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ばーばと南 + Run&Music

ベンチ

夏休みの間、近くの公園のベンチでは、部活が終わったであろう午後から夕刻まで

公園の大きな木に止まり相手を求めて鳴きじゃくるセミが嫉妬しそうな、幾組かの高校生のカップルにベンチは占領されていました。

 

 

公園にベンチはたくさんあるものの、他のカップルが遠慮するのか暗黙の了解なのか、ひと組だけの利用が多いようです。

 

 

 

それぞれのつき合い方の度合いに応じて

ベタベタする組

まったり過ごす組

お互いの距離がぎこちないことこの上ない組

と愛の形は3パターンに分かれています。

 

 

組ごとにその周辺の空気もちがいます。

まったり組のからっとした空気は、花や緑を光輝かせ、カラダが浮くような柔らかい風が吹いていたり、

ぎこちない組の恋するあふれた気持ちは、ふたりを包むように飛んでる蝶や虫を引き寄せて、空ですら彼女の笑顔を引き立ててキラキラしていたり、

かと思えば、ベタベタ組の暑苦しい気温は、ショッピングから延々と帰ってこない奥さんをソファに座って呪う旦那さんのように、なんの思いやりもない投げやりな空気を生み、地上1mは酸欠状態になったりもします。

 

 

 

 

「ばーば、よく見てるね」と南に茶化されました。

「見たくなくてもほぼ毎日のことだからね」と言い訳をします。

 

 

 

まったり過ごす組以外のカップルには精神的な余裕がありません。

 

ぎこちない組の余裕のなさには、初々しくて好感がもてますが、

セミにも勝る刹那的な性急さのベタベタ組を見ていると、

私などは周りの目を少しは気にしたらと心が落ち着かなくなります。

 

 

「ベタベタさが過ぎる恋は短命に終わるものよ」と心の中で毒つきながら。

 

 

けれどもベタベタ組は視野狭窄に陥っているため、目の前で小学生たちが遊んでいようとなんら関係ありません。

 

 

 

子どもたちはその風景に慣れてしまっているのか(そんなことに慣れていいものなのかはわからないが)ベンチにボールをけりこんでも全く気にすることなく(気にしないそぶりで)取りに行くのです。

 

 

その際もベタベタ組は強力ボンドを流し込まれたかのようにようにピッタリと離れず、ボールを取ってあげることもしません。

 

どうにかなってしまったふたりを見ていると私は、悪い油で揚げた唐揚げを食べたような気分になります。

 

 

 

「世界は二人のために」と歌ったのは佐良直美でした。

 

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子どもたちはベタベタカップルに、おじゃましてスイマセンとばかりに、ボールを拾いペコリと頭を下げて駆け出していきます。

社会性を身につけた子どもたちは、なんとけなげでえらいのでしょう。

 

 

囃し立てる事すらしません。

 

 

明日なきベタベタさは、察するに

「次の満月に月から使いが私を迎えに来るのです」

と彼女が涙ながらに告白したに違いありません。

 

 

 

 

それならボールも拾わずベタベタしているのは納得です。

いや、YOASOBIのように”さよならを告げたセブンティーン”だとしてもボールは拾おうか。

 

 

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もうすぐ公園はR-16指定にしないといけないのかもしれません。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

公園のカップル事情をもう少しお話しすると、

今は男の子が女の子のひざに頭をのせたり、横から抱き着いたりしています。

 

 

「それは逆じゃないのか!!」

と強く思うのは私が歳をとったせいなのでしょう。

 

 

 

そうです、私の考えかたが古いんです。

いや、違うわ。

絶対に反対でしょ。

 

 

ひざ枕は男子が女子にしてあげるものたい。

差別だなんだと言われようが、エージェントに命を狙われ続けても私は言います。

 

 

 

「うで枕とひざ枕は男子がしてあげるものなの」

決定ぜよ。

 

 

それでも公園のベンチは誰に対しても平等です。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

息が切れそうなので本題に移ります。

えっ、私が若者の逢瀬をやっかんでいると思った人は、ぜっっっんぜん、絶対にそんなことはないのですから直ちに考え方を訂正してくださいね。

 

