南が小学校5年生の時のお話。
学校から帰るなり「ただいまー、何か食べるものをください!!」と一息で叫んだ後、
「あー、はらへったー」と再度叫ぶ。
「わかったから叫ぶのをやめてくれる。近所から差し入れが来たらどうするの?」
と注意をした後で、
「カルボナーラでも一緒に作ろうか」と誘うと
「あー、いいねー」と笑顔でのってきた。
南の料理は何をするにも荒いので、ベーコンを切るにしても、卵を混ぜるにしてもいちいち注意をしなければならない。
あまり言いすぎるのはと思うけれど、
ほおっておくと食材の半分は確実にキッチンのどこかに飛んで行く。
そんな南にカルボナーラの繊細な火通しは望めないので
あらかじめボールに卵とチーズを混ぜ合わせておいて
そこへ茹であがったパスタを入れて混ぜるだけにする。
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スパゲッティを茹でていると、南が思い出したようにクラスにいる気に入らない女子のことを話し出す。
彼の難解な説明をまとめると
なんにでもうなずく。
なんでも「私もそう思っていた」とあとから言う。
いつも多数派につく。
人と違う意見を言わない。
学校側に立った意見を力説する。
「じゃあどうしたらいい」と聞くと、自分で考えなよと返される。
「おまえはどうなの?」と聞くとみんなの意見を聞いてからまとめると逃げる。
このような態度をとる女子が南のクラスにいるようです。
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「世の中にもそのようなタイプがたくさんいて、
そういうタイプが権力を握っていたりするから始末に悪いのよねー」
と私は同調する。
「おまえはどうなの?」と聞ける子どもたちは絶対にえらい。
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会社でよくある話。
「こういう問題があるんです」と部下が上司にもってくる。
「あなたはどう思うの?」と訊ねると
「そこなんですよね」と卑屈に笑って答えない。
判断を他人にゆだねてばかりいると
自からの成長はありません。
問題提起をするのなら
自分なりの意見もしくは解決策を持ってくるべきです。
問題を丸投げするのは、かわいげがないので社会では生き残れません。
判断を自分で考える基礎的な行為を身に着けるには
知らないことは知らない、答えられない質問にはわかりませんと
はっきりいうことです。
自分の実力を飾らない癖をつけると、
知らない、答えられないばかり言ってはおられないので
おのずと勉強をするようになります。
大事なのは、なんでも自分で経験してから判断すること。
誰かがいいと言ってたからとか、星がいくつついていたとか
誰かの好きとか嫌いにのっかってしゃべってもその薄さに人は気づきます。
コイツ自分がないんだなって。
見て触れて読んで聴いて味わって
綺麗も
おいしいも
マズいも
楽しいも
すごいも
面白いも
なんでも自分で決める。
たとえそれがみんなとちがっていても、
私はこれがいいと自分の判断をゆるぎないものにする。
すると、徐々にあなたが発言したときに人は耳を傾けてくれるようになります。
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そこには挑戦があります。
挑戦には失敗がつきものです。
思い切って入ったお店の食事がとてもマズいかもしれません。
親や周囲の言う通りに道を歩まず、失敗するやもしれません。
大なり小なり失敗は誰にも何度でもおとずれますが、
チャレンジする行動は素晴らしいものです。
その前の考え方が浅はかだったり
準備不足だったり
甘く見ていたりと失敗の原因はさまざまでしょう。
失敗から学んであの手この手で次のチャレンジに挑む過程が
子どもたちを成長させるのだと思います。
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友人が飼っている犬は小型犬で可愛いのですが目をじっと見てきます。
真正面に立ち、目で意思表示をします。
「オレはこう思っているんだ」確固たる意思が伝わります。
意思が伝わってないときは抱っこされるのを嫌がります。
「そうじゃない!!」
「ちょっとさびしくない?」と訊くと
友人はそれでいいんだと言います。
何でも言うことを聞けばいいというわけではなくて、
犬にも自立してほしいし、車を横目に堂々と道を横切るネコを見ていると友人はうらやましいと思うそうです。
昔はのら犬がそこらへんにいて一匹で生き抜いてきた。
いまやリードが外れると車をよけることすらできないと嘆きます。
じゃあネコを飼えばと言うとネコは嫌いと言います。
リードを外して生きてはいけず
お手や伏せやマテが上手にできれば頭をなでられる社会で
友人はどうやって理想に近づけるのだろうかと私は興味を覚えます。
子どもも犬も時代を読んで、チャンスをものにして自分の世界を獲得していく嗅覚と瞬発力を失わないでほしい。
犬も子どもも不自由な世界なだけに。