中心がズレるお話。
ズレた中心をそのままにしていると、そこが日常の中心となる。
ズレたことに気づかずそのまま生活すると、ヒトには遠心力が働くから、そこからまたズレる。
そして、ハタと気づくと中心は本当の中心からはるか離れた所にある。
中心がズレた独楽はついに止まる。
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学校は勉強の基礎を教わるとともに、中心の据えどころを教えてくれる。
また、ズレた中心を戻してくれる場所でもある。
先生や友達からズレを指摘をされたり、周囲の様子を観察することでズレを修正する機能が働く。
ただ厄介なのはいじめだ。
いじめられる側の中心をずらすために、まずはいじめる側の中心をずらすことから始まる。
いじめる側は家庭内ですでに中心がズレており、そのズレの憤りを校内に持ち込むことが多くある。
いじめがエスカレートすると誰もかれも身の保身を考えて、ズレを中心にもどせなくなる。
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かたや病院はズレを中心に戻してくれる。
ズレたものを中心に戻す人を先生と呼ぶ。
かたやSNSの進歩は匿名性もあってそのズレ感を鈍感にさせる。
どうでもよいメールのやりとりが生活を充実させているとは思えない。
便利さが人の進歩に寄与するかというとそうではなく、他人に対する罵詈雑言の道具となる。
個人も体幹も、会社の倫理も国家も政治も、自然も地球も、夫婦間もなんでもかんでも中心がズレたらスピード感をもって戻そうと試みないといけない。
ズレになじむ前に。
ズレを早く立て直していれば熊も市街地へ出てこなかったのであろうに。
あれ、話がズレましたか。