#1.ひこうき雲('73)
井上陽水、吉田拓郎、かぐや姫……。先行するも少しばて気味のフォークの大御所たちを、70年代に入り第4コーナーの前が開くと同時に、キャラメル・ママにのった荒井由実が最後尾から大外をまくって独走し、音楽におけるゼロ→1を示したアルバム。
そしてユーミンが自ら名づけた「4畳半フォーク」は「ひこうき雲」の彼方に「けれど しあわせ」だったねと葬り去られることになる。
弱冠19歳でこの出来あがったクオリティの高い大人になる前の少女の世界観。いったんは大人たちが持て余したその才能は、ここから半世紀を経ても枯渇することがない。彼女に巣食っているものは何なのだろうか。
♪誰かやさしくわたしの 肩を抱いてくれたら どこまでも遠いところへ 歩いてゆけそう
なんて詞を書ける熟成した少女は何を見て育ったのだろうか。音楽史をひっくり返すようなこのアルバムは、全ての音楽ファンを一度立ち止まらせる。あまりにも深く、あまりにも斬新な切り口な楽曲たちを、成人もしていない少女が聞いたことのない声で作ってしまった。ふらつく声には浅田美代子の「赤い風船」で世の中が慣れていたものの、荒井由実のホーミーに近いとされる説得力のある何かを含んだ声には誰かの毒見が必要だったのだ。だから憧憬までの道のりはすぐにはこなかった。
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、エルビス・プレスリー、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズ、シド・ビシャス、エイミー・ワインハウス、そしてロバート・ジョンソン。
海外では、自分の才能を制御できず、ドラッグや酒におぼれ20代後半で惜しまれながら息絶えるミュージシャンがい多い。
少女は悪魔に魂を売る文化のない日本に生まれたからなのか、50年たったいまも現役。
荒井由実は楽曲作成をプロジェクト化し、セッション・ミュージシャンとともにアルバムを作るという日本における新しい音楽制作のシステムを世に示した。その過程において、才能の塊であったキャラメル・ママのリミッターをはずすこととなる。
日本のトップが集まったバッキングトラックに歌を乗せるなんて相当の覚悟と度胸がないと完成をみない。10代の女の子にこのメンバーを充てるレコード会社の判断力と、それに必死でこたえるも、その苦労を外に見せない彼女の強さがエネルギーとなってアルバムはできていく。そしてキャラメル・ママには楽曲の意図するところをうまく表現できるアレンジ力がある。その表現方法はロックンロールであったり、演歌であったり、ボサノバであったりするのだが、根柢にある「編曲はオシャレでないと」という強いポリシーの強さをメンバーが見事に表現していく。
荒井由実の時代の歌詞には、色や天気、空や雲や海がよく使われている。色と空に関しては1曲目から8曲目までの全ての歌詞に巧みに配されてその使いかたは秀逸。絵画的で色彩豊かな情景描写に欠くことのできないアイテムとして、2枚目以降のアルバムにも有効に使われる。曲の構成にも細やかなセンスが発揮されている。1曲の中で目線を上下させたり、カット割りを変えたり、広がりを見せたりと動画を見ているようだ。このように1曲1曲は徹底して練りあげられクオリティの高い曲作りがなされているのだけれど、アルバムを通すと曲の表情が多様でありながらも、傷つきやすく、うつろいやすく、一歩間違えるとはぐれて消えてしまそうな「はかなさ」を携えている。
松任谷由実は「顔の表情を隠すカイユボットの絵に影響された」と何かのインタビューで答えている。まさにそれである。風景がよく見える彼女の曲には、ミュージックビデオは必要ない。ヘタに作ろうものなら逆に想像力を削いでしまうおそれがある。
雪村いづみはこの曲に振られる。曲が彼女になつかなかった。つかまえたばかりの水族館のイルカのように、楽曲が歌い手を拒否したのだ。雪村いづみがダメなのではなく、荒井由実時代の曲は歌がうますぎると伝わらない。そして宛先不明の郵便のように荒井由実のもとへと帰ってくる。
何よりすごいのはデビュー前の少女が、大御所雪村いづみに16歳の時に書いた曲を提供したこと。そしてデビューアルバムのオープニングに死をあつかった曲を配したこと。死の現実を前に、自分の感情を一切入れずに淡々と写実的に描いた詩は前例がないほど。このアルバムの中では「ひこうき雲」と「空と海の輝きに向けて」が”私”すなわち”I”がないこの手法を取っている。
「あの子の命はひこうき雲」って16歳の女の子がさらっと書くフレーズではない。一歩引いたところから淡々と事実のみを伝えるユーミンの歌詞はその距離感が絶妙だ。ユーミンの声がそう聴こえさせるのかもしれないけれど。アルバム作成の前にプロデューサーの有賀恒夫からビブラートをとるように厳しく言われたそうだが、正解だったと思う。死をあつかった歌にビブラートをかけたら、畳とざぶとんの世界だった日本の音楽を、フローリングのリビングとベッドのあるこじゃれた空間へと引っ張り出すことはそう簡単ではなかっただろう。
