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ばーばと南 + Run&Music

世代間ギャップと空回りすることば ~ 石にかじりついても

孫の一人が「目標についてどう思うかと」相談にきたので、私の考えを述べました。

彼は会社の上司から

「個人個人の目標をたて、その目標を完遂するためには石にかじりついてでも努力しなさい」

と上司に言われたらしいのです。

 

孫は、目標を立てる事と”石にかじりついても”に対してに違和感があって、けれどもそれが何なのかよくわからないということのようです。

 

☆ ☆ ☆

 

私の意見。

 

目標はあってもなくてもいい。

目標があったほうがいい人は立てればよい。

無くて済む人は無くてもいい。

 

目標は途中で変えてもいい。

ムリだと思ったら、取り消してやめてもいい。

新たな目標に取り組んでもいいし

目標を立てることをやめてもいい。

 

目標にとらわれてがんじがらめになることが一番不幸だから。

石にかじりついても目標達成のために努力しますというのは、どこかにムダな力が入るのでうまくいかないと考える。

人に言われて立てた目標に対してモチベーションを並走させることが出来るのかどうかは怪しいものだ。

 

石にかじりついても果たさなければならないのは義理であって目標ではない。

そして、上司の人は目標と目的の違いが判って使っているのかな。

孫も含めてだけど。

 

加えて、”石にかじりついて目標を達成する”という言い回しは、このご時世ではある限界に達している。

孫の若さは、その精神論が限界に達していることを感じ、そこに違和感を持ったのだろう。

 

上司は部下の気持ちを解放するワードを選ぶべきだったのだ。

 

言葉の中身と旬を理解して使わないと空回りになってしまうから気をつけましょう。

 

☆ ☆ ☆

 

最後に、この意見は私の頭の中の考えなので、決して正しくはないけど、孫が考えるきっかけになればいいと思う。

すぐにばーばにたずねるのではなく、まずはよくよく自分で考えて見なさい。

 

そして次からは、自分はこう思うけどどうかなという具合に、まずは1人で考えてみてそれを述べてからたずねるようにするといいわよ。

 

みたいな話をしました。

 

質問全体の答えを全て相手に委ねるのは、社会人としてルール違反なのです。

これも人間関係を保つ上での大切なお勉強だと思います。