友だちの好き嫌いを
食べ物の好き嫌いを
なるべく好き嫌いを
なくせと
大人たちは幼稚園や小学校や家庭においても、躍起になって子どもたちに指導します。
☆ ☆ ☆
好き嫌いをなくしたら、好きも嫌いもありません。
まっ平らな平面が現れます。
好きなものも無くなるということです。
嫌いなものがあるから好きなものが輝きます。
弱い者がいるから強いものが定義できるのです。
逆もまた真なり。
スポーツや受験では残酷なほどそれが明確になります。
裏も表もない世界ではオセロもできません。
結婚制度は破綻します。
アイドルもやる気をなくします。
ビールは一番搾りかスーパードライのどちらかに落ち着くでしょう。
豊かな食の経験値を高めることで器官の成長につなげようとするのであれば、好き嫌いを持ち出すのはお門違いです。
なんでも食べれば成長するのよ。
とにかく食べなさいというアプローチの仕方は乱暴です。
あんなに嫌いだったガサツな男子のことを、歳を重ねるにつけ徐々に好きになるといったロマンチックな恋愛もできなくなります。
好き嫌いは、年齢によっても環境によっても大きく変わるのですから。
いやいや、「好きはそのままにして嫌いなものをなくせと言ってるのだよ」
という大人には、そんなの無理でしょって言いましょう。
嫌いなものがない世界は「表裏一体システム」の地球上ではありえません。
ペンギンに飛べ、アリに名を名乗れ、私になんでも後回しにするな、
と言ってるようなものです。
そんな人は
嫌いだけどこんなに好きっていう女子の感情はわからないでしょうね。
でも、実際はそこをわかってくれてない男子の方が「あーわかるよ」と軽口をたたく男子よりも素敵なんです。
このように女子はわけわからないのです。
理解不能と言われる由縁です。
女子は訳が分からないので話も大きくそれました。
☆ ☆ ☆
ただ、好き嫌いが激しいとそこには、歪みが生じます。
大人はその歪みを嫌ってそのように教えるのでしょうが、いったん歪みを経験しないとその歪みの処理の仕方がわかりません。
歪みをほおっておいたほうがいいのか。
受け止めるべきなのか。
改善したほうがいいのか。
とにかく
真っ平らな世界では、自分のポジショニングがわからなくなり、
感情も味覚も面白味も無くなります。
加えて、人間味までもがなくなりますが
それで、えーんでっか。
と思ったものです。