i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

入れかえる必要があるのは心ではない

心がひねくれたりしている人はいません。

心はみんな清らかです。

だから心は苛立つことはありません。

 

 

学校で悪いことをすると「心を入れ替えなさい」と注意されます。

「昔は心を入れ替えるまで廊下に立ってなさい」と罰を受けることは日常でした。

 

それは中学校になっても例外なく、廊下に立たされたもの同士で話をしてさらに怒られることなど日常の光景でした。

 

それは、3年生になれば落ち着きが見られてきて、ほとんどみかけることもなくなってきた矢先に起こりました。

普段からお調子者が過ぎる男子が先生の再三の注意にもかかわらず授業中にふざけすぎ

ついに廊下に出されたのですが

「先生、心が入れ替わりました」と数分で笑顔とともに戻ってきたことがあります。

男子女子問わず、ほぼ全員のため息と同時に

「そんな簡単に心は入れ替わらない!!」

とロングケーキの食べ過ぎで、ロングケーキのように太り後に膝と腰を悪くした先生の血流に加速をつけたことで、授業が終わるまで立たされていたことがあります。

 

 

「あいつ、どこまでもバカだな」

「女の先生に冗談は通じないって」

「立たされてるのがわかってないよね」

「目立とうとしすぎ」

あーすればモテると思ってるんだよ」

「歌ってるから大丈夫じゃない」

だれも彼に同情の言葉をかけません。

 

 

ひねくれ者の私などは

「廊下に立ったところで何にも変わらないのにね、

先生の気持ちのやりどころがそうするしかないからじゃない、先生も大人げないよね」

と冷たい机に肘をつきながら隣の友だちと揶揄したものです。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

入れかえる必要があるのは心ではありません。

先に述べたように心はみんな澄んでいます。

お調子者の彼の心も澄んでいたはずです。

 

 

勉強が学年で一番できる子も

数学が8点(50点満点)しかとれない野球部のマネージャーも

マジメ過ぎてウザがられるサッカー部のキャプテンも

フルートが上手く吹けずに泣いてしまう1年生も

彼氏を何度も取り換える女子バレー部のセッターも

 

 

 

みんなの悲しみも、楽しさも、苦しさも、喜びも全ては感情のなせる業です。

感情は脳の仕業です。

それに心が動いたのだと、

人間いや、霊長類が口に入れるには到底無理な顔ほどもあるわざわざ串刺しにしたハンバーガーを店主がどうだといわんばかりに鼻高々にもってくる店みたく

大きな勘違いをしています。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

脳で考えるから

感情のコントロールができない人になるのだと思います。

 

心はいつも冷静で間違いません。

聞けばそこにはひとりひとりの神様が住んでいるらしいのです。

ちなみに神社に行くのは、

自分の心にいる神様を、神社にある鏡に映して向き合うことで心を整えること

らしいです。

 

それを知ったときは、

ことあるごとにあれこれお願いしに行っていた私はなんだったのだろう

と頭の中でニワトリが縦横無尽にドタドタと走り回っていました。

 

 

躊躇せずに悪いことをする人はいません。

心が少なからず止めに入っているはずです。

それに気づいているけれど悪事に走るのです。

それに気づいているけれどつまみ食いをして体重計をさけるのです。

 

「わかっちゃいるけど」なんです。

 

そうじゃない「わかっちゃいない」人は心神喪失といって心の病気として扱われます。

 

 

字も心の神を喪失すると書きます。

神さまを失くしたからしょうがないねといって罪に問われないのかしら。

長くなるのでここではその議論は省きます。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

授業が終わってお調子者が戻ってきました。

何をどうしたらそうなるのか女子の間で大いに疑問のサラサラの髪の男子が

「おまえ少しは健全になれよな」

と注意をしました。

 

 

すると、普段あまりしゃべることのなく落ち着き払い感情のブレがないことから私生活が謎で、肌が白く学校中で一番美しいと言われているこれまた肩まである茶色の揺れる髪がサラサラの帰宅部の女子が

「健全過ぎるのも魅力ないよね」

とポツリと漏らしました。

 

 

「ほーらね」と調子づくお調子者に

「男の子がバカなの健全過ぎる事よりはもっとだめなのよ。あなたは”健全”の範囲にも入っていないからお勉強ね」

と彼女が静かにたしなめました。

 

