君たちはもう大人の一歩手前なのだからといったかと思えば
まだ子供だからという。
子どもたちはその言われ方に憤慨しているけれど、世間に都合よく「扱われる」のが中高生。
蝶のさなぎと同じで中途半端な時期は、まあそういうこともありますって。
あなたたちは、まだ逃げ場があるのですよ。
☆ ☆ ☆
大人になったらなったで、単に大人になるのではないのです。
「いい大人」のくせにと、「いい大人」でもないのに「いい大人」と定義づけられてしまい逃げ場がなくなってしまいます。
大人とは逃げ場のない人のことをいいます。
待ったなしなのです。
そのいい例が、犯罪を犯したら前科が付きます。
大人はすべて「いい大人」でないと認めてもらえません。
大人はつらいのです。
ピーターパン症候群と揶揄されないためにも、大人の男性が子どもっぽい遊びをするときは、「子どもの心を持った大人」という自由な表現を使って世の目をくらまします。
男性の「いい大人」を薄めるための努力は絶え間ないものです。
「子どもの心をもった女性」は地球にはいません。
だから、女性からしてみれば、「それってなんなん?」って思うのですが………。
それはそれでどこか、かわいらしさもあり「まあいっか」ともなります。
そうでないと、ジブリの映画はこの世に出ませんでした。
そもそも「いい大人」って過去の歴史を見ても孔子と老子くらいなものでしょ。
「いい大人」の生成は無理だってことです。
だいぶ脱線したので、子どもたちに話を戻すと、
子どもたちは、さなぎ時代の混沌としたどうにも整理のつかない精神状態を考慮して、教育に取り組んでもらいたいと思っているでしょう。
成長過程に理屈は通じません。
伝わるのは「想い」と「祈り」だけだと思ったほうがいいでしょう。
しかし、大人というのは、君たちと同じさなぎ時代を通過した折に、同様の苦悩はしたにもかかわらず、それをすっかりさっぱり簡単に忘れているのです。
大人を国会で証人喚問したら、きっと「記憶にございません」と答えますよ。
「いい大人」はこの世にはいないのですから。