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先生、義務教育の意味を間違えていますよ Part2 ~ 学校には自分の命をかけるほどの価値はない

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登校拒否。

カラダが自分を守るためにおこるもの。学校に通う生徒の場合は自分がその環境から離れていくことで、自身を守ろうとする。心をオープンにする機会に恵まれていないだけかもしれないが、本人も周囲の大人もその真相はわかっていないことが多い。

学校に行きたくない本当の理由を本人にたずねても首をひねるばかり。

当然、学校や先生への不満もあるのだが、子どもたちの話を聞いているとそれはどうも2次的要因で、コトはそう単純でもないようだ。

 

Part1の彼は、最初に教室から出たいと思った理由は何だっただろうか、もうすでに忘れてしまったと言う。

覚えているのは、「すぐにでも家に帰らなければならない」と思ったこと。

そのことを先生に訴えたけれど全く相手にされずに、まずは気持ちを落ち着けなさいと保健室へ連れていかれる。保健室では低学年から高学年までの女子が数人それぞれに勉強をしている。

 

それからというもの、教室の空気に耐えられなくなると保健室へ避難させられるのが日常となった。日を追うごとに 保健室時間 > 教室時間 の図式が確立されてくる。

最終的には朝から保健室に少し顔を出しては、昼前に帰宅することが彼の平均的な学校生活となる。

 

彼の担任はこの状況を憂えて、保健室の利用時間を制限し、少しずつ教室にいる時間を増やそうと画策する。親は「本人が嫌がるならば家に帰してもらっていいです」というけれどもその担任は聞く耳を持たない。

そのうちに、何とかして教室に戻そうとする担任の態度が彼は気に入らなくなった。

担任は彼に向かって、勉強する義務を怠っていることを諭す。

小学生は学校に来て教室で勉強するのが普通であって、それは彼の将来を心配していっているのであって、学校で勉強して過ごすのが「健全」なのだからはやくクラスに戻って来いと言う。

 

選択肢が狭く、遊びやムダを許さない学校のありかたに彼は余計にガードを固くする。

大人の嘘を察知するセンサーが敏感な分「あなたの将来を心配して」などと言われようものなら、絶対に学校には行かないと意固地になってしまっている。

とどめは「健全」という言葉。いくら3年生でもそのくらいはわかる。

オレのことを「健全」ではないと思っているんだ。

「健全」でありたいとは思わないけど「健全」ではないと否定されると逆らいたくなる気持ちもわかる。

では、学校に行ってるみんなは「健全」なのかと聞きたい。

では、学校に毎日行けば「健全」が手に入れられるのかと聞きたい。

 

のびたラーメンを食べろといわれているような、勝手に大事なおもちゃを必要ないと判断されて捨てられたような感じだ、と彼は言う。

 

彼の葛藤は、グレーの風に巻き取られ彼の周りを回り続ける。

 

☆ ☆ ☆

 

彼が教室にいたくない理由。

 

時々理由もなく先生や友だちのことなど、これっぽっちも考えられなくなることにある。校舎の下に置いてあるアサガオの成長や、紙くずが溜まってしまったゴミ箱や、廊下で飼っているメダカやカブトムシのことや、授業の内容など、もう全部がどうでもよくなるときがあるそうだ。

そのうちに、自分の空間がグッと狭くなり、友達の声ですらそこに入ってくるものは許せなくなる。

そうなったら「みんなに迷惑をかけるから、はやく教室をでていきたい」と焦りだす。

彼曰く、究極の自分勝手野郎に変身する前に。

 

内面からしみ出てくる、わけのわからない苦しみや、居心地の悪さは登校拒否を体験したものでないときっとわからない。

登校拒否の理由は、学校に行かない子どもたちの人数の数倍はあると思ったほうがいい。一人の理由が全体を代表することにはならない。

話を聞く側には最低でも、きっとどれも正しいのだろうぐらいの謙虚さが欲しい。

 

学校や先生に責任があるかと言えばそれはわからない。

彼が先生の言葉や態度に対する彼の受け取り方が過敏なだけなのかもしれない。

学校と生徒との対比で、学校では”こうするべき”を基準に話しても通用しない。

そんなことは100も承知でいかないことを選んでいるのだから。集中力がないわけでも、優しさがないわけでも、努力ができないわけでも、我慢ができないわけでもない。

 

ただただ、どこか居心地が悪いのだ。

 

☆ ☆ ☆

 

子供たちは死にたくないから登校拒否をしているのではない。

生きようとしているからこそ

今の彼にとって学校は水中で息ができない状態と同じだ。

自宅や友達と遊ぶ時が呼吸をするために水面から顔を出せる唯一の場所。

今の学校は、今の彼にとってそれほどリスキーなのだ。

でも、周囲は学校に行かないことがリスクだと心配して結果、水面下に引き戻す。

 

 

イジメられている子どもたちも含め、前提として、

学校には自分の命をかけるほどの価値はない

ことを覚えよう。

 

だからといって学校や先生に敬意を欠いていいわけではない。

命は学校に行くことよりも大事であるということだ。

ハワイのプロ・サーファーたちは、ビッグ・ウェイブへチャレンジする姿勢に敬意を示すけれども、海で死んでいいわけではないと思っている。

無謀なチャレンジとそれは話が別だ。

 

☆ ☆ ☆

 

勉強。勉強というけれど小学校で習う勉強はたかが知れている。教師の力を借りなくとも個人でも十分届く世界だ。焦りは禁物。

 

そのうち自分で人生をコントロールして自分の行きつきたい場所にたどりつくのだ。と大人はいうけれど、そんな都合のいい大人は地球上で何%いるだろう。

ほとんどの人が行きついた場所を自分の居場所と納得して今に至っている。

彼は学校に行かなことで自分の人生を、すでにコントロールをしようとしている。

肩の力を抜いて、そこに異常な執着心はいらない。

人と比べることもない。

 

だからといって家に閉じこもってばかりでいいのかというとそれはそれで問題だ。

第一に健康上よろしくない。

この先、社会性を育み、友人との時間の過ごし方を工夫し、どこに住んで何を食べたらいいのかということまで全てにおいて勉強が必要になる。

勉強は机上だけでするものではない。

山や海や川の自然に触れたり、スポーツや旅を通じてそのプロセスの中で本来の意味が明確になる。

 

自分のための時間を大切にすると、それが自分以外の事に対して発揮できることに気づくようになる。

自分の事ばかり考えていちゃダメなんだということがわかる。

そのうちに。

 

彼は4月で4年生になった。

担任もクラスもシャッフルされた。

1学期は図書委員を無難にこなし、無欠席で夏休みに入った。

なにより、学校での生活の様子を夕食時に話して聞かせるようになったことを家族はとても喜んでいる。