i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

荒井由実 MISSLIM(1974) アルバム・レビュー

#2.MISSLIM('74)

 

「MISS SLIM」という言葉が浮かんだ感性の豊かさ。

「MISS SLIM」”ミスリム”とコピーに変える感覚の鋭さ。

イヴサン・ローランをまとい、ピアノの前で白黒のジャケットに納まるタイニーな姿。

 

荒井由実は10代にして何がカッコいいのかを頭もカラダも心もすっかり理解している。

 

 

 

巷ではこの年創刊になる「popeye」が、西海岸の文化やモノを次々と紹介し、若い男の子の消費行動をアメリカのポップ・カルチャーへと導く。

それは実相をともなわないので「カタログ文化」と呼ばれた。

 

男の子たちは本物がなんなのかを理解できずないものだから、あこがれを必ずしもオシャレに消化しきれずにいた。

 

差し出されるものを解釈せずに、そのまままるごと真似してしまう思考は

「丘サーファー」という表現に象徴される。

 

 

 

山本コータロー岬めぐりで傷心を癒やし、

かぐや姫赤ちょうちんで愛を語り、

郷ひろみ花とみつばちと女の子と無邪気に戯れている頃、

そんな純で男子たちをしり目に「MISSLIM」は発表される。

 

 

 

ユーミンの感性は西回りでフランスのパリに飛び、伝統と文化を自分の中できちんと答え合わせをして消化し、国内目線の出口を探しあえぐ同年代の男子を置き去りにする。

 

そして、このビッグ・アルバムが誕生する。

 

 

当時の音楽シーンの中を見渡してみても彼女の後を追うものはまだいない。

ジャマする者は何もなく、伸び伸びと独走状態にある。

 

彼女の作る独創的な音楽への評論も独走状態に追いついておらず、その音楽性について深いところまできちんと理解しているのは彼女の周辺だけだったように思う。

 

 

☆ ☆ ☆

 

松任谷由実の著書「ユーミンとフランスの秘密の関係」に彼女が影響を受けたフランス文化の醸成者が下のように記してある。

 

モードのアイコンは、

ジャクリーン・ケネディオードリー・ヘップバーン

 

音楽は、

シルヴィ・バルタンジョニ・アリディフランソワーズ・アルディミッシェル・ポルナレフセルジュ・ゲンズブール、そしてショパン

 

詩では、

プレヴェールサガンランボーエリュアール

 

そしてエッフェル塔が彼女の創作意欲を押し上げる。

自由の女神も東京タワーもこのリストの前には即物的でかなわない。

 

☆ ☆ ☆

 

もともとの育ちが違うところへフランス文化を下敷きにした彼女の楽曲は、いたるところに印象深い歌詞をちりばめ、そこへキャッチーで聞いたことのないコードとメロディが乗る。

 

高速で軽くアクセルを踏んだら140㎞位出てしまったけれど、速さを感じさせない安定感とレザーに包まれた静かなコックピットが醸し出す、外車独特の高級感漂う感覚で走っているようなアルバム。

 

もしくは、当時の音楽界が抱えていた難題の回答を、とても簡単な言葉で絵本のようにしたためたアルバム。

 

 

1曲目の「生まれた街」でから、5曲目の「12月の雨」までは心情に風景描写と、雨や風や霧などの空気感を編み込んだ写実的な描写が続く。

 

場面をみてみるとアルバムの半分は街や海で、半分はインドアな状況。

 

私が好きな海をモチーフにした曲は、1枚目のひこうき雲から8枚目のアルバム「悲しいほどお天気」まで2曲ずつ配置されており、アルバムの広がりを持たせるよいアクセントとなっている。

 

場面設定の妙と、言葉選びの巧みさと丁寧さは聴くものを安心させる。

 

☆ ☆ ☆

 

バックの主なメンバーは、

松任谷正隆 (key)

 林立夫 (ds,per)

 細野晴臣 (b)

 鈴木茂 (g)

 斉藤ノブオ (per)

 

若き山下達郎がコーラスアレンジを担当。

 

はっぴいえんどサウンドを継承したバックにシュガーベイブ山下達郎大貫妙子吉田美奈子といったコーラスが組み合わされた今からすると豪華な内容である。

 

 

open.spotify.com

 

☆ ☆ ☆

 

