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ばーばと南 + Run&Music

敬天愛人ならぬ、敬父愛母

我が家の孫たちの細かい教育方法は、各家庭によって様々ですが、私は「敬天愛人」をなぞり「敬父愛母」よと教えています。

 

 

父は子どもから敬われる存在であってほしく、母は子どもに愛しさをシャワーのように降り注いでほしいと願います。

 

ですから、親は子どもたち以上に日々勉強し、子どもたちを超えた成長をしなければなりません。

親は子どもが生まれた瞬間に親という名前が付きます。

しかし、親というのは器だけで中身はそこから作っていくものです。

子育てという貴重な貴重な経験を子供にさせてもらいながら、本当の意味での親になっていかなければなりません。

祖母の私も同様に、祖母の器と親の器と両方を学びの下で作っていくのです。

 

おとなが学ぶ姿勢を子どもに見せることで、子どもは自分のことに全力を尽くすようになります。

そして、子どもたちも学ぼうとします。

 

片親の場合はひとりで2つの役割をしなければならないので、大変なのです。

ですから、その子どもは(敬父愛母)の二乗でその親に感謝しなければなりません。

 

このときに子どもが選んだ経験を、無意味で非効率だからという理由で排除してはいけません。些細な経験も学びにつながります。

経験は機会(チャンス)であることに気づくと、どんどん学びが加速します。

一分一秒を大事にするようになります。

 

「学び」は全て自分を取り巻く環境からおこります。

どこにでも落ちています。

空気と同じです。

そこから何を取り入れるかが、個性を育みます。

 

「学び」は学習と違ってその結果は目に見えません。

すぐに役立つかどうかもわかりません。

経験の中で学び、経験の中でのみ「学び」の成果を知るのです。

 

子どもを自発的な「学び」に導くために、大人たちは子どもたち以上に学ぶ必要があります。

子どもに「勉強しなさい!!」と叱咤するのであれば、「とーちゃんもね」といわれないように気をつけなければなりません。