②曇り空
サブタイトルに「壊れ物注意」と書きたいほどに、一見、部屋の中でブルーに過ごす少女を描いているように見える。ユーミンの曲はユーミンの声でないとダメなことがよくわかる曲。それこそ4畳半フォークになりがちなのだけれど、おしゃれなアレンジと”二階の窓を開けはなしたら 霧が部屋まで流れてきそう”という吸い込まれそうな情景描写がそうはさせない。彼との約束を天気のせいにしてわざと破ってみる心情は女性ならでは。思春期後期の少し大人の世界を垣間見るも、怖さもあって愛の淵で落ちないように遊んでいる。
しかし”急にやぶってみたくなったの”、”外に出たくなかったの”とその芯は強靭。
”みたくなったの”ってこんな勝手な女子には、郷ひろみが「男の子女の子」を嬉々として歌っているような時代において、男子は全くついていけないだろう。大人でも翻弄されているのではないか。こんな少女は女性経験だけでなく、全方向にいろんな経験を積んだ余裕と遊びがある男性でないと、太刀打ちするのは難しいと思う。彼女は平均台の上の体操選手のようにしっかりと自分をコントロールしているがために、男性にとってはいちばん扱いにくい女性となる。男性諸氏、こんなフラジャイルな女性はそれだけで成立しているほど単純ではないのですよ。少しダイアルを回すと受信できなくなる当時のFENや折れないシャープ・ペンシルのように、その弱さは強さの裏打ちなのだ。それを淡々と語りかけるようにどこか自身がなさそうに歌うユーミン。演奏のプロたちの充実さと、まだプロになりきれないボーカルの不安定さがいいバランスで迫ってくる。
本当は正隆さんはバックコーラスをやってはいけない。あの世から歌っているようにしか聞こえないから。しかしこの曲に限っては、はっきりしない天気、一見弱々しくためらいがちな彼女の感情をよくあらわしていてよくマッチしていると思う。間奏のフルートがカーペンターズっぽくて好感がもてる。
③恋のスーパーパラシューター
ビートルズにもストーンズにもある「いらないでしょ、この歌」というカテゴリーに入る。洋楽によくある「恋の〇〇」のような曲名といい歌詞といい「ひこうき雲」や「ベルベット・イースター」を書いた感性が作ったとは思えない。”赤いレザーのジャンプスーツはわたしの燃えるハートのしるし”って、”落ちていけたら死んでもいいわ”って、何のひねりも恥ずかしげもなくそのままなのだ。あまりにもストレート。あまりにも無邪気。あまりにもど真ん中。普通の10代になってしまい「どうしたユーミン」って思う反面、こんなダメな感じもあるのねって少し安心する。「ファーストアルバムだし、しょうがないね」とあきらめるところもある。「曇り空」で少女のアンバランスな心情を巧みに表現したあのユーミンなの?と疑ってしまう。ユーミンは手あかのついた”スーパー”という言葉は似合わない。これは大人が止めなければいけなかったのでは。跳ねた演奏は”スーパー”いい。
④空と海の輝きに向けて
海をモチーフにした曲が続く。「ひこうき雲」とは反対にこちらは打って変わって門出を称える歌。それをヨットに例える手法は汎用。それを救い、ロッド・スチュアートの「セイリング」と水を開けるのが”月のまなざしが まだ残る空に”という出だしの歌詞と「空と海の輝きに向けて」という曲名のつけ方。
軽いドラムのとこれまたコードを軽く押さえるエレピの音が、夜明け前の静かな波が寄せるハーバーから漕ぎ出そうとするヨットに例えた応援歌がダサくならない。これはもしかして自分自身に送ったものなのかしら?。”おまえは”という大向こうからの言葉の使いかたは中島みゆきっぽくユーミンらしくない。
ここまで前半の4曲ですでに両極端な振れ幅を持つ楽曲たち。
「恋のスーパーパラシューター」からわれを取り戻したユーミンはダークサイドから復活した。
⑤きっと言える
この後に続くミュージシャンたちに影響を与えたであろう心地よいイントロとボッサを下敷きにした編曲の妙。
”南に向かう船のデッキで”、”風がささやく小麦畑で”という前半の歌詞が、後半の”ありきたりな街角”を、日本のありきたりな街角ではなく、受け手の想像力をどこか洒落た街角へと導く組み立ては精緻な時計のムーブメントをのぞいているようだ。スタン・ゲッツやフィル・ウッズを彷彿させる西条孝之介のジャジーなサックスソロもこの仕掛けに一躍かっている。
デビューアルバムにして彼女の緻密さと用意周到さは、彼女の普段の性格からくるものなのだろう。曲は転調の繰り返しが激しく、音程は”好き”という感情の高まりを表して、どんどんと上がっていくばかり。その想いを後押しするかのような、曲名からは想像できないタイトでリズミカルな林立夫の乾いたドラミングはジム・ゴードンを思い出させる。サビの部分などはかなり重たいドラミング。一人だけ海外のミュージシャンが混ざっているかのように独特な細野晴臣のベース、ソウルフルな鈴木茂のギター、どれも超一流のミュージシャンの贅沢なプレイが聴けて嬉しい。
