事実と意見は違うものですね。
フランス料理のランチであなたが選んだ料理コースは、あらかじめそれを選ぶように設計されています。
あなたの意志で選んだのではありません。
いや、私が自分で決定したのだから、自らの選択だと言うのは思い込みです。
実はお店側に誘導されているのです。
① Aコース 1,800円
② Bコース 2,500円
③ Cコース 4,000円
ほとんどの人が1,200円に魅力を感じながらも、フランス料理だしねと、意志に反して刷り込まれた後ろめたさで真ん中の②を選択する運びとなる。
上手にヒトの心理を突いてあるのです。
そんな思い込みを意見として、あたかも事実のように押し付けられるのが、教育の現場です。
いい学校へ入ることが社会で生きていくうえでのアドバンテージだ、といった親や周囲の意見は思い込みの過ぎる意見でしかありません。
それは事実ではないのです。
事実は命と同じくたった一つしかありません。
事実は誰が見ても100%そうであることの現象が事実。
意見を事実と思わせて民衆を誘導するのは、マスコミや知識人や活動家に多くみられます。
意見や解釈は個人の経験や教養によって異なりますので主観的になります。
事実は主観的ではなく客観的なものです。
自分たちの正義を振りかざして、武力も辞さないと他国を脅す。
これも自分たちの正義はみんなの正義と思い違いをしていることから端を発します。
戦争も思い込みはから始まっています。
思い込んだ意見は非常に厄介なものです。
事実と意見を混同することは生活においてリスクを生じますので、親も子育て時の思い込みには要注意が必要です。
親の子への愛情でそれは見えなくなるます。
そして突っ走ります。
電圧がかかりすぎたらブレーカーが落ちるように、思い込みストッパーなるものがあると世の中を落ち着いて過ごせるのではないかと思います。
しかし、世の中というものそう甘くはありません。
なにもかもがどうもその反対に動いています。
そう甘くはない世の中は、今日もこっちの水は甘いぞと誘います。