生まれた街で

イントロのキーボードのリフはどうやって思いついたのだろう。荒井由実の感性がバンドの感性を引っ張りだすのだろうか。そこに細野晴臣の浮遊感のあるベースが重なり、気がつけばアルバムが始まる緊張を脱力へと導いてくれる。気持ちが暖まったところで、発作がおこったかのような激しいフルートの間奏が展開されるデビューして2枚目のアルバムでこのジャジー清水万紀夫のフルートソロ。。アレンジの発想が斬新。支えるバックは稀代の才能を見つけてイキイキしていて、どうかすると平均値に収まりそうなこの曲の偏差値をグッとあげている。歌メロにかぶせてストリングスのように綺麗なシュガー・ベイブのコーラスが重なるのも効果的に曲を彩る。

編曲はジョニ・ミッチェルCoyoteにそっくり、と思いきやCoyoteは1976年発表で「MIsslim」の2年後。なにそれ?、ジョニ・ミッチェルが真似たの?と勘繰るくらいによく似ている。
派手なジャンプはないけれど、スケーティングの表現力が素晴らしいフィギア・スケートの演目のような曲。

 

②瞳を閉じて

長崎の奈留島にある高校の生徒が、若気の至りというか、無謀なチャレンジというか、成せばなると思ったのか「私達の高校には校歌がないので作ってくれませんか」という願いをラジオのお便りに託すと、ユーミンがそれに驚きながらも軽く応えた楽曲として有名。その後、NHKの番組でユーミンはこの島をたずねている。周囲の考え方が固かったのか、なんだったのか理由はわからないけれど、さすがに校歌にはならなかったものの、島の愛唱歌として今でも歌われている。曲を聴くだけで島の海やその風景が鮮やかに浮かぶ。カイユボットを好むユーミンらしい詩になっている。

私には崖の上のポニョのテーマ曲にしか思えない。イントロの単音の連打はリサが軍艦に乗ってるパパとモールスでやり取りをするシーンを思い浮かべる。

歌詞も演奏もたいへん優しい歌なのだけれど、バックのリズムはだんだんと複雑になっていき、素人が演奏はするには難儀しそうだ。

伸びやかな楽器の音のような澄んだきれいなコーラスと、難しいことを淡々とこなす集中力の感じられるリズム隊のまるでライブを聴いているかのような演奏が曲を支えている。

メッセージ・ボトルを海に流すために船を出すという、コストを全く考えない歌詞は育ちのいいユーミンならでは。私なら”雲が晴れた小高い丘”から投げます。

 

やさしさに包まれたなら

何と言っても”小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた”という出だしの歌詞に尽きる。だれもが思っていることをスッと差し出すのがユーミン。カントリータッチのアレンジに応えるバックの演奏の凄さと、心地よいテンポがキャッチーなメロディを名曲へと昇華させていく。スローにもできたはずなのに、よくぞこのテンポに納めたと思う。これ以上遅くても速くても詩の内容が伝わりづらかっただろうと思う。ほぼ同時期にヒットした岬めぐりチューリップサボテンの花もこれに近いリズム。

”目にうつる全てのことはメッセージ”とは、ユーミンの本音を表しているのだと思う。きっとこの感性がユーミンの創作を支えているのだろう。

 

④海を見ていた午後

「MISSLIM」にはどこから湧いてくるのだろうという、新鮮なメロディが溢れ返っていて、これもその中のひとつ。この曲を聴くとなぜだか私は、The Police「Every Breath You Take」を思い出してしまう。

「生まれた街で」に似た浮遊感のあるイントロが印象的。恋に破れて後悔している半面、女としての落ち着きを取り戻しているところに時間の経過ががよく伝わってくる。消えゆく恋に想いを寄せるほどの気持ちの揺れをふわふわとしたアレンジが盛り上げる。このアルバム後、松任谷正隆の手がけるキャッチーで美しい編曲をティン・パン・アレイのしゃれた演奏で磨きをかけるといった手法を取り入れた、こじゃれた曲があまた世に出る。そして、それはニューミュージックと呼ばれるようになる。伊勢正三の奥さんである古谷野とも子のラストアルバム「From Inside」がその代表的なものだ。

この曲の心情は演歌。しかしそこは竜飛岬ではなく神奈川の三浦岬。日本海の荒波にもまれる漁船ではなく、ソーダ水の中に貨物船を通すことで、ポップスの世界へ。そのあまりにも有名になったソーダ水の中を貨物船がとおる 小さなアワも恋のように消えていった”という表現は、ドルフィンの売上に大きく協力した。

 

⑤12月の雨

音読をするような、母音をひっかけるように歌うボーカルがとても印象的。歌唱力で上手く歌いあげてしまうと台無しになる曲の一つ。鈴木茂のギターワークがとってもおしゃれ。これもユーミンの感覚に引っ張られた結果なのか。ユーミンの曲だけに、”ストーブをつけたら 曇ったガラス窓”の所では、自然と二重窓のある瀟洒な家を想像してしまわせる。”もうあえないくせに”なんて、かわいく乱暴な言葉を吐くのも彼への名残がなせる業なのだろう。

