i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

敬天愛人 → 敬父愛母

子どもは親の言う通りにはならないけれど

親のするとおりになる。

 

 

 

 

南のおじーさんは、おとーさん(南のひーおじいさん、ややこしいわ)から成績や素行を褒められたことがないどころか、

もっとやればできるのに、もっともっとと言われて育った。

 

 

だからといっておじーさんは成績が悪かったわけではない。。

クラスでも1番~3番。

15クラスもあって1学年600人以上もいる学年の中でも常に30番以内に位置していた。

 

 

 

結果を出しているのにホメられないってかわいそう。

きっと1番になってもそれを続けないと評価されなかったんでしょう。

よくグレなかったものね。

 

 

 

 

ひーおじ-さんは銀行員で、息子たちにも銀行員に匹敵するいい会社(誰もが知っている大きい会社)に入って偉くなってほしかったようだ。

 

 

昔はこんな抽象的でおおざっぱな目標で幸せになれると信じられていたし、

それで実際ゴールまで走ることができた。

 

 

 

 

わが家の誰がこの優秀な遺伝子を受け継いでいるのだろうか。

議論は尽きない。

 

 

優秀な遺伝子って薄まるのよ

コピーミスってあるらしいからね

などと結論づけているのだけど、ほんとうのところは、そうなんです。

 

お察しの通り、私でせき止めたんです。

反省はせんけど。

 

 

 

そんなわが家の子どもたちの教育方法は様々で、

親が子供をあまりコントロールすることはない。

 

結構好きにさせているというか、自分たちで決めさせている。

いったん決めたからには、勉強だろうが、部活だろうが、カブトムシの飼育だろうが全力でがんばることが決まっている。

 

 

 

それはそれとして、私はこっそりコントロール下に置く手はずを整える。

子どもにも孫たちにも

敬天愛人」をなぞり、「敬父愛母」よと教えてきた。

 

 

 

子どもは父を敬い

父は子供から敬われる存在であってほしく、

子どもは母を慕い

母は子供に愛しさをシャワーのように降り注いでほしいと。

 

 

この両輪が揃うと子供は自分のできることに

全力を尽くすようになると思うのだけど、この関係の構築は難しい。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

そのためには、昭和のおとうさんに象徴されるように父は怖いだけではいけない。

 

 

日本の父権の怖さは家や会社の中でのみ権力を発揮され「内弁慶」に終わっている。

「身内」の枠の中でのみ、父性の切れ味は発揮される。

 

 

その切れ味は「身内」で通用しても世間には全く通用しない。

 

 

私の父が酒を飲みときたまバランスを崩していたのは、父性が世間に通用しないことに腹を立ててのことだったのだろう。

 

 

 

日本は社会の規範いわゆる道徳やマナーが言語化されていない。

それは適当な価値観で居座り続ける。

 

「まあまあここは穏便に」「長いものには巻かれて」

などといいながら周囲の平衡を保つことが大人の社会人としての振舞いだとされる。

 

 

 

今でもこの「なあなあ」な関係は尊ばれている。

それは何も産み出さないのに、イノベーションをおこせと言われる。

おりこーさんばかりでは無理やって。

 

話がそれたので戻そう。

 

 

父は二言目には社会は厳しいんだからと言い放っていた。

その「なあなあ」でやっていかなければならないことが多すぎることに対してだ。

波風を立てると異端視される。

 

 

ボッチが嫌なら「なあなあ」に乗り、あきらめるしかない。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

そんな中でどうやって子供から敬われる父になれるというのか。

ノウハウはない。

 

 

父は家庭内でも解のない困難を抱えますます厳しくなる。

 

 

だから、せめて子どもは大企業に入ってなどと片手間にコントロールしようとする。

強制が緊張感を生み家庭に絶対に必要な「安らぎ」が失われる。

 

 

自立をうながされ「安らぎ」を失った子どもは外部とスマホでつながり緊張を緩和する仲間をつくる。

ここでも「なあなあ」が生まれる。

 

 

 

そう、子どもは親の言う通りにはならないけれど

親のするとおりになるのだ。

 

 

「親子水入らず」の皮肉。

 

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

反対に母親は「包み込む」ことが仕事だ。

特に混乱する思春期にはその存在が大きいものとなる。

 

さなぎの中でどろどろに溶けて、機能を作り直すための思春期。

どろどろの中にいるので本人も何が起こっているのかわからない。

説明のつかない時期。

 

その中で唯一安定してるものは母性なのだ。

その体験は大事で、普段の態度がつっけんどんとしている中高生が、ある時に説明のつかない「甘え」かたをしてくることがある。

 

この時にいい歳してなんて言葉を吐いてはならない。

しっかりきちんと受け止めないと、拒否された反動で家庭内や学校で問題行動を起こしたりすることも多い。

 

 

なんでもかんでも「包み込む」ことで問題はないかというとそうではない。

やはり「包み込みすぎる」のは自由を奪うと言う点において、先に述べた子どもをコントロールするのと同じだ。

 

 

コントロール下に置こうという気持ちがなくても母親の子どもに対する親切心が行き過ぎると、その子どもは社会に羽ばたこうとしている翼をもがれる感覚をもつ。

 

昨日までの母性がいきなり子どもの自立性をそごうとするので当然、反抗的な態度をとりだす。

最終的には「だれがうんでくれと頼んだ」などと叫び出す。

 

 

母性のコントロールは家庭内のしがらみの中で、母親の悩むべきところだ。

そうめんのつゆのように濃くてもいけないし薄くてもいけない。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

ところで私のことを孫たちには無条件に「敬祖母、愛祖母」でよろしくねと、

なかば強制的に刷り込んでいます。

 

 

だって、孫たちには絶対にずっと甘やかされて生きていきたいものですから。

 

そのためには常に孫たちの自立の芽を摘むような言葉を吐かないように気をつけています。