「人は見た目ではない」
と大人は言うけど
結局見た目で判断されるので校則がある。
校則は拘束だとシャレるつもりはないけれど。
あまりにも厳しすぎやしませんか。
そして大人が私たちにいつも言うように
私たちを見た目で判断しないで欲しい。
とあなたたちはいいます。
☆ ☆ ☆
見た目で判断しないでほしいというのであれば
その見た目はあなたの判断基準の一番目ではないと言うことですね。
では、何を見て欲しいのでしょうか。
そこを考えたことがありますか。
そして、自分を判断してもらいたい基準を見た目以外のどこに置くのか
それをちゃんと考えてみましょう。
校則は、見た目では判断できない「魂=心」を磨くためにあるのだと思います。
見えないそれが安定していないと、何を着てもどんな髪型をしても似合いません。
何を主張しても通りません。
だから、まずは身なりを整えておいて、魂を磨くために校則はあるのだと思います。
でも、みなさんが言うようにそれが行き過ぎているのは否めません。
校則のひとつひとつを吟味するのも大事ですが
先生も生徒も、校則の意味を今一度考えてみる必要があるのだろうと思います。
校則は決して”らしさ”を追求するためだけではないと思います。
校則の何が自分を拘束するのか。
それは本当に縛られているのか。
小学生を卒業したら社会に出るまでに6年間ほどありますので、
しっかり考えてみてはいかがでしょうか。
社会に出てオシャレしてみたときに服に着られず
お化粧が笑顔を引き立ててくれるように。
このときの見た目は今とは比較にならないほど大事です。
年齢を重ねるにつれ、イヤでも魂が表に出てきよりますので。
私の歳くらいになると化粧や服装ではもうごまかせません。
今までの人生をさらしながら生きています。
そのぶん、あなたたちが覚えてはいけない厚顔無恥という武器を携えて。