 

中学3年生にして脳を落ち着いてコントロールしている姿は、彼女をより一層謎めいたものにしていき卒業するまでその謎めきは解けないままでした。

 

握手は素手で

英語の翻訳について、デバイスやソフトがどんどん進化するので

これからは英語を特に勉強する必要はないという人がいます。

 

 

それも一理あるけど。

 

直接のやり取りと比べると

コミュニケーションの広がり方が違うはずだと思います。

 

 

つたなくても直接お話ができたほうが、なんかうれしいじゃないですか。

心が通うというか、気持ちが通じ合うというか。

顔の表情も加わり、言葉の強弱のニュアンスもあったりするし。

 

 

言葉には力が宿るんですよ。

翻訳機にはそれは内蔵できません。

意味は通じても気持ちが通じるかどうかは定かではありません。

 

それ以上の可能性に広がっていかないのではないかしら。

 

 

 

 

握手はやはり手袋越しではなく素手で行わないと

みたいな感じかな。

 

 

英語が世界標準であるのなら

聞く耳を育て

伝え方を覚え

世界とつながっていくことは素敵なコトだと思っています。

 

 

世界を知るということは、比較対象ができることで

日本固有の文化、衣食住を取り巻く環境が

いかに豊かであって素晴らしいものか

を知るきっかけにもなるのです。

 

 

 

ただし、ゴキブリとストーカーと弱いものを優先しない大人は除く

なんかね、全てにおいて、何に対しても

どれを何をとりあげても

 

敬意をもってやれよって思います。

 

 

敵国だろうが

スポーツの対戦相手だろうが

政治の論争だろうが

家族だろうが

先生と生徒間だろうが

退屈な大人だろうが

屁理屈をこねる子供だろうが

何もしない上司だろうが

日和見主義の社長だろうとも

間合いの取り方がヘタな同僚に

アウトドアで本を読まない友人に

竿を投げるたびに糸を絡ませる青年に

釣り上げた魚に

山から下りてきた動物に

野良猫に

水族館のサメに

冬に渡ってくる鳥に

農夫に

先住民に

川に

山に

島に

月に

そして自分自身の命に

 

 

 

敬意を欠く。

 

それはたいへんいかんことだと思います。

 

 

ただし、

ゴキブリと

ストーカーと

弱いものを優先しない大人は除く。

 

高校生 ~ 白い靴下とゴールドのアンクレット

めいっこが高校生の時の会話より。

 

 

 

ピアスを空けたのはピアスをする時期が来たからなの。

先生は女なのにそれがわからないの?

ちゃんとした思春期を過ごしていないのは私ではなく先生の方。

 

ピアスとコンタクトは手綱を切るための私の武装

 

 

なにがなんでもそっちの世界にはいかないための。

 

 

ピアスがつつましさや素直さを閉じ込めているかのように言われるけど

どうしてそんな想像力に欠ける発言ができるのかしら。

 

 

不満なんてないし、何をどうしたいわけでもない。

ただ、ピアスは雑踏の中でかぶった他人の低レベルの思いを浄化してくれる。

私にとっての盛り塩の代わりなの。

 

 

 

ピアスごときでうろたえないように

ちゃんと本を読むのはあなたたちの方ではないですか。

先生、先月は何冊本を読んだの?

 

わたしは15冊読んだわ。

教科書は開きもしていないけど。

 

 

 

ピアスのもう一つの効力は、

無防備に幼いアプローチを仕掛ける男たちに

「ここから立ち入るべからず」

という警告にもなるのよ。

 

 

 

 

空のない貧乏な国の男たちは貧乏なままでよしとしている。

もうなにが貧乏なのかすらわからなくなって

大きいサメが暴れまわって殺されるだけの映画に一喜一憂するのよ。

 

 

 

だから

耳に穴を開けたくらいで

欲望の餌食になるようなバカな女ではないのです。

 

 

 

そして

校則に定められた白い靴下の中には

ゴールドのアンクレットがあることを誰も知らない。

それがいつ揺れるのかも。

 

