小銭をいちいち数えて渡すのはかっこ悪いといって、
映画「七人の侍」の黒澤 明監督は、タクシーの支払い時にじゃらじゃらと全部渡していいたそうだ。
全部渡してしまうのは庶民感覚からずれているけれども、ここでいう黒沢監督のいうかっこ悪いという行動の美学を考えてみると、タクシーの運転手や同乗者を待たせてはいけないなど、人の立場に立ってものを考えるところからきているのではないかと思う。
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そういえば、以前私が経験した、これとはま反対の出来事を思い出した。
中央線も歩道もない200メートルほどの直線道路を1/3ほど車で通過したところで、道の真ん中をゆっくりゆっくり歩いている青年がいる。
真後ろについて私の車に気づいたのか気づいていたのか、面倒くさそうに振り返るも全くよけるそぶりなくそのまま歩き出した。
「こいつ、大丈夫か?」と軽くクラクションを鳴らしてみた。
振り向いた青年が言うには、「道路は歩行者優先ですからよける必要はない」と言いはなち、さらにゆっくり歩きだした。
無邪気なのか、バカなのか。
広義の解釈で権利だけを振りかざすことが、集団に迷惑をかけ、それがいかにリスクを伴うのかを理解できていないまま大人になっているので、平気でこんな無防備で自分勝手で稚拙な行動に出ることができるのだろう。
後ろから元気のいい兄ちゃんが乗っている車が来て、
「何ごちゃごちゃいってるんだ。どけ!!」
と一声でこの青年を歩道に寄せてくれたおかげでやっと日常に戻ることができた。
横断歩道は青だからといって、左折の車を待たせながらもゆっくりわたる大人。
混んでいるスーパーのレジで支払い時になって財布を探す主婦。
人のリズムを崩すことに気を使わない人は多い。
意識の幼稚さと身勝手さは、他人に甘え迷惑をかけていることがどうもわかっていないようだ。
自分の未熟さと未完成を認め、多くの人に支えられていることを考えていれば、
自分の命を自分のエゴのために使うのではなく、
コミュニティへ向けることができるようになるのだけど。
どうのように育てば「道路は歩行者優先だからよける必要はない」という解釈が口から出るのだろう。
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三島由紀夫は「葉隠入門」の中で戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしていた。大学にはいると先輩が女郎屋に連れて行って肉欲の満足を教え、一方では自分の愛する女性には手さえふれることをはばかった。
近代日本の恋愛は一方では売淫行為の犠牲のうえに成り立ちながら、一方では古いピューリタニカルな恋愛伝統を保持していたのである。と書いた。
彼の行動は恋愛ではないけれど、このような行動に出てしまうのは普段の鬱屈とした思いの破棄場がないのだろう。
世間を斜めに見る彼には、グチを言う友だちさえいないのかもしれない。
どうみても明るい日常を過ごしている素直な青年には見えない。
彼だけでなく人にはウインドウズのゴミ箱に類するものが必要なのだ。と思い気を取り直して一日を過ごすことにした。