庭先を掃いていると、学校帰りの小学低学年の男子3人が横一列で歩いてきます。
聞こえてくる会話はこうです。
「いろいろあるよねー」
「まー、しょーがないね」
「なんとかなるよ」
「ほんとにいろいろあるよねー」
まるで、おばさんの会話です。
でも、何か彼らにとってはそういわざるを得ない出来事があったのでしょう。
相互に顔を覗き込みながらなぐさめ合って帰っている姿がいじらしく思えました。
☆ ☆ ☆
いろいろある。
ほんとに、全くもって、いろいろある。
世の中は、いろいろあるものです。
だれかに相談できること。
だれにも相談できないこと。
だれかに相談してもどうにもならないこと。
とにもかくにも生きていると、いろいろある。
みんなそれぞれ、いろいろあるということです。
死も同じく誰にもおとずれる。
偉かろうが、金持ちだろうが、気立てがよかろうが関係ない。
死ぬのは自分だけではありません。
何をしても多かれ少なかれ、ストレスは誰にでもいつでもついて回ります。
みんなそれぞれストレスを抱えながら生きています。
自分だけではありません。
そう考えてみると、ヒトの出来栄えはみんな同じようなものです。
得手不得手のちがいはあるものの、偉い人もそうでない人もそう大きくは違わない。
だれもが多くは「なんてことはない」ことで将来を心配し、右往左往しています。
受精卵に心配の種を一緒に入れたらヒトが出来上がるのだろうと思うくらいに。
誰もが「あーやってこーやると、こうなって」と考えを巡らせ過ごしています。
でもそうは簡単にうまくいかず、いろいろある日常が目の前に横たわります。
そうです。日常は「いろいろある」でできています。
いろいろあって、「できない」と思っているひとはすぐ隣にいます。
でもそのひとは、「できたらいいな」とも思っているはずです。
そして、「やってみたらできるんじゃない」と手を差し伸べる距離に私たちはいます。
難しいのはその距離感。
引き受ければいいってもんじゃないってこと。
無視もだめだけど。
それを知的な距離といいます。
家庭内だとその距離をよく計り間違えます。
相互に甘えがあるので。
家族間の距離ですらいろいろあって計り間違えるのです。
そりゃあ、いろいろないほうがおかしいですね。
ちびちゃんたち、おとなは大人でいろいろあるのよ。
明日になったら、なんとなく解決しているといいわね。
そこは、大人よりも君たちの方がきっと上手なのかもしれない。
そうでありますように。