南の中学校のクラスの女子が2学期早々、ピアスとマニキュアをして登校しました。
また思い切ったものです。
当然、先生方に呼び出されます。
学校は1日中バタついて、彼女のバレバレな行動にクラス一同首をひねります。
「ピアスやマニキュアをしてはならないのかはわかるけど、靴下と靴は白って校則おかしくない?」
南は、おにぎりと梨と牛乳のミスマッチだらけのおやつをほおばりながら、規則の理不尽さにふれようとしようとします。
「本当に分かっているの?。規則だからというけど、何故にどうして規則が存在するのかわかってる? ばーばは、白以外の靴下もピアスも同じことだと思うわよ」
「えーちがうよ。靴下とピアスとマニュキュアはぜんぜんちがうじゃん」
「じゃあ、よーく考えて、私が納得できるように話してみて」
「だって、ピアスやマニキュアがダメなのはわかったことじゃん」
南は困り果てます。
☆ ☆ ☆
困り果てている南に私の考えを以下のように述べました。
学校は安全安心でなければならず、かつ学校は勉強する場であるのでそれに専心できる場を提供しなければならない。
そのために規則がある。
少しならいいだろうと気を許すと、そこから構築したものが崩れていくことは世の中では往々にしてある。
だから学校は規則を守ることにこだわる。
規則には気が緩まないという利点があって、それは判断力がまだまだ浅い生徒の命をまもることにもつながる。
学校は生活が派手になることを嫌う。
若いうちの派手さは、適度というものの判断がつかないので加速度が各段に違う。
そのうちに、自分でコントロールが効かなくなり節度を保てなくなり度を越してしまうことがある。
しいては勉強に支障をきたし、生活が荒れていくことを学校は心配する。
また、違反者の周囲への影響は計り知れないので、一人たりとも校則から外れたものを学校は出したくないのだ。
水も漏らさぬ体制を敷きたい学校からすると「靴下ぐらい黒と白じゃなくてもいいじゃん」とはならない。
また、若いうちは、経験不足が故に適度を外れたときにそれが過剰にエスカレートしかねない。
学校というところはその極端なところに制限をかけておかないと、制御が効かなくなる場所でもあるのだから、白と黒の靴下に決めておいた方が管理する方は楽であるのだ。
極端に言うと、靴下の色がアンダーグラウンドな世界の入り口にもなりかねないのだ。
靴下もピアスも髪型も、美しく整然と落ち着いた生活が保てるのならば許されるのではないのかと考えもあるが、未成人の子どもの耳にピアスが揺れているのは、日本の文化では巷の人々に良い印象を与えない。
かわいいなあ、かっこいいなあ、雅(みやび)だなあとは決してならない。
異性へのアピールにはまだ早く、リスクでしかないのだ。
中学生がピアスをした恰好で街をうろつくと、私は軽いヤツですとアピールしているようなもので、悪のターゲットになりやすいこともある。
ピアスは、安全で落ち着いた場所の確保にはふさわしくないのだ。
外面は内面からつくられるもの。
優しければ顔も優しいし、根性が悪ければ顔も悪そうな顔をしている。
個性とは内面からくるものなので、校則が個性を奪うという論は成り立たない。なおかつ、校則ぐらいで個性が没するようならそれは個性とは言わない。
学校はとりあえず学校生活の外面は一緒にしておいて、ムダなことを考えなくていいようにして、内面を磨くことに集中させようと考えている節がないでもないだろうか。
それはそれで効率的でいいのかもしれない。
ただ、下着の色まで統一させるのは、さすがにいかがなものかと思う。
それこそ、指数関数的に限度を逸した憤ってもおかしくないものになっている。
校則や規則は変えればいい。
そのときには一度先生たちの立場になって考えなければならない。
それでも行き過ぎた束縛で息苦しい、理不尽ではないかと思うのであれば、規則は発展させることもできる。
規則に従っていたほうが楽で、それで自分たちの中学校生活が自由になると思うのであればそのままでもいいと思う。
その際はみんなで考え、みんなで話し合うことが、結果みんなを成長させてくれるのではないだろうか。
イメージや雰囲気や嗜好だけで、校則を語っても説得力がない。
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「ばーばが校長先生だったら校則をどうする?」と南から聞かれた。
私なら制服はそのままにしておいて、あとは、
1.身なりを整え靴を揃えましょう。
2.明るく挨拶をしましょう。
3.学校の中の景色を美しくきれいに保ちましょう。
この3つをあえて抽象的に表現し基本に置きます。
これまでに決まった規則については、なし崩し的にそのまま活かすのではなく、想定される規則ととともに、4月に話し合って決めておくといいでしょう。
途中で生じた規則に関する問題は、その都度生徒会で話し合って案を出してもらうといいと思う。
このように答えました。
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今の時代は自分の「考え」をしっかり持つことが求められています。
校則は自分の考えを計るモノサシです。
校則の内容を問い直す前に、それ事体のことを理解しようとすれば、より多面的に考えが深まるのだろう。
校則にやられっぱなしではなく、タフに利用したらいいのに。
校則の活用の仕方次第では、いろんな意味でいい勉強になると思うのだけど。