山下達郎の革新的で確信的なコーラス・アレンジが印象深い。ちなみに山下達郎はアルバムのクレジットにはバックボーカルとそのアレンジャーとして紹介してあり、完全に「信頼のおける裏方さん」扱いなのが今となっては面白い。

 

⑥あなただけのもの

ここまでのアルバムの優しくソフトな印象をガラッと変え、リトル・フィートをほうふつさせるグルーヴ感満載の曲。それは前半の口直しになりつつも、ユーミンらしく一途でかわいい彼への想いがのった歌詞を輝かせる。曲の作りも演奏も高度で聴かせる1曲として仕上がっている。日本の曲とは思えない編曲を軽々とこなしていくティン・パン・アレイのすごさが満載されている。こんな趣味的なことができるから才能が超越している彼女を支えられるのだろう。ユーミンのためにと言うより、ティンパンがやりたかっただけじゃないのかな。

 

⑦魔法の鏡

独特なイントロ。もともと歌謡曲っぽい歌詞と歌謡曲っぽいメロディ。アイドルに提供した曲をセルフカバーした感じがする。松任谷正隆マンドリンがそれをきわだたせているのかも。
松田聖子中森明菜がカヴァーするのもわかる気がする。松田聖子のカバーは歌唱力と迫力がすごい。中森明菜”魔法の鏡を持ってたら”ではなく、魔法が鏡に静かに絡みついていくような黒くすごみのある、彼女独特の歌唱で曲が展開する。明菜「魔法の鏡」を持たせたら、ユーミンのようにポップい使うのではなく、使いこなしすぎてきっと共倒れになるでしょう。

フェンダーローズによるオクターブを多用したイントロがインパクト絶大。後の曲にもオクターブを活用したアレンジが多々あるけ、どどれも好きで、功績の割にあまり語られることはない気がする松任谷正隆のアレンジはどれも面白くておしゃれ。

このアルバムで唯一といってもいいほど露骨に歌謡曲っぽいメロディを持った曲だけど、それでもティン・パン・アレーの演奏もあって歌謡曲臭を感じさせない。見事。

 

⑧たぶんあなたはむかえに来ない

変則的なピアノのイントロで始まるスローバラード。山下達郎らしい女性の声がきれいに聞こえるコーラスアレンジ。ベースがポール・マッカートニーみたいで好き。3枚目のアルバムCOBALT HOUR」ルージュの伝言の続きの曲だと思って聴くとおもしろい。雨にも彼にも”フラれてしまった”というかけ言葉で、かわそうな少女の心情を表している。その割には軽い印象をもつ歌詞。しかし心の中は”激しい雨”。きっとフラれたショックを一生懸命我慢しているのだろう。軽い曲調は、フラれたけれどもほんの少しだけ未来へ向かう気持ちを表現しているように思える。

 

⑨私のフランソワーズ

ピアノから始まって少しずつバンドサウンドに変わっていき、最後は歌詞に寄り添った見事にアレンジされたストリングスがはいる。ビートルズ「サージェントペパーズ」みたいで好き。

フレンチ・カルチャーからの影響を歌詞の中で表現している。ユーミンのボーカルがファースト・アルバムよりも各段に上手くなっているのがわかる。努力の跡がみえて好感が持てる。細野晴臣の口数の少ないベースがさみしさを包み込むように優しい。きれいでとっても素敵な名曲です。

 

⑩旅立つ秋

この時代特有のただただ暗く深く落ちていきそうな曲なのだが、ティンパン・アレイのプライドがそれを許さない。こんな歌も歌えるのよというユーミンの歌唱力も聴きどころ。この後のアルバムには華やかさとはかけ離れた、意識に訴えるような優れた佳曲が必ず最後に入っている。エイジングのかかったスニーカーのように、カラダになじんでじわっと身に染みるその楽曲たちを、私は葉巻を愛するチェ・ゲバラのように愛でる。しゃれたアルバムの幕を引くにはふさわしい静かな曲。

 

 

是々非々と言うけれど

「是々非々で取り組みます」って政治家は言うけどさ

 

何が是で、何が非なのか分かっているのかな?

