたる昨今、先生たちも公的文章にうかつなことは書けません。
ことばは未熟なツールなゆえに、真意が伝わらずにトラブルが起こります。
未熟なツールに頼っている私たちはもっと未熟だと思って、より深い言葉の勉強が必要とされます。
一方的に教えるスタンスから双方向にベクトルを変えて、子どもたちと一緒に成長しようとすれば大丈夫です。
がんばれ先生たち。