 

 

そう、ベンチです。

ベンチのお話です。

 

 

ベンチの効力ってすごいんですよ。

バス停や公園には必ずベンチが設置してあるように、

ベンチは無料でどこにでも置いてあります。

 

 

これってすごいことではないでしょうか。

 

 

有料ベンチって聞いたことがありません。

ベンチが有料になった時点でこの世は終わりです。

 

 

 

 

 

有名な建築家の先生とお会いしたときに

「公園に一番必要なものはなんと思いますか」

と質問されました。

 

 

「砂場!!!!!!!!!!」。ぶー。

「ブランコ!!!」。ぶー。

「シーソー!!!」。ぶー。

「街灯!!!!!!!!!!」。ぶー、ぶー、ぶー。

 

 

答えはベンチでした。

 

 

 

日本中の人で先生の質問に「ベンチ!!!」と答えられる人が何人いるでしょうか。

これを読んでいるあなたも、「ベンチ」って思いませんでしたよね。

ね。

そうですよね。

 

 

想像力がないのは私だけではないと祈りたいものです。

 

 

 

建築家の先生は

「ベンチさえ置いとけば、他に何もなくても人は集まる」

とおしゃっていました。

 

このことを知って以降、

今まではふつうの風景だったことが、新たな感覚で飛び込んできます。

 

 

 

ベンチは人を集めるし、お行儀よくみせる効果もあります。

コンビニの前にベンチがあったとしましょう。

地面に座ってしゃべっている若者はベンチに座り、大人が眉をひそめることも減るでしょう。

 

 

バス停にもベンチがなければ地面に座る人もいると思います。

 

病院や老人施設の長い廊下の途中にベンチを置いてみると人が座ります。

いつのまにかコミュニケーションが生まれるのです。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

私がランニングをする公園は湖に面し、公園は橋ごとに分かれておりそれぞれがとても広く、そこかしこに、いろんな形をしたいくつものベンチが置いてあります。

 

 

 

屋根付きの丸い大きなベンチには、朝からリタイアした高齢の男性たちがどこからともなく集まってきて日がないちにち座りこんで話をしています。

 

 

横に長いベンチには、鳥が羽を休めに枝に止まるように、いろんな人たちが交代に座りに来ます。

 

 

 

ここにも高校生のカップルはいます。

お弁当を広げた家族連れ。

犬の散歩中にひと休みをしているおじーさん。

解放感を求め幼児をつれて出たおかーさん。

ギターやトランペットの練習をしている若者たち。

毎日同じベンチで同じ時間にネコにエサをあげているおじさん。

わざわざ公園まででてきて話をしている近所のおば―さんたち。

 

 

 

そんな風景は特別なことではありません。

それは全てベンチのなせる業です。

何もしないベンチ。

ただ座るだけのベンチ。

 

消費者動向を分析するわけでもなく

市場調査をするわけでもないのに

それなのに人は集まってきます。

 

 

 

 

果たしてベンチをすべて撤去するとこれだけの人はどこに行ってしまうのだろう。

公園の賑わいは一斉になくなり、

地面に座る人が続出し、景観は乱れることでしょう。

 

 

 

ベンチがあるからこそ、私はにぎわいの風景の中を走ることができます。

きょうの朝はそんなことを思いながら5㎞を走り終えました。

 

 

 

 

ベンチを公園に置こうと思った人は想像力が豊かで、絶対に優しい心の持ち主なのだと思います。

 

 

 

 

ランニングの最後にガーミンが選んだ曲はEdgar Winter「Dying to Live」('71)でした。激動の70年代初頭を表現した詞も曲も素晴らしい名曲です。この曲が入ったCD「White Trash」も全曲素晴らしく手に入れたいのですが、入手困難なので私はYouTubeで全曲聴くようにしています。

 

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2Pacドキュメンタリー映画「TUPAC:RESURRECTON」サントラに参加したEminemがこの曲をモチーフにしています。

 

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