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ばーばと南 + Run&Music

子どもたちにとっても、企業にとっても、メタバースって必要? 

お友だちから教えてもらったことだけれど、登校拒否、遅れてくる、来ても教室に入れずに保健室で過ごす子どもたちが大変多いのだそうだ。

特に南と同級の6年生。

その数は男子よりも女子に多い。

 

 

その中のいく人かは、メタバースの世界で楽しく学んで遊んでいるように聞いた。

 

南にその話をふってみる。

南はメタバースがなんだかよくわかってない。

それでも、アバターなら何でもできるらしいから、楽しいらしいよと教えてくれた。

 

 

体育が不得意な子供でも、高くジャンプができたり早く走ったりできるし、いつでも海や山に行ってくつろげる。

お金を稼ぐこともできて(ということはそこには需要がありマーケットが存在している)ドルへの交換も可能らしい。

 

 

南は今のところ一切、興味がないという。

それより本やマンガの方が面白いらしい。

それでいいのかどうかと聞かれれば、南の両親は、今後そんな世界が広がるのであれば少しは興味を持ったらと多少なりとも思わないではないが、本人が興味がないと言っているし、本を読むからそれでよしとしている節がある。

 

知らなかったが、フェイスブックはメタに社名を変更したらしい。

 

 

☆☆☆

 

 

私はメタバースが、「グローバル化」と同様になんであるかすらわかっていないし、いくら説明をされても両方の言葉の理解ができていない。

 

というか納得ができないと言ったほうが正しい。

きっと頭が古いか固いのだろう。

 

 

ゲームでの利用は臨場感がでて楽しいのだろうけれど、それ以外に仮想空間のメリットがあるようには思えない。

 

 

企業はメタバースをどのように利用するのかというと、

バーチャルな役員室でアバターを通じて会議を行う

メリットがあるのだそうだ。

 

本気でそう思っているのだろうか。

正気なのか?

そのどこに、何のメリットがあると言うのだろうか。

 

 

 

 

企業理念の推進と利益追求は、相互が顔を突き合わせてしかできないなどと、言うつもりはないが、企業の役員がわざわざバーチャルな空間で、それもアバターを通じて話す必要性がどこにあるというのか。

 

そんなお遊びで程度のメリットに、大人が群がる話ではないし、利益の無駄遣いだ。

その資金を社員に還元したほうがどれだけいい喜ばれるか。

 

 

☆☆☆

 

 

不登校の子どもたちのためのメタバース空間

 

NHKによると、昨年度の小中学生の不登校は244,940人(前年度196,127人)と、過去最多。その対策としてメタバース登校や教育が注目されているという。

 

 

メタバース空間は、人と接するのが苦手な子供たちにとっては無菌室

個の存在をパーフェクトに認めてくれるノイズのない空間だ。

ヒトにどう思われているかを気にする子どもたちにとっては居心地のいい空間である。

それだけに、不登校を理由に安易にメタバース空間へと子供を誘うのは危険だ。

 

 

子どもたちは、いつかはどこかでこの無菌室からでなければならない。

無菌室の外は、生々しい生命が躍動する空間だ。

細菌も跋扈している。

 

リアルな空間の中で生き残っている人たちは日々奇跡を繰り返して家に戻る。

その繰り返しを継続するために、葛藤し悩み工夫する。

命が宿っているものとのやり取りの中で。

 

 

何を。

 

 

ヒトとの連携を育むために。

相互の調和を図るために。

一人では生きていけないのだから。

 

 

この訓練は五感を通じてリアルで行わないと無理だと思う。

実際、水に入ってみないと泳げるようにはならないのだ。

いきなり、なわ跳びが飛べるようなもの。

なわにあたった痛さを経験することもない。

跳びやすいように持ち手やなわの種類や長さを工夫することもない。

連続して飛ぶ体力も必要ない。

 

 

樹木はメタバース空間でも現実世界でも動かない。

現実世界の木には命が宿っている。

私の知っている大工は、その声に耳を傾けながら、その木の樹齢や生えていた場所に応じた仕事をするという。

「素晴らしい人間性」は命への敬意から生まれるものだと思う。

それが、人の優しさを高めてくれる。

 

 

どこかで現実世界との折り合いをつけなければならないときがくる。

蚊にも刺されてみなければならないのだ。

アトピーや花粉症は現実世界できちんと対応しなければならない。

 

 

アバターなら何でもできる。

 

 

 

できる気になっているのが一番危険だ。

思考は身体からでしょ。

 

 

☆☆☆

 

 

ひとつ思うことは、

アバターの世界に頼りながら育った若者が先生になると、教員の性犯罪は確実に増えることは間違いない。

アバターと本物の女性は比較にすらならないので、ブレーキが効かなくなるのは想像に難くない。

 

そして、コロナの自粛がリアルな「社交性」を排除し、どれだけ苦しんだか。

忘れてはいけないことだ。

 

関係が深かろうが浅かろうが、

意志・意図の伝達

情報の共有

信頼の維持はリモートでは限りがある。

リモートで決まったことは、直接やり取りして決めたことに比べると、

いとも簡単にあっというまに、消毒用アルコールのように揮発してしまう。

 

AIが作り出す仮想での生活が生み出すリスクは計り知れない。

 

 

☆☆☆

 

 

メタバース空間で過ごすのがダメだと言っているのではない。

あくまでも避難として現実と違う空間に入っていくのであれば、出たときのことも考えなければならないということだ。

 

 

メタバースで過ごした子供たちの追体験はまだない中、

エビデンスのない薬を安易に飲んではいけない。

劇薬かもしれないのだから。

 

 

☆☆☆

 

 

2月22日の日経新聞で、コラムニストのジェマイマ・ケリーが、このように書いている。

 

マイクロソフトは組織の立ち上げから4か月で「インダストリアル・メタバース・チーム」を解散し、スタッフ100人を解雇した。

メタバースの概念はまだ漠然としていて、どうやら求めている人がいないようにみえる。

・人は基本的に仮想空間を求めていない。

メタバースは本当の意味では始まってもいない。と同時に、すでに終わってしまっていたのだ。

 

 

大丈夫かと思うくらい歯切れがいい。

 

 

AIの進化がすべてヒトに有用ではないので、無理して合わせる必要はない。

AIはこういうこともできるけど、これはヒトには必要がないねと、しっかり考えて選択することが大事だ。

 

 

きっとアバターでは、映画「イージー・ライダー」のような体験もやろうと思えばできるのだろう。

確かに最後に銃で撃たれて死ぬことがないのはメリットだ。