逃げて逃げて生きるものは、わがままで勝手だと非難される
だけど、挑戦者にはわがままと勝手が許される。
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2年前の記事の改訂版。
動物園で働くおじさんから学ぶこと ~ 仕事ってそのうちに迎えに来るものらしい
南が小学校6年生の夏休みの時の会話。
「動物園に勤めているおじさんがいるじゃん。そのおじさんに檻のカギをかけ忘れるってことある?って聞いたら『何回かあるよ』って笑顔で答えるんだよ。やばくない?」
学校から帰宅して彼にとってのおやつである、”卵かけご飯”の大盛を食べながら会話が始まる。
私はこの時間が至福の時なので、サイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」をかけて音量を少し落とす。
「ばーばは心配性だから、何回も確認するでしょ」
「するする。おじさんは全然気にならないのかしら」
「何人もチェックするからオレが忘れても大丈夫だってよ。テキトーだよね」
彼の給料は賭け事や、飲み屋のおねーちゃんの高級なバッグに化ける。
そして彼には、男女問わず声をかけてくる友人と言っていいのか何と言っていいのかとにかく知り合いは多く、誘われれば何時であろうとどこにでも出かけていく。
そのアナーキーな生活態度はお金に対しても同様に無頓着で、自ら縁を切っているようにみえる。
奥さんはニュートンに従順で万有引力の法則にしたがい、お兄ちゃんと妹を連れて家を出て行った。
奥さんは樹木希林ではないので当然の結果だ。
お盆とお正月に親戚で集り宴が進むときまって、おじさんの無計画性に男性たちから非難が集まる。
場の乱れに敏感な女性たちは、
「かわるものではないのだからもうほっとけばいいのに」
と眉をひそめ内心おだやかではない。
それでも何を言われようが周囲の意見を全く意に介さず、ニコニコして誰よりもおいしそうに酒を飲んでいるおじさんの態度に毎度救われる。
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「おとなってちゃんとしてると思ってたけど、ちがうんだね」
「ちゃんとしている人のほうが少ないかもね」
私も小さい時はそう思っていたのよと心でつぶやきながら南に返す。
「おじさんを見ていると、大丈夫かって思うよ」
「そうよね。おじさんはよく人の家に上がり込んでご飯を食べたりもしているから困っているのよ」
「ごちそうになるならなにかおみやげを持っていくんでしょ?」
「いいえ、なーんにも。『ごちそーさまー』って言うだけよ」
「ただ食いじゃん」
「『食べて行きませんか?』って聞くから、『断ると悪いかな』っていう身勝手な理屈よ」
「よそのごはんどきには帰らないと」
南は文句なく正しい。
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私も小学生のころまでは、スーツを着て電車に乗って軽やかに改札を通る大人たちや大きな手でお小遣いを渡してくれる親戚を見ていると、なんでもちゃんとできているように見えていた。
「スーツや制服を脱いだ”素の大人”は、あなたたち小学生となにもかわらないのかもしれないわよ。わかっているのは”世渡り”だけだったりして」
「家では手の洗い方がヘタだったり、歯磨きサボったり、新聞だって読んでる振りしてわかっちゃいないのかもしれないよね」
「そうよ。意味もなく突然叫びだしたり、走り出したりしたくなったりするのかもしれないわよ。あなたたちみたいに」
「石を拾ってスーツのポケットにいれてるかもしれないね。ビートルズの最後も子供の喧嘩別れみたいだったらしいし」
たとえがここ最近、Beatlesの「Revolver」ばかり聞いている南らしい。
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「おじさんがすごいのはね、動物の思っていることがわかるらしいよ。直接しゃべれるわけではないけど、言いたいことがわかるんだって。調子が悪いのかどうかも」
と南が話をおじさんにもどす。
「へー、はじめて聞いたわよ、そんなこと」
「『調子いいか悪いかぐらいは、みればわかるだろうよ』って。『動物は人間と違ってわかりやすいから楽でいいぞ』っていばってたよ」
「それって、みんなに頼りにされてるんじゃないの?」
「あーそういえば、動物の調子が悪い時はみんなが相談に来るらしいよ。『なんでわかんねーかなー』って不思議そうにしてたもん」
「おじさんすごいじゃん」
「『動物のドクターだね』って褒めたら、おじさんの仕事は食いぶちを稼ぐためにやってて、そこに生きがいを求めてはいないんだって。だから、そんなにえらいもんじゃないらしいよ」
「生きがいがないんだ」