ユーミンがこのアルバムの中で唯一感情をこめて歌う”あなたが好き”というフレーズを次に聞くのは、1981年に発表したアルバム「昨晩お会いしましょう」のラストに収められた「A Happy New Year」まで待たなければならない。
⑥ベルベット・イースター
ここから「雨の街」をまでが、”空”三部作。10代の少女が考えつく曲名ではない。復活祭の朝をモチーフにして、ハイソサエティな生活を垣間見せるセンスが、このあと幾年にもわたり女性たちの感性を引っ張って行くことになる。次の曲名はただの「紙ヒコーキ」なのに、この落差はセンスなのか揺れる乙女心なのだろうか。
小雨の朝を見事に表した変則なピアノのイントロ。弾いてみると左手の短音がずれるタイミングがとても難しい。”まだ眠い”と行ってるので、左手の変則は寝ぼけているところを表現しているのだろうか。
”空がとってもひくい 天使が降りて来そうなほど”
と誰もまねのできない彼女の言葉ははらはらと降ってくる。この後の「雨の街を」でも、感性の爆発は妖精を空からただ降ろすだけでは足りなくて、”静かな街に(町ではない)ささやきながら降りてくる”となる。
⑦紙ヒコーキ
紙ヒコーキという素材は若くないと扱えない期間限定モノだ。公園で私のような高齢者が一人で素のままに紙飛行機を投げて遊ぶととすぐに病院行となる。でもそれが無邪気な少女となると、まさに絵になる詩になる。
スライド・ギターをメインとするフォーキーな演奏はキャラメル・ママの独壇場で、抜けるような空をイメージさせて「紙ヒコーキ」の揚力となる。おそらく細野晴臣のベースのせいだと思うのだが、この曲を聴くたびに私はザ・バンドを思い出す。屋根にものぼるやんちゃさも若気の至り。ユーミンの声は、あたり前だが若く素朴な印象を与えてくれる。
⑧雨の街を
私が大好きな曲の一つ。小雨の朝を彩るピアノのイントロが素敵だ。
ユーミンが印象派の絵画から影響されて、おそらく日本のミュージシャンのほとんどが嫉妬したであろう、その抒情的で絵画的な表現は、松任谷正隆のアレンジでさらに輝きを増す。その逆もまた真なり。竹内まりやと山下達郎夫妻も同様に。松任谷正隆が作るイントロはいつどうやって彼の頭の中に降りてくるのだろうか。一聴して印象に残りかつ美しく完璧なものが多い。その中でも「雨の街を」は代表的なもの。
ミルク色の雨が降る夜明け前に妖精たちがささやきながら降りてきたり、庭に咲いてるコスモスに口づけをして彼の家へ出かけたり、夜明けの空がブドウ色に変わりながら朝を迎えたりと、言葉があふれ出てくるさまが見て取れる。言葉に困らない彼女の詞は安易に英語を使って逃げることがないので好感が持てる。
”垣根の木戸の鍵を空け”に代表されるように、カ行にインパクトがある歌詞だ。ユーミンのボーカルも安定していて秀逸。
⑨返事はいらない
ファースト・シングルのコピーが「シンガー&ソングライター界のスーパーヤングレディ」。それってだれ?ユーミンのことなの?。ティンパン・アレイ、山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子が参加して時代を作ろうという矢先にこのコピー。これでは売れるわけがないでしょ。だから、”スーパー”とか”ヤング”って使い古された言葉は使っちゃダメなんだって。レコード会社も誰もかれもが彼女の才能についていけてない。でも、ほんとにダサい。このコピーはない。ナックのシングル「マイシャローナ」のコピー「待ったぜヒーロー!、やったぜナック!!」と同列で頭を抱える。
ついていけていない理由はもう一つ、歌詞にあるのかもしれない。好きなのに”返事はいらない”という感情は男性にはきっとわからないだろう。いいのよ片想いで。その浮遊したアンバランスな感じを楽しむ年ごろなのだから。大好きな絵画を遠くから見るように、この距離だからこその恋なのだ。天気を”曇り空”に設定したところもこの中途半端な感覚を絶妙に表現している。すぐに直接的に物理的に近づきたがる男性は絶対に返事を要求すること間違いなしなので、理解不能に陥るのだろう。こんな少女の淡いセンシティブな感情を歌にしたのは日本の音楽史上初ではないだろうか。
⑩そのまま
洋楽のようなイントロで始まる。キャロル・キングを彷彿とさせる曲。話し言葉で作られた詞にペダル・スティールがとても感情的で効いている。松任谷正隆が弾くバンジョーがカントリーっぽさを表現していて渋い。アルバム作成中に彼との恋愛が始った影響があるのかと思わせる詞の内容。その熱に浮かれたのか、曲名が仮歌のままっぽくて私にはいただけない。
ピアノ弾き語りのリプライズ。フェイドアウトでこのアルバムは終わる。2枚目を予告するかのように。サブスクの世界では味わえない幕引き。