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ばーばと南 + Run&Music

「礼」を学ぶ

人を育てる立場にある人は悩みます。

社会でも学校でも、家庭においても、いうこと聞かない。

言ったことをしない、ルールを守らない人が多いからです。

 

上に立つ先生も上司も親もまだまだ未熟な故に(人は一生未熟なままかも)、

どういったら通じるのだろうかと試行錯誤を繰り返します。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

組織や集団がカオスの状態にあるときは、あれこれたくさん指示するよりも

「礼」を学ばせることが一歩目だと思います。

 

弱小チームを率いることになり最初にすることは、

技術よりも礼儀作用から入るように。

 

 

導く側は礼儀作法を学んだ先には何があるのかを示すことが大事です。

 

この示し方は難しく、個人の利益を声高に叫ぶより

みんながよくなる、社会をよりよくする

といった思考がベースになります。

 

そして次に、礼とはなにか」をみんなで考えます。

礼とは何かが示せたらその「礼」をみんなで学ぶということになります。

ここまでできてもまだ実行フェーズに入れません。

 

では次に、「礼を学ぶ」とはどういうことかをみんなで考えます。

 

礼を学とはどういうことかを納得してはじめて実行に入ります。

 

 

自分たちで考えて

自分たちで実行すると決めたことです。

あとは言い訳なしに、個人個人がその責任の下でやるしかありません。

 

 

だって自分たちで決めたんでしょって。

この方法は「礼」を「校則」に入れ替えても通用します。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

その逆もありますよ。

しのごの言わせず挨拶や掃除、脱いだものや靴を揃えるなどのマナーを強制的にやらせて気づいたらそれを行わないと気持ち悪いとなるまで徹底するやり方です。

 

 

人は自分で決めたからってなかなかやれるものではないのですから、こうやって第三者の圧力が必要になります。

 

でも今やその圧力のかけ方を間違えると”〇〇ハラ”などと揶揄され叩かれるといった弱い弱い世の中になってしまいました。

 

お互いが正義を持ち出して引くことのない争いが仮想空間で繰り広げられ

それが災いの種となって現実の世界に降りて来ます。

 

自らが平和になろうとしても周囲はがそれを許しません。

話しはズレにズレましたが、こんな弱い日本にした圧力はどこからきたのでしょうか。

 

私たちは海外の旅行者の理性のない行動に眉をひそめるが、それはそれでイカンとしても、それらの行為を見て自分たちの不徳を自省する慎み深さをもつと、真に守るべき価値を見出すことができるのではないでしょうか。

 

戦争や自然災害が明日の安全を脅かしています。

地震がいつ来るとか、戦争がいつ起きるとか、わかりもしない明日を憂うよりも

そんな時世においては「礼節」を深く考慮するときを迎えているように思います。