先日、リビングでテスト勉強をしている南の筆箱をみて驚きました。
シャープペンが8本きれいに並んでいるのです。
聞けば、今の中学生は男女問わず、シャープペンを何本も持っていて気分で使い分けているとのこと。
私が「いくらなんでも多すぎない?」と批判めいたことを言うと
「みんなそのくらいは持っているよ」と”みんな攻撃”で反撃してきました。
南は、普段は欲しいものがないのでお小遣いはいらないということで、我が家にお小遣い制度はありません。
8本のペンをどうしたのかと訊ねると、お年玉貯金を切り崩して購入したようです。
「中には5,000円を超すものを買う子もいるよ」と南が教えてくれました。
「あなたが持っているのもそんなに高価なの?」と訊くと
「オレは高いものはもったいないからいらない。自分で稼ぐようになってから買うよ」と言います。
それを聞いて少し安心しました。
「しかし、量を持っていると1本1本を大事にしないんじゃない?」
としつこく心配すると、クラスに手先が器用で学校の掃除道具や机からなにから修理する男の子がいるらしく、その彼に頼めばシャープペンも直してくれるそうです。
そして、不具合の原因や使いかたの悪癖まで指南してくれるので、大変助かっているそうです。
南も今、芯が出なくなったシャープペン1本を彼に修理依頼をしているけれど、他のクラスからもシャープペンの修理依頼が数本、加えてほうきの柄の修繕が何本か入っていて込み合っているので、来週までかかると話していました。
☆ ☆ ☆
工業製品の進化に複雑化はつきもので、壊れた際には個人での修理が簡単にはできない、というか不可能な領域になっています。
スマホやタブレットやパソコンなどはハードはしっかりしてるのに、バージョンアップのたびに丸ごと買い替えなければなりません。
ノートPCのバッテリー1つ取り換えるのに、メーカーに修理依頼を出し2週間ほどまってやっと戻ってきます。
なんの進化なん?と思います。
そのくらいドライバーひとつでできるようにしてよと思います。
修理不可能なものは作ったらダメじゃんと思います。
修理の文化はどこへやら。
私の40年ほど使用している老舗メーカーの旅行バッグの布が劣化したので、メーカーに電話をして修理を依頼したら無理だと言われてたいそうがっかりしました。
長年愛用してあきらめきれなかったこともあって
「いいわよ自分でやるから!!」とがぜんやる気になります。
布屋さんで花柄の派手な布地を買ってきて1日かかってつけ換えました。
私でもできるじゃん。
修理が無理なのではなくてメーカーのやる気の問題です。
消費者を修理に向かわせる姿勢、これはメーカー側の責任でもあると思います。
消費させるために修理と言う文化を消費者から奪った責任は重いのです。
モノを大切にしろと大人は言うけれどモノを消費するようい仕向けるのも大人です。
どっちなん?、とつじつまが合わないのも大人。
そういえば、そろそろ16年の付き合いになり、ちょこちょこ不具合が出てきだした私のJEEPを任せている車屋さんは、本国から部品を取り寄せると時間もお金もかかるからといって、日本車のいろんな部品を組み合わせて安く修理をあげてくれます。
「簡単な作りだからできるんですよ」とさらりと言っています。
技術の高い人はそれをひけらかすことをしません。
工業製品は修理しながら長期使用に耐える製品を設計するところに進歩の軸をおいて欲しいものです。
長年愛用しているものには愛着がわいて、そのモノといい関係が築けます。
みんなの修理を請け負う彼のような修理屋さんも育っていますし……。