私は地球上で一番忙しいの…、と言いたい。
なぜなら……。
レジでずーーーーーーーーーーーっと待っているから。
いや、待たされるているのだ。
マスクの箱1個と500円玉を握りしめて。
☆ ☆ ☆
そう、以前のブログの最後で少しふれた、レジに走りこんだおばちゃんのせいで、「いらいら度」+「むかつき度」が控えめに言って50になっている。
MAXは5だから、いらいら度計は壊れてしまった。。゜句読点も壊れた。
私はレジまであと5歩。いや、4歩。こちらの手にはマスクの箱が1つしかない。
数メートル手前の9時の方向からおばちゃんもレジに近づく。カーゴの上下に食料品いっぱいのカゴ。そして手にもカゴ。
誰がどう見ても、私のレジ。
野球で言うと、10-0のスコアで9回裏2アウトを迎えた状態。
それがなんと逆転されるのだから地球では何が起こるかわからない。
あと一歩でレジという私の目前に無人のカートが滑り込む。
私は何が起こったのかわからずに驚き、びっくりして後ずさる。
おばちゃんは、レジの数歩手前から走ってきて、そのカートを止めるやいなや、素早くカゴをレジの台におろしだす。
レジのおねーさんは無言で、その置かれたカゴの中から商品を事務的に取り出し、バーコードを読みだす。
おいおいおいおいおいおいおいおい。
ねーねーねーねーねーねー。
ちょっとちょっとちょと。
もしもーーーーーーーし。
おねーさん、おばちゃんを注意しなきゃだめでしょ。
それじゃあ、セルフレジと同じだ。
レジを目前に私の意思決定は終わっていた。
朝起きてから昼まで、幾重もの意思決定をこなしてきたのに、少しだけ放棄した時間をつかれた。
油断したとはいえ、その行為は反則だ。若い人たちの言葉で言うと反則すぎる。
大量の御菓子と食料品がバーコードを通っていくのを、手の中の500円玉を握りしめて今年一番の不機嫌度で待つ。
日本シリーズの敗者が勝者の胴上げをベンチで見ている気持ちがわかる。
その間チラチラと横目で私の顔をうかがうおばちゃん。
悪いことをしたのはわかっているのだ。
でも、その顔つきは、「なによあなたのそのふてくされた顔は。カートを滑らしてどこが悪いのよ?どこだかの規約に書いてあるのですか?。ん?。言ってみ?」と言われてるようだった。
「どうでもいいから、財布ぐらい出しておきなさい」と心でつぶやく。
カゴの清算が終わり、さあ支払い。
「ポイントカードがないの」と言い出すおばちゃん。
「今度でいいですよ」と言うレジのおねーさんを「いや、あるはずだから」と制して、しばしバッグの中を探り出すも結局はみつからない。
それからやっと財布を探し出すので、これまた時間がかかる。財布が出てきたかと思うと「おつりのないようにしなきゃね」といいながら小銭を全てカウンターに出して数えだす。
この状況で落ち着いていることができる人が日本中に何人いるだろうか。
世界中で探してもハシビロコウぐらいしか思いつかない。
いったい何が起こっているのか理解不能になった。
この人はヒトなのか、悪魔なのかすらわからない。
現実なのかドッキリなのか。
はたまた何かの「行」をさせられているのか。
こんな「行」なら滝に打たれた方がましだ。冬はいやだけど。
いや、眼の前のことに集中しよう。
こういう場合はどうのような対処が正しいのだろう。
レジのおねーさんが気を聞かせて、もう片方のレジを開くように要請もしない。
基本的に日々生きていられのは奇跡の積み重ねだと思っている私は、このおばちゃんを見て、こんな態度でよくこの歳まで無事に生き延びてこれたものだと心の中で評する。
一矢も報いることもできず、マスクの箱がへこまんばかりに握りしめて病院へと急いだ。
一般的に、人に見られてマズいことをしてはいけませんと、教育されて生きているのだが、このおばさんは人に見られていても堂々と自我を通すので、成す術がない。
この話を聞いていた南が、私を落ち着かせようと思ったのか、私の背中をなでながら
「精神的なうしろめたさがある行為はおやめください。って外の看板と同じ大きさでデカデと書いてほしいですって投書したら」と教えてくれた。
ほーら、そのおばちゃんより、ぜんぜん、南の方が大人ですから。歳くってる割には中1に負けてますから。そのうちにバチか蜂に当たるからなどと、思いつく限りの悪態をついてその後、ロクでもない時間を与えられた私は自分を反省してみる。
こういう人が私に近づいたということは、似たようなことを他人にしていないだろうか。私はそれに気づいていないだけではないか。
「あっ、そうだ。あの時の………!!」というところには決し行きつくわけがない。
「絶対あのおばちゃんが悪いし。誰とでもうまく付き合っていけるなんて妄想よ」と
執着は激しく、たった数分で1年間使い続けた雑巾並みに私の心は汚れていくばかり。
ものおもへば 沢の蛍も わが身より
あくがれいづる 魂かとぞみる - 和泉式部
今の私がこの歌のように沢に行ってもの思いにふけると、私の中から出るのはきれいな蛍のような魂ではなく、きっとゴキブリが這い出してくるのだろう。
イギリスの音楽家、ジョン・アディスンが手がけた名作「遠すぎた橋」のサントラ。リチャード・アッテンボロー監督。レジ事件以来、最近はこの曲がずっと頭のなかで流れています。長尺のこの映画がいいなと思えるようになったのは最近の事です。地図上での位置と多くの大スターが出演していますのでその役割を見分けるのに苦労します。