おとなりの奥様から、カラフルな和紙でくるまれた自作の焼き菓子をいただく。
毎回毎回種類が違うのだけれど、お店を出したらと思うくらいにどれもおいしい。
お店を出すにはおいしいだけでなく味が安定していなければならない。
彼女のお菓子はその点でも太陽と月の公転周期のように安定している。
私の作るものは"味の安定していなさが安定している"ために、お隣には持っていけない。
お返しをどうするかという問題には、
幼犬のトイレトレーニング同様にいつも頭を悩ませることとなる。
☆ ☆ ☆
もらったお菓子を手に玄関の前で彼女と立ち話をしていると、
60代を超えているだろうおじさんと年齢不詳のおばさんが満面の笑みを浮かべて近寄ってくる。
「オタマジャクシが笑ったらこんな感じかな」と彼女に言うと
「きこえるわよ」とたしなめられる。
2人が近づくにつれて、それがとても危険な笑顔であることの認識が深まる。
ぴたりと会話が止まる。
時間も止まる。
心が構える。
「遊」の時間を奪われた私たち。
「あの世で救われたくはありませんか?」
と首を傾けながらメスのおたまじゃくしではなくて、年齢不詳のおばさんがボールを投げる。
そのボールをすぐに受け取ったのはお隣の彼女だ。
「いやいやあの世はいいからこの世で救ってくださいな。小麦もオリーブオイルも値段が上がって困っています。さあ、どうやって救いますか」
と彼女が問いかける。
「この世でいくら苦しいことがあってもあの世で救われますので大丈夫です。私たちの教祖様の教えの下で楽しく暮らせばいいのです。お金にとらわれてはいけません。現実を救いたいのであればお布施でいくらでも救えます。問題はお金のないあの世でどうやって救われるかなのです」
とおじさんは質問の答えをめちゃくちゃな論理ではぐらかす。
ほー、あなたがたは生と死は断絶していると思っているのですね。
生と死はつながっているんですよ。知らないでしょ。
死んだら幸せになるなからって、今の生活から目を背けることを現実逃避と言うのです。
そんなあなたがどうしてあの世で救われるっていえるのでしょうか?
あの世で救われた人を見てきたんですか?
憶測でモノを言わない方がいいですよ。
そのまっすぐな思想は危険で残酷なので私はついていけません。
私はお金にとらわれているのでお布施も出せませんからどうぞお帰りください。
彼女はよくこの10秒満たないほどの間にこれだけのことを反論できるなと感心する。
彼女の言葉に押されて、二人は「それは残念です。失礼します」とだけ言っておたまじゃくしの笑顔はそのままに去って行った。
☆ ☆ ☆
彼女は考えなければならない出来事をやりすごすことなく、深く深く感じ取りながら生きているのだろう。
わかりやすく言うとその反対が私。
「まあなんとかなるわ」と能天気にやり過ごして生きているので生活の感じ取り方が浅い。
お菓子をもらっている最中に勧誘を受けるなんて現実の振れ幅は宇宙並みに広い。
その振れ幅に浅い私の心はしばしおいていかれそうになる。
そういえば彼女の普段の言葉を振り返ってみると、そこに答えがみつからなくても、「心」だけはしっかり自分の下で慎重に繊細に扱ってきた節がある。
彼女の”いま自分はどう思っているか”を瞬時に言葉にできる勇気と頭の回転力はそうやって育まれたのかもしれない。
心をしっかりと自分のものにしている彼女と、心が他人に持っていかれてコントロール下に置かれている人たちとの対決を見たような気がした。
そんなしっかりした「心」でお菓子を作ればおいしいはずだわねと納得し勇気が出た。
私も「心」を大事にするために精進しようと今日は思った。
明日はどうだろう。