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ばーばと南 + Run&Music

桜と夢と存在意義 ~ 夢よりもこの世に生まれてきたことの意義

60歳を過ぎても複数の会社の代表だったり、役員を任されてる知人がいます。

そして今、新たなプロジェクトに挑戦していて衰えを知りません。

 

 

彼は仕事に支障をきたさないよう、日々のランニングと週3日の筋トレを欠かさずにカラダを鍛えていて若々しく、エネルギーに溢れています。

 

 

彼の話では、どれもこれもやりたいことを目指してたどりついたわけではないといいます。

 

皆さんと仲良く楽しくお話しをしていて、時世をみながら動いていると気がつけば役割を与えられてこうなっていたということです。

 

 

彼仕事を選ぶ判断基準は

「社会のためになるか」

「四方に喜んでもらえるだろうか」

「私は楽しいだろうか」

問うことだそうです。

 

 

以下、彼のコメントをご紹介します。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

私が関連している会社やプロジェクトはどれも周囲のかたとの出会いによります。

 

私は若い時から、自分の未来など想像したこともありませんし、特に何になりたいという欲望もありませんでした。

まわりが希望に燃えてチャレンジするのを横目で見ながら、とても羨ましく思っていました。

 

 

私はそのような目標すらない人間だったのでただただ、目の前にある仕事を自分なりにしっかりと務めてきただけです。

それしかできませんので、何も特別なこではありません。

 

 

 

 

私にとって「こうなりたい」「ああなりたい」は意味をもちませんでした。

やりたいことが何も湧いてこないのです。

 

当然、親からは「やりたいことも見つからないのか」と責められました。

厳しく言われてやりたいものが見つかるほど、やりたいことというのは甘いものではありません。

 

 

やりたいことがみつからないならば、

目の前にあることに一生懸命取り組むことでやりたいことに近づけるのではないか

と発想を変えました。

 

さらに運がいいことに、私は器用ではありませんでした。

それならば、パワーを分散するのではなく今この瞬間に向けることが大事だと思ってやってきました。

 

 

 

もちろん、計画通りに努力するのも一方法としてあります。

しかし、周囲の環境はうつろいやすく、その計画に縛られないためにも、そしてそれを達成してしまったときに満足して歩みを止めることないように、計画を立てることはしませんでした。

 

柔軟性と瞬発力を保っておきたかったもので……、というと聞こえはいいですが、単にずぼらなだけだったかもしれません。

「行き当たりばったりじゃん」と言われればそうだと思います。

 

 

 

そうこうしているうちに、夢を追うことよりも私は「自分がこの世に生まれた意義」にフォーカスすることのほうが大事だなと思うようになりました。

 

 

やりたいことも生まれてきた意義も判らないのであれば、さらに目の前のことに力を尽くすことで、その結果、私がこの世に生まれてきた意義を全うできるのではないかと思いなおして生きてきましたし、今でもそう思っています。

 

 

そのうちに、年齢を重ねるとやりたいことというよりも、社会のシステムをこのように変えたらどうだろうという視点を持つようになりました。

視点を脳内でシステムに構築して構想を手当たり次第、周囲の人に話しました。

 

そうすると、必ずその構想にふさわしいたくさんの人と出会うことができて、そこから人のの連鎖や不思議な偶然が重なり、未来が広がっていったのです。

 

 

私はまだまだ未熟ですので、相変わらず先のことはわかりませんし、そこには興味はありません。

呼ばれたものに感謝してなるように任せて行こうと思っています。

 

 

明日から公園の管理をやれといわれれば、よく考えたうえで周囲のためになるのであれば引き受けます。

 

そして公園を花でいっぱにいして、公園を利用する人が幸せを感じられるように整備することを楽しく考えていきたいと思います。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

会社組織の鉄則は社長になりたいと思っている人を社長にしてはならないそうです。

社長になりたいと強く思っている人は社長になることが目的なので、なった時点から自分本位に走りがちで、社会のためになる仕事をするなど不可能だとの理屈です。

 

 

彼のお話を聞いていると、仕事を通じて自分が果たす役割とは何かを常に追い求めてることに、並々ならぬ努力を重ねています。

 

そう考えることができる人は、社長になりたい、お店を出したい、医者、弁護士、看護師、ユーチューバーになりたいなんてものは通過点でしかない事に気づくでしょう。

 

 

 

今の政治家たちも政治家であることが到達点なので、私腹を肥やすことに精一杯でその先にある国民のことなど考えていないのでしょうね。

 

仕事の不備を他の責任にして、自分を正当化することに四苦八苦していると、仲間たちはあきれてしまい、たちまちその人の下を去っていきます。

 

 

彼のお話を聞いていると、自分を必要としてくれるところから声がかかったら、ありがたくはせ参じてわが身を尽くすことが自分を高めてくれて、社会の役に立つのではないか、と切に思わされます。

 

 

もうすぐ桜の季節です。

1年のうち11か月の日々をたんたんとこなすからこそ、桜も咲くのです。