小中高生、無理は禁物 ~ 「どうしてみんなと同じにできないの」と言われても

多様性と声高に叫ばなくとも人はひとり一人違う。

その出自から死を迎えるまでの経験、思考、感性、誰一人同じものはいない。

 

だから、かけがえのない命というのだ。

 

ロボットにかけがえのないという形容詞はあてはまらない。

変えの効くものだからだ。

 

 

鴨長明方丈記の冒頭で述べているように

かけがえのない

その命は絶えず変化していて留まることはない。

 

 

命の「容れもの」であるからだも精神も常に変化している。

 

 

昨日食べられなかったものが今日食べられるようになったり

急に逆上がりができるようになったり

いつのまにか筋肉を痛めやすくなっていたり

嫌いだった人に寛容になったり

これまで仲良くしていた人との関係を断ち切ることができたり

昨日は許せたことが今日は余裕がなく怒ってみたり

年々ジョギングのペースが落ちて行ったり

 

 

 

そう考えると私の想像力では「自分探し」などはムダであると思う。

 

常に変化しているものは探すことができないのだから。

 

 

そもそも探し出せるということは

「探すものがわかっていない」ことには探し出せないでしょ。

「わかっている自分」は探せるけど

「わかっていない自分」を探すことは絶対無理です。

 

 

気づいちゃったんだけど

常に変化しているのであれば

「本当の自分」なんて固定されたものではない。

 

 

ましてや、本当の自分が固定されているのも嫌でしょ。

良きにつけ悪しきにつけそんなの気持ち悪いわ。

 

生きている価値がないじゃん。

変わらない自分ってなんの面白みもない。

 

 

 

考え方が違う人とは一生相容れないことになる。

変わらないので反省もしなくていい

とてもやばい世界になる。

 

 

 

 

そもそも本当の自分を探すその項目ってなに?

どうなっているの?

何がわかれば本当の自分を探したことになるのかな?

 

 

知りたいのは容姿、頭の良さ、心のありよう、なに?

 

 

 

仮に本当の自分を見つけたとして

それがあなたのお気に召さなかったらどうするの。

 

私個人的にはいいことばかりではなさそうですけど。

 

 

本当のあなたは

今よりずっとわがまま放題なので素直な今がおかしいのです。

人の迷惑を顧みないので、周囲に迷惑をかけるヤツなのです。

将来、頭髪の毛が薄くなります。

150㎞投げるようになりますけど肘をケガします。

月から来た宇宙人です。近い将来お迎えが来ます。

 

みたいに。

 

 

 

井上陽水「夢の中へ」

  はいつくばって はいつくばって

  いったい何を探すというのか

と歌っているでしょ。

 

その通り、ジタバタしなくていいんですよ。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

でも相対的に自分を見てみると立ち位置はわかる。

他人との差を認識できるという意味において。

それが良いか悪いかは別問題です。

 

 

 

特に自分の考え方を世間一般と照らしてみた場合、

その差が大きくても小さくても居場所を失くす。

 

 

「どうしてみんなと同じにできないの」

という心無い大人の言葉に

せっかく持っている貴重なあなたと人との違いに憂いて

「こんなの本当の私じゃない」と自分を責めたりもする。

 

 

ちがうんだよ。

自分を責めている今のあなたこそが本当のあなたではないのだ。

死ぬことまで考えてしまっているあなたは、本当のあなたではない。

本当のあなたは自分を殺すような人ではない。

 

 

人と違おうがなんだろうが、それでいいんです。

他人が認めなくても自分で自分を認めていればいい。

それでもどうこうできないのらどうこうできなくていい。

無理は禁物。

 

 

 

あなたの自信を奪うのは他人だけど

あなたに自身を奪うような他人の中に、考えを巡らせるのはあなた自身だ。

それは時間のムダでしかない。

 

他人の中に自信を預ける必要はない。

そういう人は多いけどね。

自分の自慢や主張を重ねて他人の評価を上げようとする人。

脆くてむなしい人。

 

 

自分に自信をもたせることができるのはあなただけなのですよ。

忘れているのなら思い出して欲しい。

あなたは自分に自信を持たせる力を持っています。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

今は大人から色々言われて混乱してだれも信用できないかもしれないけれど

でも人を好きになってほしい。

人を信用してほしい。

 

 

 

