歳をとって病院に入院したり介護施設に入ったりすると、その間に自分が持っている力をこれ以上失わないように、仮に失っても取り戻せるものは取り戻そうとする取り組みが始まる。
そして、自分のことは自分でやりなさい。
できますか?
さらに、自分のことは自分で決めるのですよ。
できますか?
できれば、結果にコミットすることを求められる。
ライザップだ。
主体性を求めないと、高齢者はどこまでも甘えるものだと、巷では広く広く認識されている。
それには間違いはないし異論もない。
私がそうだからよくわかっている。
でも、ヒトは『高齢者になる前から甘えがちじゃん』と決定的に思っている。
医療側にいる私が言うのもおかしいのだけど、のん気に構えているところへ、いきなりさあ自立だの尊厳だの言われても「それは医療・介護側の都合じゃないのとか」とうがった視点に立ってみる。
お世話する側としては、御旗が必要なのはわかる。
しかし、そのように育ってきていない身としては、高尚なキーワードにカラダも精神もついていくのかしらと心配になる。
「そこは、命や歩行能力を担保に取られて初めて人間は我に返るので、大丈夫です」とは病院の先生のお話。
とにかくそれがいい悪いではなくて、世の中はそういうシステムになっている。
病気になったり、老いて人のためにならなくなったとしても、先に書いたように尊厳を保ち、できるだけ自分のことは自分でやり、自分で決めて、自分で決めたことには責任を持つことを課される。
老いてもダラダラ一日を過ごしてはいけないことを覚えておいた方がいい。
逆だ。
老いるほど周囲に迷惑をかけないように生活にメリハリをつけないといけないと肝に銘じておかなければならない。
「そういうことだから、歳をとっても困らないように、小さい時から自分のことは自分でしましょうとなっているのよ」
と、小学3年の南の「先生は自分のことは自分でしなさいって、いつもうるさく言うんだよー」というグチの答えとした。
南のおとーさんからは「遠い未来の難しい話を夢も希望もなく小学生に話してもわからないと思うよ」とすかさず怒られた。
「えー、そういう視点もあるってことなのよ」
全く反省する様子はない。
だって私からしたらそうなのだから。
あれ、マズいことに考えかたが硬直し始めているようです。