「そうみたい。仕事と生きがいが同じ人は、世界中にほんの一握りしかいないんだって。なりたい仕事を夢見てもいいけど、そのうちに仕事の方から迎えに来るからその時は自分が居心地のいい仕事を自分で選ぶんだぞって言われた」
南は、カギの無責任さは許せないらしいが、動物園でのおじさんの不思議な能力や力の抜け具合はなんだか共感できるらしい。
あまり世にいないタイプなので、人生経験の少ない小学生くらいだと感化されやすいのだろう。
全てを真似されると困るけど。
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仕事に生きがいを感じてない、などと身もふたもないことを聞いた南は
「よくわからんけどなんかわかる気がする」
とまで言い出した。
南は、いろんな勧誘にダマされるタイプなのかと心配になる。
それともコトの真相に迫ることが出来る「モノわかりのいい子」に育ったのか。
どちらにしろ
「でもあれは極端な人生だからね。もう少しバランスが取れるといいと思うよ」
アナーキーな世界から孫を引きもどそうと一応試みる。
おじさんのパンクな生き方は、周囲にはその分の迷惑をたくさんかけているだろうけど、だれよりも生きてることを楽しんでいる感じがする。
おじさんが言うように、仕事の選択は自分の居心地次第かもしれない。
仕事ってほとんのどの人はやってみないとわからない。
「仕事から選ばれる」と言った偉い人がいたけど、その感覚はよくわかる。
親の言う通りにしてみてよかったという人がいるかもしれないし、そうでないかもしれない。
仕事の選択の仕方は人それぞれでいいと思う。
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最初は「おじさんと心もとない話をしたのね」と思ったけれど、
よく考えてみると、南もいつもは聞けないような話がきっかけになってたくさん考えているようだし、いい話をしてくれたのだと納得してみる。
「おじさんを学校の講和に推薦してみようか」冗談ぽく提案してみる。
「だめーだろー、たのむからやめてくれる」
「どうしてよ。いーじゃない動物園秘話なんて受けるかもよ」と茶化すように聞くと
「変に説得力があるからまずいんだよ」
そういうことかと感心する。
食べた茶碗を洗い終えた南がそう言いながら、棚から取り出したポテトチップスを指でぶら下げながらキッチンから出てきた。
「あっ、ごはん前だからやっぱりやめとこう」とまた棚にしまいに行く。
ご飯前に大盛の”卵かけご飯”を食べたのは誰なの。
5年生と6年生って全然違う。
あっ、抽象的すぎるし汎用句で伝わりずらいと言われそう。
でも具体的には個人差がありそれぞれだけど、それぞれに全然違う。
この言い方でもだめだな。
赤と黒くらい、ネズミとネコくらい、バナナとピーマンくらい
そうそう、スマホとポケベルくらい違うのだ。
成長曲線がバク上がりで多感な今は、彼なりに日々いろいろと思いが湧いてきているようだ。
背中が大きくなり、TシャツのサイズがLでもおかしくなくなっただけではない。
ちょっとした一言や動作に説得力が出てきた。
それを発見するのが楽しい。
「すごいね。成長したねーって」感心しながらほめたい。
今は人の考えをたくさん聞いたり、本を読んだり、スポーツをしたりしながらいろんなことを自分で判断できるようになるための基礎を身に着ける時なのだと思う。
本人も普段の会話の端々にそれを望んでいることがみてとれる。
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「おじさんは他人に答えをゆだねないとこは徹底しているから、そこだけは見習っていいかもしれないね」
と南に良いところだけを引き受けるようにうながす。
「周りが動いているのに自分は動かないおじさんは植物みたいだね。動物園に勤めているのにね。なんだろね」
と私の意見に耳を貸さない南は、椅子からバネのように立ち上がり庭のメダカたちにエサをやりに行った。
椅子から立つ、庭の窓を開ける、後ろ手で閉める、庭のスリッパに飛び移るという何気ない日常の一連の動作を見ていると、カラダの芯に揺れがなく柔らかくしなやかで浮遊感があって美しいことに気づく。
おー、いい感じに成長しているのねと感心する。
これまた5年生のときとは段違い。
あとで南を呼んで柔軟性を試してみよう。
ところで、本日は曲のチョイスを間違ったかもしれない。
こんな話になるのなら、Beatlesのアルバム「Magical Mystery Tour」をかけるべきだったと反省する。
アルバムのサイケな雰囲気がおじさんにぴったりだし、
なんといっても、おじさんは「Fool On The Hill」そのままじゃん。
私の大好きな「I Am the Walrus」、「Hello Goodbye」のジョンの反体制的な態度もそっくり。
適所適時のBGMって難しい。