そりゃあ、平気で人を裏切ったり意地悪する人も中にはいるよ。

優しいフリをして近づいてくる人もいる。

生きていればなんだかんだでいけ好かないヤツの方が断然多い。

 

 

でもあなたは、暴走族とはお近づきにならない。

反社との付き合いもしない。

そういう波動も同じ考えも持っていないから。

 

同類ではないものは交じることはないから安心してほおっておきましょう。

 

 

そういう人たちと出会った場合には、

その人を憎んだり正したり言い争ったりするのではなくて

自分の普段の言動を見直してみるといいかもしれない。

悪い気が悪い波動がそういう人たちを呼び寄せてるのかもしれないと思うと

自分を成長させるきっかけになるでしょ。

 

信用できる人や好きになる人をたくさんたくさん抱える必要はないのです。

そんな人は数えきれないほど多く現れませんので大丈夫。

 

経験を積んで見極められるようになるといいですね。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

とにかく「みんなと同じにできない」自分を恥じることはないですよ。

メジャーリーグ歴史上最高の選手と言われる大谷選手も

二刀流でメジャーに挑戦するなんて無謀だと、日本のかつての名選手たちに言われ罵倒されました。

二兎を追うものは……とも言われました。

 

 

でも彼はその批判に反論することなく、

表向きは涼しい顔で「やってみなければわからないでしょ」

といった姿勢でメジャーリーグに挑んでいきました。

とても勇気のいる決断だったと思います。

 

 

失敗すれば叩かれるであろう確率は

「向こうのお山まで競争」において

ウサギが亀に負ける確率よりも高かったと思います。

 

 

メジャーという世界最高峰の舞台で、

ともすれば差別的にみられる日本人が

自分の個性を信じ、

自分の価値を下げることなく

自分の持っている力を試すことで

おのずと今の地位に上り詰めました。

 

 

自分を信用せずに、人の意見にのっかっていれば今の彼はいません。

それが「自分らしさ」を妥協せずに貫いたということではなるのではないでしょうか。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

医者になれだの

いい高校いい大学に入れだの

みんなと歩調を合わせろだの

あれこれ言われてしょげている君、

今、君が生きていることはそれだけでなによりなことです。

 

 

これまで生き延びてきたことが

あなたが「あなたの人生」を歩んできたことなのです。

 

 

私もあなたも、いつ死ぬのかは、だれにもわからない。

今夜パタッと死ぬのか、100歳まで生きるのかそれはわからない。

ただ生き続けるのであれば、私は逃げないで生きていきたい。

 

 

若くしてこれまでの人生から逃げてきたと思っている人も

これから逃げずに自分の人生を歩めばいい。

これまではからずも生きてきちゃったんでしょ。

充分でしょ。

 

 

ただね、なんだかわからない他人に巻き込まれ

人のせいにして生きるのは、命がとてももったいないと思うのです。

 

 

 

ピアスを開けて校則違反をしようとも

勉強が思うようにいかず親の希望通りに進学できなくても

逃げることなく事実に正しく向き合えば

謎に満ち満ちたわかるようでわかっていない人生を

楽しくいかんなく過ごせると思います。

 

世間

南たちのクラスで掃除時間に男子同志がケンカをして暴れていたそうです。

当然、女子が担任の先生を呼びに行きます。

「掃除もしないでケンカなんかして。どうしてだれか止めないのですか。中3にもなってそんなことでこの先世間を渡っていけると思っているの。世の中は厳しいのよ」

と担任の先生からひどく注意を受けました。

 

 

世間は厳しいだけでは、ありません。

 

 

 

きびしくて

めんどうくさくて

何もわかってなくて

こすくて

おせっかいで

ゆらいでいて

うろたえていて

長いものに巻かれて

下世話で

すぐに手のひらを返し

噂が好きで

エロくて

お金に左右され

すぐくじけて

言ったことは実行せず

けれど、やさしいのが

 

世間です。

 

とも教えてあげて欲しいと思います。

人の目 < 親の目

中学生、高校生に告ぐ。

 

 

人の目より

 

親の目を気にし出したら

ヤバイと思ってください。

 

 

      他人の目 < 親の目

 

 

なぜなら

思春期は人の目を最大に気にするものだからです。