南が小学校6年生の夏休みの時の会話。
「動物園に勤めているおじさんがいるじゃん。そのおじさんに檻のカギをかけ忘れるってことある?って聞いたら『何回かあるよ』って笑顔で答えるんだよ。やばくない?」
学校から帰宅して彼にとってのおやつである、”卵かけご飯”を食べながら会話が始まる。
私はこの時間が至福の時なので音楽の音量を少し落とす。
「ばーばは心配性だから、何回も確認するでしょ」
「するする。おじさんは全然気にならないのかしら」
「何人もチェックするからオレが忘れても大丈夫だってよ。テキトーだよね」
彼の給料は賭け事や、飲み屋のおねーちゃんの高級なバッグに化ける。お金に対して自ら縁を切っている。お金がないのに男女問わず声をかけてくる人は多い。誘われればいつでもどこにでも出かけていく。そのようなことだから、奥さんはお兄ちゃんと妹を連れて家を出て行った。
お盆とお正月に親戚で集ると、必ずおじさんの無計画性に非難が集まる。
場の乱れに敏感な女性たちは、もうほっとけばいいのにと内心おだやかではないが、何を言われようが、周囲の意見を全く意に介さないおじさんの態度に毎度救われる。
「おとなってちゃんとしてると思ってたけど、ちがうんだね」
「ちゃんとしている人のほうが少ないかもね」
「おじさんを見ていると、大丈夫かって思っちゃう」
「そうよね。おじさんはよく人の家に上がり込んでご飯を食べたりもしているから困っているの」
「そうなんだ。ごちそうになるならなんか持っていくんでしょ?」
「いいえ、なーんにも。『ごちそーさまー』って言うだけよ」
「ただ食いじゃん」
「『食べて行きませんか?』って聞くから、『断ると悪いかな』っていう身勝手な理屈よ」
「ごはん時には帰らないと。そのくらいオレたちの常識だし」
南も私も小学生のころまでは、スーツを着て電車に乗って軽やかに改札を通る大人を見ていると、なんでもちゃんとできているように見えていた。
「スーツや制服を脱いだ”素の大人”は、あなたたち小学生となにもかわらないのかもしれないわよ。わかっているのは世渡りだけだったりして」
「家では手の洗い方がヘタだったり、歯磨きサボったり、新聞だって読んでる振りしてわかっちゃいないのかもしれないよね」
「そうよ。意味もなく突然叫びだしたり、走り出したりしたくなったりするのかもしれないわよ。あなたたちみたいに」
「石を拾ってスーツのポケットにいれてるかもしれないね。ビートルズの最後も子供の喧嘩別れみたいだったらしいし」
たとえがビートルズのアルバム「リボルバー」ばかり聞いている南らしい。
「でもね、おじさんがすごいのは動物の思っていることがわかるらしいよ。直接しゃべれるわけではないけど、言いたいことがわかるって。調子が悪いのかどうかも」
と南が話をおじさんにもどす。
「へー、はじめて聞いたわよ、そんなこと」
「『調子いいか悪いかぐらいは、みればわかるだろうよ』って。『動物は人間と違ってわかりやすいから楽でいいぞ』っていばってたよ」
「それって、みんなに頼りにされてるんじゃないの?」
「あーそういえば、動物の調子が悪い時はみんなが相談に来るらしいよ。『なんでわかんねーかなー』って不思議そうにしてたもん」
「おじさんすごいじゃん」
「『動物のドクターだね』って褒めたら、おじさんの仕事は食いぶちを稼ぐためにやってて、そこに生きがいを求めてはいないんだって。だから、そんなにえらいもんじゃないらしいよ」
「生きがいがないんだ」
「そうみたい。仕事と生きがいが同じ人は、世界中にほんの一握りしかいないんだって。なりたい仕事を夢見てもいいけど、そのうちに仕事の方から迎えに来るからその時は自分が居心地のいい仕事を自分で選ぶんだぞって言われた」
南は、鍵の無責任さは許せないらしいが、動物園でのおじさんの不思議な能力や力の抜け具合はなんだか共感できるらしい。
あまり世にいないタイプなので感化されやすいのだろう。
仕事に生きがいを感じてない、などと身もふたもないことを聞いて南は「よくわからんけどなんかわかる気がする」とまで言い出した。
「あれはでも極端な人生だからね。もう少しバランスが取れるといいと思うよ」
アナーキーな世界から孫を引きもどそうと一応試みる。
おじさんの破天荒な生き方は、周囲にはその分の迷惑をたくさんかけているだろうけど、だれよりも生きてることを楽しんでいる感じがする。
おじさんが言うように、仕事の選択は自分の居心地次第かもしれない。
仕事ってほとんのどの人はやってみないとわからない。
「仕事から選ばれる」と言った偉い人がいたけど、その感覚よくわかる。
親の言う通りにしてみてよかったという人がいるかもしれないし、そうでないかもしれない。
仕事の選択の仕方は人それぞれでいいと思う。
最初はおじさんと心もとない話をしたのね、と思ったけれど、よく考えてみると、南もいつもは聞けないような話がきっかけになってたくさん考えているようだし、いい話をしてくれたのだと納得してみる。
「おじさんを学校の講和に推薦してみようか」冗談ぽく提案してみる。
「だめーだろー、たのむからやめてくれる」
「どうしてよ。いーじゃない動物園話なんて受けるかもよ」と茶化すように聞くと
「変に説得力があるからまずいんだよ」
食べた茶碗を洗い終えた南がそう言いながら、棚から取り出したポテトチップスを指でぶら下げながらキッチンから出てきた。
「あっ、ごはん前だからやっぱりやめとこう」とまた棚にしまいに行く。
多感な今は、彼なりに日々いろいろと思いが湧いてきているようだ。
背中が大きくなり、TシャツのサイズがLでもおかしくなくなっただけではない。
ちょっとした一言や動作に説得力が出てきた。
今は人の考えをたくさん聞いたり、本を読んだり、スポーツをしたりしながらいろんなことを自分で判断できるようになるための基礎を身に着ける時なのだと思う。
本人も普段の会話の端々にそれを望んでいることがみてとれる。
おじさんは他人に答えをゆだねないとこは徹底しているから、そこだけは見習っていいかもしれないね。