 

是々非々でやった結果が、もらったお金を記帳すらできない人たちなんでしょ。

きっとわかってないと思うんだよね。

 

 

是々非々の意味。

 

 

中1男子、南の意見です。

 

 

今回はめずらしく指摘するところがありません。

おっしゃるとおりだと思います。

 

 

 

 

子どもたちへのかかわり方 Part5 ~ 登校拒否、今は「自分を愛すること」に時間を費やしている

2023年10月の文科省の発表によると、小・中学校における不登校児童数は約30万人。

前年度比で22.1%、約5万5,000人の増加で過去最多となった。

 

多様性を身につけようとしている大人たちが、登校拒否にも寛容になったからなのか、学校よりも家が快適だからなのか、本当の理由は数値データがないのでわからないが、不登校児童は確実に増えている。

 

私の周囲では、友人関係のこじれや、いじめで学校に行かない子も数人いるが、あまりに強引な記憶力偏重の教え方に嫌気をさす子どもたちも多いと聞く。

 

 

「育てる」側と「育つ」側のギャップが、その気にさせないどころかその気をそぐ結果になっている要因もあるのだと思う。

 

私にはその環境はムリですと主張できるのだから、学校に行かない子は、ある一面ではしっかりと自分のことを考えているともいえる。

 

システムになじめずに学校を拒否する子どもたちは、自分に興味のないものの「受け」が苦手なだけであって、自ら知識を取りに行くのが苦手なのではない。

 

一般化された平均化されたシステムに入れない子供たち。

 

☆ ☆ ☆

 

今でこそ、それも「個性」だと理解はされながらも、多くの親や教師は学校にいかない子どもたちに「納得」はしていないようにみえる。

 

社会では最終学歴がいまだに重要になるので、何らかの形で学校を出ていないとつぶしが効かないのは明白だ。

 

学校に行かない子供たちの先々を考えると、「個性」は理解できるがその個性を活かしてどうやって生きていくのかと心配になるので、そう簡単に周囲が受容することは難しい。

 

学校に行かずに社会にでて楽しく生きているケースが示されることはそう多くはないのでそれはしょうがないことかもしれない。

 

 

それでも、義務教育後の進路として従来の受験コースに乗り切れない子供たちを救うべく、フリースクールをはじめとした居場所は増えた。

 

私の知人がフリースクールを開いている。

入ってくる子供たちはそれこそ下を向いて、大人を拒絶するような子供たちばかりだ。

それが、先生たちが労を惜しまずに子どもたちに寄り添うことで、数年後には自分の領域をみつけだし、難関の美大や音大や医大に進む子どもたちも出てくる。

 

 

このような例が登校拒否をもつ親のところへ届きだすと、進路の希望が見いだせて心のよりどころになるのだろう。

少数派の子どもたちの理解にやっと動き出した社会にはまだその情報が少なすぎる。

 

☆ ☆ ☆

 

登校拒否でレールを外れたと思っている、親も子どもたちもだいたいにおいてそのままでいい。

 

じゅうぶん個性のある子どもたちなのだから。

 

じゅうぶんに美しく、深く、豊かであるのだから、学校にいかない自分を卑下する必要もない。

彼ら彼女らは安全に生きるために、だれの模倣もせずに自由に考えて決断できていることを評価してあげていい。

 

 

国語や算数を学ぶ前に、今は「自分を愛すること」に時間を費やそうと決心したのだ。

 

 

 

登校拒否は習ってできる事ではない。

誰も教えてくれない領域において自分ひとりで決断するのだ。

今の政治家よりだんぜん自由だ。

 

 

 

きっと何が真実なのかを感じたのだろう。

 

 

 

次回は、子どもたちの個性を育成しようとしている、高校や大学に個性があるのか、個性を前にした親の考え方に柔軟性があるのかについてです。

 

自由とは? ~ 枠の大きさに賛成できたとき

南のクラスは中1も終わりかけという中で、男女ともにとても自由が過ぎるらしく、

担任の先生から「自由とは?」という問いを土日で考えてくるように宿題が出たそうです。

 

帰宅するなり説明もおろそかに

「ばーばはどう思う?」と意見を求められます。

 

「アナタはどう思うの?。人に意見を聞く時は、まず自分の意見からよ」

おにぎりの準備をしながら南の意見を促します。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「行動を制限する枠が決まっていて、その枠の大きさに賛成できたときかな」

「へーっ、なかなか深く考えているのね」

たいそう驚きます。

 

 

「ばーばはどう?」

「私はね、お尻が決まっていない事だと思うわ」

 

「お尻ってなに?」

「やりたいことの期限がきまっていないことではないことかな」

 

 

 

 

「だったら、生きてることは自由じゃないんだね」

と南に返されました。

 

そういえばそうかもと思いながら、

「あなたの枠理論で行くと、人間はカラダという枠の中で不自由なのかもしれないわね」

 

