カメムシは嫌いだ!!。
だって、臭いから。
見ただけで吐きそうになる。
レジに横入りする人よりも大差で嫌い。
買い物から自宅へ帰ろうと車に乗って数秒後、ダッシュボードの奥に何やら緑色の動く物体が。
イヤな気がしたけれど、
そうでなければいいなと思っていたけれど、
そうでありませんようにと願ったけれど、
そうではないよねと納得させたけど、
神さまそうでありませんようにと祈ったけど
来年から初詣に行きますからと誓ったけれど
やっぱり、そこには絶望が……。
カメムシが、「本日は大変お忙しいところを……」と言いながら現れた。
そう、私は点滴、いや天敵のカメムシと意思疎通ができるのだ。
いや、できんわ。
私は、カメムシには優しくできないだけでなく、殺意も持てない。
私の前世はカメムシにいじめられたに違いない。
もしくは大量のカメムシを捕食しようとしたカマキリだったのかも。
小学生の頃にカメムシを飼っていて、カメムシ臭をまき散らしている男子が私の隣の席になったときは、もうほんとうに吐きそうになって頭が痛くなったし、生まれて初めて人を呪った。
ここから、私とカメムシの壮絶で長い「決して負けられない闘い」が始まる。
☆ ☆ ☆
ダッシュボードの奥からトコトコ歩いてきたカメムシはダッシュボードのカーブの頂点でピタッと止まって動かなくなる。
目の前の私をしっかりと認識したのだ。
そうそう、呼吸を整えるときはまずは息を吐くんだっけ、それとも吸うんだったっけ、と思考も定まらない。
脈拍はネコを前にして見上げているネズミのレベル。
そして目が合う。
「なんで君は密閉された車内にいるのかな?」と落ち着いて聞いてみる。
彼は寡黙なタイプの様で返事はない。
「見つめないで。私はあなたのこと嫌いよ」
怒らせてしまったのか、降りていた触角が徐々に上がって上を向く。
羽を少し広げて飛ぼうとする。
それって戦闘態勢じゃん。
困ったもので、ことばを持たないものはすぐ腕力に訴えようとするのよね。
でも、ちょっとまって。
嫌いといっても、好きか嫌いかと言われたらといったレベルで、心から嫌いというわけでもないの。信じてくれるかな。いまさら信じろと言われても無理かもしれないかもしれないけれど。女心は揺れ動くものなのよ……。そう、あれはやっぱりジョークなの。どちらかと言うとその緑は好きなほうよ。その緑、セクシーでいいと思うわよ。カマキリの緑よりは断然イケてるわ。絶対よ。セミの茶色なんかよりはよっぽどカッコいいと思うわよ。自信を持ちなさい。そういえば、思い出したわ。うちは代々、ひーおじーさんのときから緑が好きだったのよ。ほんとうよ。なんだか、心が落ち着くというか、ほらわかるでしょ。私は明日、髪を緑に染めようかと思ってるくらいなんだから。ねっ、わかったら落ち着いて羽をたたんでごらんなさい。
とカメムシ語を脳内で駆使して教育かたがた語りかける。
いや、伝わらんわ。
交渉むなしく、カメムシの触角がさらに真上に上がる。
なぜ触角を上げるかな。
本当になにもしませんからね。
私は運転しているからホールドアップはできないのよ。
羽を閉じてとにかく待ってね。
どうでもいいけど、こっちに向かって飛ばないでね。
そうなると、運転している私だけではなく、あなたの命も危ないわよ。
ねっ、話し合えばわかるから。
いや、話し合ってもどうにもならないことだってあるって誰か言ってたけど、こういう場合はきっとなんとかなるわ。
いいこと、あなたがこちらの領域に潜入してるのよ。
落ち度はあなたにあるのだからね。
あ、責めているのではないのよ。
責任の配分を教えているだけよ。
いいわ、反省しなくてもいいから触角をさげて、戦闘モードを解きなさい。
ありとあらゆる説得工作を試みるもカメムシは戦闘態勢のまま動かない。
暴力的な緑。
私は死ぬまで緑は身に着けないと決めた。
☆ ☆ ☆
自宅まで5kmほど。
途中に大きな交差点を右折するのだが、カメムシを刺激しないようにと考えていると、からだが反応せずにハンドルを切れずに通り過ぎてしまう。
自動運転モードに切り替え、バイパスをひたすらまっすぐに、ひたすらじっとして直進する。
赤色灯を回したパトカーがカメムシに脅されている私を無視して、反対車線を通りすぎる。
なにやってんのよ。善良なる市民がカメムシに脅されているのよ。
