子どもたちを見ているとそれぞれの持つ世界(可能性)の広がりは果てしない。
と言うと、南(小3のとき)は
「ネコから見る象の額くらい?」
と真面目な顔でたずねます。
「道理にからめとられて世界を狭めながら生きてきたばーばからは想像もつかないくらいよ」とわざと難しく返します。
「じゃあ、象の皮を伸ばしたくらいかな」
「一度、象から離れてみましょうか」
「じゃあ、ネコから見たトラで行く?」
「動物園からいったん出ようか。というか、ネコからも見なくていいからね」
水分をたくさん含んでいるであろう透き通る肌の弾力さも羨ましい限りだけれど、
無限の可能性は、ほんとうにうらやましく感じます。
けれど、その広く深い世界は授乳時の乳房のようにとても繊細です。
宇宙並みに無限の未来も、ちょっとした外圧によって瞬く間にしぼんでしまう。
どうしたら子供たち、孫たちのジャマにならないように生きていけるのか。
それぞれの未来を広げようとして、年齢と経験を盾に口を出すのではなく、
悩んだり苦しんだりしたときの「場」としては機能していたいなと気を付けてきました。
その「場」をもっと柔らかいものにしていきたいと思っています。
「そうそう、先生がみんなの心は宇宙より広いのよって言ってたよ」
「なんだ、わかってるなら象だなんだと言ってないで早く教えてよ」
「わかってないよ。心が宇宙より広いわけないじゃん。宇宙はなんでも宇宙一(いち)なんだから」
ばーばの心は宇宙より広いから怒りませんが、家族が南に時間をかけて教えていくことが明確になりました。
☆ ☆ ☆
子どもたちと接していくには、体力・知力・精神力が必要不可欠です。
だから子どもを産むには適齢期があります。
衰える体力を、知力と精神力に振り替えていくには、あれこれたくさん勉強しなければなりません。
そのためには、私の周りで今何が起こっているのか。
これを正しく理解する必要性にかられます。
夕食時に、ビールや日本酒やウイスキーやらを調子にのって飲み漁り、本をもってベッドに入るも、開いたと同時に眠っている場合ではないと反省しきりです。
本 < お酒 < 眠気
この順番を逆転できるかにかかっています。
でも逆転のエンジンとなる危機感は体力の衰えを上回る勢いです。
ですから、危機感の危機感を今育てています。
どれくらい育ったかは個人情報保護で秘密なので教えません。