 

 

「いや、そのカラダでいいですって納得して生まれてくるから自由だよ。でも、ばーばのいう期限でいうと寿命があるから自由ではないってことかな」

幼児期に生前記憶があった南らしい言葉です。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「コータはね親が寝静まったら自由らしいよ」

南がおにぎりのお皿を片付けながら突然話を変えます。

私は中1でもまだまだ話が突然飛ぶのねと思いながら

「おそくまでゲームができるからでしょ」とたずねます。

 

 

「そうなんだけど、それはそれ。人それぞれなんだから別にいいんだよ」

「そんな自由の答えでいいの?」

 

 

 

「いいんだよ、それまではちゃんと勉強してる姿をみせてるんだって」

「戦略的なのね」

 

「そうだよ。自由を獲得するためには努力と闘いが必要だって言ってた」

「男の子らしい意見ね。それならばゲームをしていても大丈夫かもね」

 

 

 

「ぜんぜん大丈夫ではないよ。あいつ授業中寝たりするから、自由も程度問題だってみんなで話している。だから枠が大事なんだって」

 

 

そうか、南が汎用的な答えを準備していることに感心しました。

 

 

おとーさんが帰宅したところに、南が同じ話をすると

「いつも本を読んでいるからだね。すごいね南、次はなんの本がいいかな」

と言われたようです。

 

 

南は「自由を失った」と嘆いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもたちへのかかわり方 Part4 ~ これからの教育について ~ きみは何ができるの?と、マークシートの選択方式ではなく文章で問われる

神話は物事を説明するためではなく、「基礎づける」ために存在すると、昔のヨーロッパの誰かが言っていたと記憶している。

 

 

教育はまさにそれと同じくする。

 

 

過去において義務教育の勉強は、どの教科も高い点数を獲得した子どもが優秀とされた。

人と比較することは、その差が重要なので、ため込むことを覚える。

その場合、シェアの概念はなかなか育ちにくかった。

 

椅子は一つだからだ。

 

しかし、事態は一変し、個人の自由度と相互の尊重とともに椅子は増えた。

 

☆ ☆ ☆

 

これからの義務教育において、教え方の変化こそあれどもその構造が極端に変化することはないだろう。

 

教育を受ける側は時代に応じてそのスタンスを変えなければならない。

むやみやたらに「勉強しなさい」でどうにかなった時代は終わっている。

 

群れをつくる必要がなくなったからだ。

その代わりにきみは何ができるの?、とたずねられる。

どうやって社会を渡っていくの?、と問われる。

 

マークシートの選択方式ではなく文章で。

 

子どもたちは一人前になるための、勉強の活用方法をあらためて考え直した方がいい。

 

 

大人はこのような時代が大きく変わるときの経験値がないので、あまり期待せずに自分たちを信じて。

 

 

自分が羽ばたくためのトリガーとして各教科を利用し、何をもしくは何と何をきっかけにして羽ばたくのかを自分たちで見極める力が必要とされる。

 

もちろん全教科高得点を狙って、大手企業に潜り込むオールラウンダーな戦略もまだ活きている。

 

ただ、その方法だけではなくなったということだ。

かつ、その方法ではあらゆるリスクを回避するベストな解でなくなったということだ。

 

 

国語、数学、理科、社会、英語、音楽、美術、技術、体育、家庭の教科配分は、子どもたちがどれかの筒から弾のように飛び出していくきっかけになるには、よくできていると思う。

 

あとは、勉強とういう行動が自己を発展させる基礎になることを、子どもたちに自覚させるには何をしたらいいのか、について悩んだ方がいい。

 

子どもたちにはたくさんの椅子が用意してある。

ならば、旧態然とした画一的のままではいけないだろうことはわかっているだろう。

 

 

親:教師「育てる」        → 生徒「育つ」

この一方的関係から

 

親:教師:自分「育てる」 → 親:教師:生徒「育つ」

 

この関係性へシフトすることは重要案件の一つだと考える。

 

 

そして、特にスポーツの場面に増えてきたように

「育つことを待つ」

余裕のもちかたを、教える側には求められているようだ。

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

学校からの呼び出し ~ 不良グループとの大立ち回り

廊下の大きなガラスの真ん中から射線状にひびが入っている。

そのガラスの前で説明を聞き終えた南のおとーさんが

「すいませんでした。弁償します」

といって校長先生に頭を下げる。

中1の南が、中2の男子の喉を右手でつかんで持ち上げガラスにカラダを押しつけたのだ。

 

☆ ☆ ☆

 