カメムシの前には警察権力も無力だ。
いや、カメムシをペットと思っていたのかもしれないわ。
気を静めて、南のおとーさんに車内から電話する。
留守電。
肝心な時になにしてんの。
すぐに気持ちを切り替えて、南のおかーさんに電話をしてみる。
「はーい」と明るい声で南がでる。
「おかーさんは」
「運転中だよ。車のスピーカーで話してるよ」
「カメムシが車の中にいるのよ」
「えーっ。だめじゃん」というおかーさんの叫び声が奥から聞こえる。
「目の前にいるのよ。もうね、羽を広げて今にも飛んできそうで」
「カメちゃんとか、名前でも付けてあげたら」
「あのね、いい、そういう余裕はこれっぽっちもないのよ。そういう態度は女の子にもてないわよ」
「握って窓から逃がせば?」
「できると思うの?」
「ムリかな」
「人にアドバイスする時は少し背伸びしたらできるぐらいのコトを伝えるのがコツよ」
「わかったよ。そういえば、この間、野球の練習で使った紙コップが確かダッシュボードに積んであるあるはずだから、それをかぶせたら」
「ありがとう。頑張ってみるわ」
「ばーば健闘を祈る」
「ほんとうに祈ってね。世界中の神様に祈ってね」
「バイデンにも、プーチンにも祈っていおくよ」
私の危機感は、「カメムシ&ゴキブリ同盟」を結んでいる南のおかーさん以外、地球上の誰にも伝わらない。
紙コップをかぶせようとしても、フロントガラスのカーブが邪魔をしてかぶせることができない。
「なんなの。ぜんぜんだめじゃん!!」
今年一番の無力感を抱えながら再度、電話。
再度、南が出る。
「どうだった?、カメムシうまくいった?」
「ムリよ。どうしよう」
「ティッシュでつぶしたら」
「嫌よ。カメムシのくさい匂いがつくじゃない」
「オレは家の中にいるカメムシを手で握って逃がしたよ」
「あなたはできても私は、絶対無理!!。140㎞のボールを打てというようなものよ」
「石鹸で洗えばいいじゃん」
「ぜーーーーーったい、いやーーー」
「この会話はカメムシも聞いてるの?」
「車のスピーカーで話しているから聞いてると思うわよ。どうして?」
「聞いてたら音量を上げてもらって驚かそうと思って」
「だめよ、だめだって。変に刺激しないでよ」
「わかったよ。何もしないよ。ついたら処理してあげるから。なんとか頑張って早く帰っておいでよ」
「わかった。頑張って帰るわ」涙目で答える。
☆ ☆ ☆
家まであと300m。
こういう時に限って道路工事中で片道が封鎖でされている。
憤っているところにカメムシがダッシュボードの奥に姿を消した。
今だ!!!!!!。
今よ!!!!!!。
ほら、青に変わりなさい!!!。
壊れてるんじゃないかと思うくらい簡易信号が長く感じる。
普段は徳川家康なみに信号を待てるのが特技の私だけれど、
今日ばかりは織田信長ばりに「変えて見せよう信号機」と気持ちはあせる。
カメムシの位置も奥に移って変わらない。
信号を無視しようかと思ったが、韻を踏んでいる場合ではないと思い直す。
神さま、初詣どころか、毎月1日と15日もちゃんとお参りに行きますから、信号を何とかしてください.
ついでにカメムシ君をおとなしくさせておいてください、とバーターを持ち出す。
バーター成功。
神さまの気が変わり、信号が変わる。
青になるや否や急発進でスタートしたい気持ちを押さえに押さえつつ、おしとやかに車を出す。
車が揺れないように徐々に加速しながら、急いで帰宅。
すぐに車から降りて、「ついたわよ、みなみ----!!」と携帯で事務連絡。
玄関から飛び出してきた南が「どれどれ」と言いながら、ティッシュを持った右手でカメムシをさっと捕まえて草むらへ逃がす。
カメムシ騒動は一段落つく。
南にお礼を言うと同時に、どっと疲れがでる。
どこから入ったのだろう。
疑問は尽きないが、もうカメムシのことは考えたくないので追及はしない。
カメムシの匂いがからだ中に着いたような感じがするのでシャワーを入念に浴び、無事に家に着くことが一番幸せであることを感じながら、南のおかーさんが入れてくれたコーヒーをありがたくいただく。
カメムシ騒動記はこれでおわりだけれど、ここまで31回もカメムシと連呼している。
画面からカメムシ臭がすると思いますが、なにとぞご容赦ください。