#2.MISSLIM('74)
「MISS SLIM」という言葉が浮かんだ感性の豊かさ。
「MISS SLIM」を”ミスリム”とコピーに変える感覚の鋭さ。
イヴサン・ローランをまとい、ピアノの前で白黒のジャケットに納まるタイニーな姿。
荒井由実は10代にして何がカッコいいのかを頭もカラダも心もすっかり理解している。
巷ではこの年創刊になる「popeye」が、西海岸の文化やモノを次々と紹介し、若い男の子の消費行動をアメリカのポップ・カルチャーへと導く。
それは実相をともなわないので「カタログ文化」と呼ばれた。
男の子たちは本物がなんなのかを理解できずに、あこがれをオシャレに消化しきれずにいた。
差し出されるものを解釈せずに、そのまままるごと真似してしまう思考は
「丘サーファー」という表現に象徴される。
そんな純な男子たちをしり目に「MISSLIM」は発表される。
ユーミンの感性は西回りでフランスのパリに飛び、伝統と文化を自分の中できちんと答え合わせをしながら消化している横で、アメリカのカルチャーに憧れを持ちそれを国内で消化すべく出口を探し、言い訳にあえぐ同年代の男子を置き去りにする。
そして、このビッグ・アルバムが誕生する。
ファーストアルバムの衝撃後、1年。
彼女の後を追うものはまだいない。
ジャマはどこにもなく、伸び伸びと独走状態にある。
彼女の作る独創的な音楽への評論も、全く追いついけていない。
ファーストアルバム「ひこうき雲」の音楽性について深いところまできちんと理解しているのは彼女のアルバムに携わった周辺だけだったように思う。
☆ ☆ ☆
松任谷由実の著書「ユーミンとフランスの秘密の関係」に彼女が影響を受けたフランス文化の醸成者が下のように記してある。
モードのアイコンは、
ジャクリーン・ケネディやオードリー・ヘップバーン。
音楽は、
シルヴィ・バルタン、ジョニ・アリディ、フランソワーズ・アルディ、ミッシェル・ポルナレフ、セルジュ・ゲンズブール、そしてショパン。
詩では、
そしてエッフェル塔が彼女の創作意欲を押し上げる。
自由の女神も東京タワーもこのリストの前には即物的でかなわない。
☆ ☆ ☆
もともとの育ちが違うところへフランス文化を吸収し下敷きにした彼女の楽曲は、いたるところに印象深く写実的な歌詞をちりばめ、そこへキャッチーで聞いたことのないコード進行とメロディが乗る。
「MISSLIM」は高速で軽くアクセルを踏んだら120㎞オーバーのスピードが出てしまったけれど、その速さを感じさせない安定したシャシーと高性能のエンジンの静かさとレザーに包まれたコックピットが醸し出す外車独特の高級感漂う感覚で走っているようなアルバム。
当時の音楽界が抱えていた既定路線、現状打破という難題の回答を、とても簡単な言葉で絵本のようにしたためた彼女は、当時はまだ異物扱いされていたようだ。少女に負けてなるものかという嫉妬とプライドが先走っていた感もある。
1曲目の「生まれた街」でから、5曲目の「12月の雨」までは、若さが残る女性の心情を雨や風や霧などの空気感を写実的な風景描写を巧みに編み込み表現している。
場面をみてみるとアルバムの半分は街や海がステージで、半分はインドアでストーリーは紡がれる。
海をモチーフにした曲は、1枚目の「ひこうき雲」から8枚目のアルバム「悲しいほどお天気」まで、各々2曲ずつ配置されておりアルバムに広がりを持たせるよいアクセントとなっている。
場面設定の妙と、言葉選びの巧みさと丁寧さは聴くものを安心させる。
☆ ☆ ☆
バックの主なメンバーは、
松任谷正隆 (key)
林立夫 (ds,per)
細野晴臣 (b)
鈴木茂 (g)
斉藤ノブオ (per)。
若き山下達郎がコーラスアレンジを担当した。
はっぴいえんどのサウンドを継承したバックにシュガーベイブの山下達郎・大貫妙子と吉田美奈子といったコーラスが組み合わされた豪華な内容である。
☆ ☆ ☆
イントロのキーボードのリフはどうやって思いついたのだろう。荒井由実の感性がバンドの感性を引っ張りだすのだろうか。そこに細野晴臣の浮遊感のあるベースが重なり、気がつけばアルバムが始まる緊張を脱力へと導いてくれる。気持ちが暖まったところで、発作がおこったかのような激しいフルートの間奏が展開される。デビューして2枚目のアルバムでこのジャジーな清水万紀夫のフルートソロ。アレンジの発想が斬新だ。支えるバックは稀代の才能を見つけてイキイキしていて、どうかすると平均値に収まりそうなこの曲の偏差値をグッとあげている。歌メロにかぶせて、ストリングスのように綺麗なシュガー・ベイブのコーラスの重なりが効果的に曲を彩る。
編曲はジョニ・ミッチェルの「Coyote」にそっくり、と思いきや「Coyote」は1976年発表で「MIsslim」の2年後。なにそれ?、ジョニ・ミッチェルが真似たの?と勘繰るくらいによく似ている。
派手なジャンプはないけれど、スケーティングの表現力が素晴らしいフィギア・スケートの演目のような曲。
②瞳を閉じて