南が登校するとクラスのバスケ部の友達から、部活の帰りに中2の不良たちから何度となくからまれ、お金を取られて困っていると相談があった。

 

詳細を聞いた南は、金を巻き上げた生徒の教室へ走る。

 

そのまま2年の教室に入って行き、椅子に座っていた3人の犯人を順番に問いただす。

「金をとったのはお前か。返せば許す」と南。

「なんの話をしてんだ」

「知らねーよ」

2人ともらちが明かない。

 

「知らねーって言ってんだろーが。なんだお前」とリーダー格が凄む。

「お前がやったんだろ」南も声を荒げる。

 

「知らねーっていってんだろ。殺すぞ」

と言いながらリーダー格が南につかみかかろうとすしてきた。

 

その瞬間に南はリーダー格に足払いをかけ、倒れた彼の髪の毛をちぎれんばかりに引っ張り上げた後、背中を足で踏んで顔を床にこすりつけ動きを止める。

そのまま机と椅子を蹴散らしながら廊下に引きずり出し、右手で喉をつかんで空中に釣り上げ「金をかえせば降ろす」と大きな窓ガラスにひびが入るほど相手を押しつける。

 

2年生の廊下は人だかりと悲鳴で大騒ぎとなり、先生たちがかけつける。

先生たち数人で、南をはがそうとするが力が強くてびくともしない。

 

数人がかりで南の手をやっと離すと、崩れ落ちたその子の首には赤くくっきりと南の手形がついていた。

「とった金返せ」と南が顔を近づける。

 

中2の不良グループのリーダーは喉を押さえながらせき込み、ただ泣くばかりだ。

「返すのかって聞いてるだろ」

彼の髪の毛をつかんで頭をおこし、再度つかみかかろうとする南を先生たちは背中から横から前から抑えにかかる。

 

☆ ☆ ☆

 

先生からの電話を受けて、南のおとーさんもおかーさんも仕事の途中で学校に駆け付ける。

先に手を出してきたのは向こうであること、事に及んだ動機が友達を思ってのこと、学校が手に負えなかった不良グループがおかげで静かになったことの3点で、お咎めなしとなった。ただ、ガラスは弁償してほしいとの頼まれた。

 

先方のご両親には学校側が説明を行い、その際に痛く反省しておられたので家庭同士が接触する必要はないということで話は終わった。

喉に赤く着いた手の形も不問にされた。

 

最後に「南君は力が強いですね」なかなか離れなくて苦労しましたと、先生たちから言われて、おとーさんも、おかーさんもどう返していいか困ってしまい、とにかく「すいません」と何度も頭を下げて帰ってきたようだ。

 

☆☆☆

 

「きょうはすいませんでした。ガラス代はオレがお小遣いで弁償するよ」

しおらしく帰宅した南に

 

「家庭でもお咎めなしだけど、そうはいってもお前はデカいし力もあるから、ケンカをするときは力の使いかたに気をつけなさい」

とおとーさんが注意をする。

 

南は175㎝、足は29㎝、胸板も厚く手もグローブのように太くて大きい。

相手は2年生というだけでカラダの大きさは全くちがったようだ。

 

話を聞いた私も、本当に気をつけないともし先方にケガでもさせたり、相手が刃物や武器を持っていた時のことを考えると内心穏やかでなかった。

 

しかし、帰宅した南の顔を見ると「よくやったわね。えらいわよ」と手放しでほめてしまう。

 

おとーさんが、

「きょうはハードランディングで解決し経験を積んだので、そのうちだんだんとソフトランディングを覚えるといいよ」と南を諭しています。

 

おかーさんは

「今日の事はもうしょうがないけれど、なるべくケンカはしないように」と釘を刺します。

 

☆☆☆

 

その後、不良3人は学校で会うと、「南さん」とさんづけで呼んで頭を下げてくるらしい。

南は「おう」と返すだけだよと涼しい。

 

「相手は2年生なんだから、他に言いようがないの?」とおかーさんが聞くと

「いいんだよ、あいつらはあれで」と全く気にする様子ではない。

 

 

いつのまにこんなにたくましくなったのかしらと思っていると、ばーば成長痛でスネが痛いと言って、ソファに座っている私の膝に頭をのせてくる。

 

 

「言ってもわかるヤツらじゃなかったからね」

幼稚園の頃は泣いてばかりいたのに、いつのまにか、そんなことを言えるようになったんだと感心するも、ケンカはやっぱり心配します。

 

横綱相撲はまだはやかった、AFCアジアカップ ~ W杯への分水嶺

今大会の日本のチームのハイライトは、グループステージ2戦目のイラク戦でしょう。

イラクはただのロングボール戦略で運よく日本に勝利したわけではありません。

 

