親戚が教会で結婚式を挙げた。
新築の教会で。
どこも、ピカピカでまぶしいくらい。
案内には〇〇教会において厳かに行うことになった、みたいなことが書いてあった。
私は古い教会を勝手にイメージしていたので、少し違和感を覚える。
私が思う教会の結婚式は、みんなが肩の力を抜いたまま集まって、それとなくはじまり、それとなくバイブルを読んで、アーメンで終わって、それとなく指輪の交換があって、しっかりとちゅーして、よかったねーと口々に祝いあうみたいな、神聖さをそこなわないフランクさを想像していたのだけど、きれいな飾りのついたプログラムを渡されると、何かが違うぞと思い始める。
教会と聞くと私たちはキリスト教のそれを思い浮かべるが、
本来は宗教団体の施設をさすようだ。
となれば、ここはなんなのか?
結婚式場を司る会社の所有物なので、教会風結婚式場となる。
牧師さんは友人のイタリア人のパパ(これには相当驚いた)。
パパは牧師さんではないはずなのだけど。
戻って確認すると、
西洋諸国の顔をして、眼が青くて英語が喋れればだれでもできるアルバイトらしい。
これは神を冒涜する行為ではないのだろうか。
そして、正面にはさすがのキリストも担げないだろうというほど、必要以上に大きいというより、デカいと表現したほうがふさわしい十字架がクリスマスのような電飾に輝いている。
指輪の交換や誓いのキスのときなどに、スイッチで光りまくる。
そこはそっとしておいてほしかったな。
もうこれは冗談なのか、たわむれか?
結婚式のための教会で、
結婚式のためにアルバイトにきた牧師の朗読の中、電飾が走る十字架の前で永遠の愛を誓う二人。
こんな状況でだれに誓うんだって。
もう意味が分からない。
でも、混乱しているのは私だけで、みんなついていけてるようだ。
それはそれ、これはこれで解釈して、素知らぬ顔で写真を撮っている。
離婚が増えたのはこんな結婚式をやってるからだと言いたいのではない。
あまりにも商業主義になめられて、やってることが幼稚ではないかい?
結婚式は”風で行ってはいけないと思う。
新婦のおばあちゃんは十字架に手を合わせている。
それはもはや、”式”ではない。
イベントだ。
イベントは披露宴からでいい。
イベントと式は違うものである。
新郎新婦は想像力を鍛えよう。
ばーばは考えが古いな頭が固いなと、言われてもいい。
これだけはホントにあかんって。
いい大人の所業ではない。
海外に神前結婚式希望の外国人用に張りぼての神社を作り、
ドジャースのファンだからと言って鳥居をブルーに塗り電飾を施し、
アジア人の顔をしたアルバイトの神主が
”お経”を読む中で愛を誓うようなものである。
☆ ☆ ☆
披露宴の料理はフランス料理のコース。
私は肉のレアが苦手なので、焼き直してもらえないかと確認してみる。
給仕の女性は
「できますよ。フランス料理なのでレアなんですよ、よく焼いてきますか。聞いてきますので少々お待ちください」
と言って下がる。
その間、
フランス料理なのでレアってどういうこと?
フランス料理なのにどうして焼き方が英語なん?
フランス料理の”レア”は”ブル”でしょーが。
しばらくの間ご歓談をと司会のおねーさんがいっていたので、隣のお友だちと毒つきまくることにした。
こいつら、どこまでハリボテなんだろう。
と私の悪魔がささやく。
お祝いの席だからねと悪魔をなだめる私。
話が教会のしつらえにまでおよんだところへ、さきほどの彼女が帰ってきた。
「だいじょうぶだそうです。ウェルダムでよろしかったでしょうか」
もう、悪魔はエンジン全開。
ウェルダムではなく、ウェルダンね。
よろしかったでしょうかは過去形なので文法上正しくない。
などと思っても決して口にしないように悪魔をなだめている。
それにきづいた隣のお友だちが
「すいません、フランス料理なんですよね。”ビアンキュイ”だとパサつくので、"ア・ポワン"でお願いします。あっ、シェフにそう言えばわかるわ」
と笑顔で助け船を出してくれた。
さすが才色兼備。
代打サヨナラ満塁本塁打。
呆然とするおねーさん。
これはソフトランディングと言っていいのだろうか。