大雨で川が瞬く間に氾濫した。
一人の若い村の消防団員が、激しく流れてくる川の水にひざ下まで浸かりながら、山のふもとに住む高齢者が住む家へ急いでいた。
その様子を動けなくなった車のドライブレコーダーがとらえていた。
あふれる泥水は彼の行く手を拒む。
彼は無念の思いで救助を断念し、来た道を戻った。
間もなく山が崩れ、向かうはずだった数件の家は飲み込まれた。
消防団員は自分の判断は正しかったのか。
もっと何かできたのではないか。
どうすればよかったのかとひたすら自問を繰り返す。
お盆で孫たちが集まっている朝に、たまたまついていたこの番組をみんなで見た。
☆ ☆ ☆
村は今後の防災対策に向けて話し合いを持った。
防災の専門家である大学教授に会議は意見を求める。
その消防団員も心の葛藤を吐き出す。
だが、それを聞いた大学教授の態度は全く他人ごとで、笑いながら予防的意見を繰り返すのみで質問の核心を突かない。
がっかりした。
「さすが防災の専門化だね」という意見を期待したのに……。
このようなことにならないよう予防的措置を怠るなと、至極あたり前の意見だった。
そんなことはだれでもわかっているのだ。
消防団員の彼が求めているのはそんな答えではない。
自分の命を懸けなければならないギリギリの判断を迫られたとき、彼は踵を返した。
その責任の取り方に葛藤しているからこそ、思いを振り絞ったのだ。
☆ ☆ ☆
この意見を聞いた南のおとーさんが「どう思う?」と孫たちにたずねる。
孫たちの構成はというと、上は社会人になって5年以内が数人、次は専門学校生たち、一番下は中学生の南とばらけている。
< 孫たちの意見 >
教授は質問に答えてない。
ムリだと判断したその勇気が大事。
なぜ「まずは自分の命を大切にしなさい」と言わないのかな。
救助はうまくいけば美談になるが、そうでない場合は無謀だと言われる。
専門家は態度が上からで、ニタニタしてえらそー。
頭でっかちな人だね。
口でごちゃごちゃいう人は、いざとなったら自分では何もできないのよ。
被害で弱って真剣な思いで相談しているのに寄り添う気持ちがないよね。
私は憤った。
孫たちの言う通りだ。
過酷な状況下で辛い選択を迫られた消防団員にこの教授は
「あなたは正しい選択をしたのだ」
「あなたの判断はそれで良かったのだ」
となぜ認めてあげないのだろう。
まずは優しく彼の心の重荷をおろす言葉をかけて欲しかった。
「人の気持ちをおもんばかる専門家じゃないからね」ですませていい話ではない。
断念する勇気、自分の良心よりも自分の命を優先させることを覚えないとならない。
彼は今の迷ったままの精神状況で次に同じような目にあえば、その真面目さから死にかねないからだ。
それを止めることができるのは彼自身ではない。
彼も豪雨によって心を病んだ被害者だ。
コントロールできないことはある。
これからも、自分のことをよく知って、自分が今できることを一生懸命やるだけでいいと思う。
「それでよかったんだよ」とひと言があればどれだけ救われるだろうか。
彼は助けようと思って行動した、それで十分なのだと伝えてほしい。
人の命を助ける行為は容易ではなく、自分が出来る範囲でしかできるものではない。
落ち込む必要もないし、卑下する必要もない。
ヒーローになる必要もない。
いつまでも囚われていると彼はその良さを失っていく。
美談に憧れると判断を誤る。
まじめすぎても判断を誤る。
彼が私の子供や孫ならば、優しく責任感のある子に育ってくれてことに感謝し、一人で向かおうとした勇気を手放しでほめてあげたい。
救助に向かう最中や、被災状況に葛藤する気持ちは十分理解できることも伝えたいと思う。
そんな中でも思いを断ち切り、自分の命を優先した彼の決断を十分に称えてあげたいと思う。
「あなたも役割があって生まれてきたのよ」と一生懸命に伝えようと思う。