ロングボールを次々と日本の急所に的確に落とすスキル、少ないチャンスでゴールをモノにする精神力、攻守においてカラダの大きさを有利に使う器用さ、タスクを90分間やり通す集中力と、どれをとっても素晴らしいものでした。

 

後述しますが、アナリスト上がりの戦術家の監督が練りに練った策に見事にはまった日本は、イラクの狙い通りに混乱します。

90分間がロスタイムであるかのような戦い方を徹底して、文字通り日本を蹴散らしました。

 

 

日本に勝ったイラン、イラクに加え、

大会前の練習試合で、日本に1-6と敗れながらも「そんなの関係ねー」とばかりに見事に決勝に進んだモロッコフセイン監督が率いるヨルダンの中東勢が、サッカーとは

FIFAランキングもトレーニングマッチの結果も関係なく、本番でゴールにボールをけり込んだ方が勝ちなんだよ

 

とわたしたちに教えてくれました。

 

☆ ☆ ☆

 

<まともに受けてしまったのか>

 

挑戦者が

挑戦を受ける立場になったときの戦い方の難しさは

 

その立場になったものでないとわかりません。

 

 

横綱は立ち合いに変化をしたり、見苦しい勝ち方をしてはなりません。

相手を受けとめて堂々とした勝ちを求められるます。

 

日本はアジアのチームに対して、その横綱相撲を展開した結果、毎試合失点を重ねて敗退してしまいました。

 

まだ何も成し遂げてはいないのに、練習試合の数値のみで日本全体がアジアでは横綱レベルと勘違いしていました。

 

☆ ☆ ☆

 

<全試合で失点>

 

ベスト8にあがったチームの中で、予選の3ゲームにおいて全試合で失点したのは日本と韓国、東アジアの2チームのみ。

ベスト8までの失点総数ランキングは日本と韓国の8失点が最高で、3位はヨルダンの5失点。

 

ちなみにこの3チームはベスト8までの得点もトップ3です。

日本が12得点、韓国が11得点。ベスト16からエンジンがかかり、初優勝を目指すヨルダンが10点。

 

☆ ☆ ☆

 

<アジアの進歩をみずに、横綱相撲を求めたメディア>

 

では、前回のW杯同様に、モハメド・アリキンシャサの奇跡のように、徹底的に自陣に引き、カウンターに徹した戦略を展開して僅差で勝ち進んだところで、誰が評価したでしょうか。

 

闘志を前面に出してカラダを投げ出しながら戦いながら、相手のスキを見て一刺しする試合運びが日本の戦術だったのですが、それは横綱の戦い方ではありません。

 

アジアの格下相手にそんな戦い方では進歩がないではないか!!

と叩かれたことでしょう。

 

 

しかし、アジアの各代表の戦術を遂行するそのスキルたるや、初戦のタイのチームをみてわかるように、過去の大会と比べて格段の進歩がありました。

監督やコーチ陣に指導力に加えた分析力は世界のレベルと比較してもひけをとらなく

なっており、各国が今まで以上のスピードでチームを進化させていることに力を注いでいることがよくわかった大会でした。

 

 

戦前の試合予想をみると、だれもが予選は4点以上取って勝てると楽観していました。

サッカーで4点差なんてスコアは10%未満であることを知っているのであれば、そのような予想はしなかったでしょう。

 

前回のAFCアジアカップで4点差以上ついたゲームをみてみると5試合のみです。

そのうちの2試合は今回参加していない北朝鮮のスコアです。

 

それが、今大会は準決勝までで2試合のみ。

 

 

ゲームの点差でみると、

0点~2点差で決着したゲームは前回は80%。

今大会は88%にのぼります。

 

どの国も育成と代表の強化が実り、国同士の差は小さくなってきています。

 

4点とって勝つなんてことがいかに困難なことか。

この数字をみるまでもなく、サッカーをやったことがある人は想像に難くないと思うのです。

 

 

それくらい日本サッカーを取り巻く環境は、お花畑状態にありました。

 

このように見てくるとアジアカップとはいえ、そう簡単に勝てる大会ではありません。

それなのに、空気は完全に浮かれて、どれだけぶっちぎって優勝するかを期待されていました。

 

経営でもなんでも、上手くいっているときが一番足もとをすくわれやすいものです。

サッカー日本代表は、まさにその真っただ中に立ってアジアカップに臨みました。

 

 

謙虚さと敬意と風格と力強さと美しさと技術を兼ね備えるのが横綱であり、トップオブアスリートのありかたとすれば、サッカー日本代表はまだまだ挑戦者だったのです。

 

