中学生たちが田植え体験に行きました。
ひと通り田植えも終わり、押し車に座ってニコニコしながら休んでいた農家のおばあさんに、引率の先生がお礼を述べたあと、子どもたちにひと言をお願いしました。
生徒たちは本日の感想をおばあさんが述べるかと思いきや
「あなたたち、おろおろしないで堂々と生きなさい」
ときっぱりおっしゃったそうです。
見事なひと言です。
☆ ☆ ☆
人の言うことなんて、もういい尽くされた感がある。
それこそなんらかの問題をAIに投げて、想像のつく限りのコメントをカテゴリー別に求めると大体の答えが返ってくる。
仏教や哲学などの偉い人たちがたくさん人生の答えを用意してきたので、私たちはそれを応用すればいいだけだ。
だから、TVのコメンテイターもSNSに無記名で書き込む人たちもいうことはさして変わらない。
それが「どこの誰だか」になった途端にその意見が勢いを持ちだす。
大向こうに意見を言いたくば、どこの誰だかにならないと何も始まらない。
あなたが言っても響かない事を、孔子やビートたけしが言ってたよと主語を差し替えると途端に信用度は増す。
個人で説得力を持ちたければ、多数派の視点から脱却しつつその多数派を納得させる小さな成功を継続していくしかない。
多数派の意見から外れる勇気と
その繰り返しがどこの誰だかになっていくのだろう。
反対にどこの誰だかだけの意見をうのみにしていると、
自分では何も考えられなくなるので、
ひとりでは動けなくなり変化を怖がるようになる。
☆ ☆ ☆
どこの誰でもない、畑のあぜでニコニコして押し車に座っている老婆の達観した言葉を拾うことができるかどうかで人生の楽しみかたや深さががらっとかわってしまうのでしょう。
先生と子どもたちを一瞬固まらせるほど意表を突いたおばあちゃんは、なんと素敵なんでしょうか。