「どこ吹く風」という言葉が好きです。
気持ちがマイナスになっているときはこの言葉を思い出します。
全く思い出さないときもあります。
「どこ吹く風」を自分の中に取り込むには、相当なセンスと勇気が必要です。
軽蔑されることすら楽しめる性根の大きさも。
仮に「どこ吹く風」をコントロールできるとしたら、人生がとても楽になると思います。
女性は一歩間違えれば、開き直りと勘違いされかねません。
その結果、ご近所で寄り付きたくない女性ナンバー1となり、嫌な女の都道府県選抜チームに選ばれかねません。
☆☆☆
いくつになっても、生きることが常態化せず、威厳も気品もない私は、簡単にその境地にはなれずに苦労します。
「どこ吹く風」どころか、こっそりと牙をむくことができません。
周囲に牙をしまいなさいと注意される始末です。
歳をとってもいまだに身体能力と直感に頼って生きているもので、それなりに「それでいいのかしら」と思い直したりはします。
大事なものを取り違えることが多くなるからです。
日々、「主題を取り違えていた!!」とあわててしまうことがたくさんあります。
もっと大事なことがあるでしょうと……。
アプローチを間違えたでしょうと……。
私は歳とともに頭は賢く、心は大きく、カラダは小さく、コンパクトに生活できるようになるものだと期待していました。
するとどうでしょう。
頭はそのまま、心は鋭くグチっぽく、カラダはサイズアップして、ムダなものばかりに囲まれて生活しています。
リニューアルのやり直しです。
それでも「どこ吹く風に」憧れ、後ろめたさと恥ずかしさには敏感で、悲壮感なく淡々と、ひけ目のなく飄々といたいもので、今日もそよそよしています。
このように、どうありたいこうありたい、とあれこれ書くほどに私の強欲さは誰にも負けません。
当然「どこ吹く風」どころではないのですが、わかっていても治らないものです。
よし、今日から器量よしになってがんばろう。
まずは、家事をぱぱーっとこなしますか。
ボブ・ディランの「風に吹かれて」を聴きながら。
そうはいうが、明日もこの気持ちになれるのだろうか。
夏のサンタのように現実的ではないような気もするけれど、希望は失わずにいこうぜ。わたしよ。
歳を重ねるにつけこの歌の良さがわかるようになりました。そんな歌を22歳でさらっと書いてしまったBob Dylanは、このあといろんなものを背負いながらたくさんの名曲を書いていくのです。天才にありがちなドラッグで死ななかったのが幸いです。今後はBob Dylanを積極的に聴いてみようと楽しみにしています。若い時の感じかたにはなかった、歳相応の発見があるのではないかと期待しつつ。