このセオリーを忘れて囃し立ててしまった私たちは大いに反省して、代表チームを健全にサポートする姿勢を考えなければならないでしょう。

 

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<スペインの逆襲>

 

日本の弱点を見事についたイラクの監督ヘスス・カサスルイス・エンリケ率いるバルセロナでアナリストをしていました。

その後、クラブチームやユース代表からスペイン代表に至る、幅広い層での監督やコーチ経験を十分にこなしたあと2022年にイラク代表に就任しました。

 

イラク代表では昨年1月、中東の国がこぞって集まるガルフカップを無敗で優勝し、その勢いをかって9月のタイで行われたキングスカップでも優勝をして2冠を達成しています。

 

どちらが王者でしょうか。

 

 

さらにイラク代表を歴史が後押しします。

 

ヘススにとっては、日本が2022年W杯のスペイン代表を2-1で退けた雪辱を晴らす代理戦争でもありました。

それに加え悪いことに、なでしこジャパンも昨年のW杯グループリーグでスペインをそれこそ4対0で完膚なきまでに叩きのめしているのです。

 

「アナリスト経験のあるたたきあげで熟練の雪辱にかられる監督」

が相手なんていちばんタチの悪い構図です。

 

映画の前半にさんざんやられて、復活したゴジラみたいなものです。

 

 

イラクに比べて何も成し遂げていない日本は、FIFAランキング63位のイラクよりはるか上の17位に位置します。

 

日本チームはイラク戦において何を想定してどのような戦術を展開しようとしていたのか、ゲームが始まってからは想定と何が食い違っていて、ハーフタイムにどのような修正プランをもって戦ったのかに興味があります。

 

また、今後の大柄なチームのロングボール対策についてもどのような対応をしていくのか。「対抗して大柄な選手をそろえます!!」では、解決策にならないことは言うまでもないでしょう。

 

そんなイラクは、前回W杯予選での日本の戦い方同様の道をたどります。

日本戦に異常に集中した結果、その後はパフォ―マンスを落とし、トルシエが率いるどうみても守備に穴のあるベトナムに3-2と苦戦を強いられ、ベスト16でヨルダンに2-3で敗れて大会を終えます。

 

それほどまでのチームであることは間違いない日本は、プライドを捨てて頭をつけてでも勝つ横綱の意地に学ぶところがあるでしょう。

 

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<残念なオーストラリアがいちばん危険>

 

今後、アジアで不気味なのは2連覇を狙うまでになったカタールや決勝まで進んだヨルダンもですが、日本ではだれも話題にしないまま5大会連続でベスト8入りして消えていったオーストラリアです。

 

今大会中、いちばん残念な負け方をしました。

 

オーストラリア代表は準決勝の韓国戦までの4試合を、8得点1失点と折り紙の端を折るように、きっちりと隙なく勝ち上がってきました。

 

そのゲームでも自陣深く引いた守備を集中して機能させ、1-0で韓国をリードしベスト4は目の前でした。

アディショナルタイムでPKを献上するまでは。

 

当然のように息を吹き返す韓国、お決まりように集中力が切れたオーストラリアという構図で延長は進みます。

最後はフリーキックを決められオーストラリアは1-2で韓国に惜敗しました。

 

韓国はオーストラリア・ディフェンスを崩せないままに、PKとフリーキックでベスト4を勝ちとりました。

 

かたや、オーストラリアの攻撃陣。

それだけはずせばそりゃあ負けるわな、というシュート精度のゆるさが散見されました。

ペナルティエリア内、それもゴール前でのシュートを外しすぎです。

 

中学生のサッカー部でも外すことのないような、キーパーのセーブしたこぼれ球をあらぬ方向へシュートして外し、その後アシカですら決めるだろうという決定的なヘディングシュートをまたも外した、コナー。

 

ゴール目の前にしながら、ハーフボレーを打ち上げたデューク。

 

このような決定的いや決定すべき瞬間が4本ありました。

誰か一人でも決めていれば楽勝だったのです。

 

昔の日本を見ているようでした。勝ちきれないのです。

 

この「ドーハの悲劇」をオーストラリアが利用して反省し、メンタル面からチームを強化したときは、もともとポテンシャルがあるチームなので相当に手強い相手になると思います。

 

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<日本は>

W杯にむけて新たな課題がでてきてよかったのでしょう。

この問題を解決できれば、また進化した日本チームが見ることができますし、できなければW杯も期待できないでしょう。

 

 

W杯にむけて、分水嶺に立ったアジアカップでした。

 

あしたの決勝も楽しみです。