長崎の奈留島にある高校の生徒が、若気の至りというか、無謀なチャレンジというか、成せばなると思ったのか「私達の高校には校歌がないので作ってくれませんか」という願いをラジオのお便りに託すと、ユーミンがそれに驚きながらも軽く応えた楽曲として有名になった。その後、NHKの番組でユーミンはこの島をたずねている。周囲の考え方が固かったのか、なんだったのか理由はわからないけれど、さすがに校歌にはならなかったものの、島の愛唱歌として今でも歌われている。曲を聴くだけで島の海やその風景が鮮やかに浮かぶ。カイユボットを好むユーミンらしい詩になっている。
私には「崖の上のポニョ」のテーマ曲にしか思えない。イントロの単音の連打はリサが軍艦に乗ってるパパとモールスでやり取りをするシーンを思い浮かべる。
歌詞も演奏もたいへん優しい歌なのだけれど、バックのリズムはだんだんと複雑になっていき、素人が演奏はするには難儀しそうだ。
伸びやかな楽器の音のように澄んだきれいなコーラスと、難しいことを淡々とこなす集中力の感じられるリズム隊のまるでライブを聴いているかのような演奏が曲を支えている。
メッセージ・ボトルを海に流すために船を出すという、コストを全く考えない歌詞は育ちのいいユーミンならでは。私なら”雲が晴れた小高い丘”からボトルを投げます。それじゃあ海まで届かないって。
何と言っても”小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた”という出だしの歌詞に尽きる。だれもが思っていても言葉に替えることのできないことをスッと差し出すのがユーミン。カントリータッチのアレンジに応えるバックの演奏の凄さと、心地よいテンポがキャッチーなメロディを名曲へと昇華させていく。スローにもできたはずなのに、よくぞこのテンポに納めたと思う。これ以上遅くても速くても詩の内容が伝わりづらかっただろう。ほぼ同時期にヒットした「岬めぐり」やチューリップの「サボテンの花」もこれに近いリズムだ。
”目にうつる全てのことはメッセージ”とは、ユーミンの本音を表しているのだと思う。きっとこの感性がユーミンの創作を支えているのだろう。
④海を見ていた午後
「MISSLIM」にはどこから湧いてくるのだろうという、新鮮なメロディが溢れ返っていて、これもその中のひとつ。この曲を聴くとなぜだか私は、The Policeの「Every Breath You Take」を思い出してしまう。
「生まれた街で」に似た浮遊感のあるイントロが印象的。恋に破れて後悔している半面、女としての落ち着きを取り戻しているところに時間の経過ががよく伝わってくる。消えゆく恋に想いを寄せるほどの気持ちの揺れを、ふわふわとしたアレンジが盛り上げる。このアルバム後、松任谷正隆の手がけるキャッチーで美しい編曲をティン・パン・アレイのような才能あふれたミュージシャンで磨きをかけるといった手法を取り入れたこじゃれた曲があまた世に出る。そして、それはニューミュージックと呼ばれるようになる。伊勢正三の奥さんである古谷野とも子のラストアルバム「From Inside」がその代表的なものだ。
「海を見ていた午後」の心情は演歌。しかしそこは竜飛岬ではなく神奈川の三浦岬。日本海の荒波にもまれる漁船ではなく、ソーダ水の中に貨物船を通すことで、JーPOPの世界へ。そのあまりにも有名になった”ソーダ水の中を貨物船がとおる 小さなアワも恋のように消えていった”という表現は、ドルフィンの売上に大きく協力した。
⑤12月の雨
音読をするような、母音をひっかけるように歌うボーカルがとても印象的。歌唱力で上手く歌いあげてしまうと台無しになる曲の一つ。鈴木茂のギターワークがとってもおしゃれ。これもユーミンのフランス感覚に引っ張られた結果なのか。”ストーブをつけたら 曇ったガラス窓”の所では、自然と二重窓のある瀟洒な家を想像してしまわせる。”もうあえないくせに”なんて、かわいく乱暴な言葉を吐くのも彼への名残がなせる業なのだろう。
山下達郎の革新的で確信的なコーラス・アレンジが印象深い。ちなみに山下達郎はアルバムのクレジットにバックボーカルとそのアレンジャーとして紹介してあり、完全に「信頼のおける裏方さん」扱いなのが今となっては面白い。
⑥あなただけのもの
ここまでの優しくソフトな印象がガラッと変わり、リトル・フィートをほうふつさせるグルーヴ感満載の曲。それは前半の口直しになりつつも、ユーミンらしく一途でかわいい彼への想いがのった歌詞を輝かせる。曲の作りも演奏も高度で聴かせる1曲として仕上がっている。日本の曲とは思えない編曲を軽々とこなしていくティン・パン・アレイのすごさが満載されている。こんな趣味的なことができるから才能が超越している彼女を支えられるのだろう。ユーミンのためにというより、ティンパン・アレイがやりたかっただけじゃないのかな。
⑦魔法の鏡
独特なイントロ。もともと歌謡曲っぽい歌詞と歌謡曲っぽいメロディ。アイドルに提供した曲をセルフカバーした感じがする。松任谷正隆のマンドリンがそれをきわだたせている。松田聖子と中森明菜がカヴァーするのもわかる気がする。松田聖子のカバーは歌唱力と迫力がすごい。中森明菜は”魔法の鏡を持ってたら”ではなく、魔法が鏡に静かに絡みついていくような黒くすごみのある、彼女独特の歌唱で曲が展開する。明菜に「魔法の鏡」を持たせたら、ユーミンのようにポップい使うのではなく、使いこなしすぎてきっと共倒れになるだろう。
フェンダーローズによるオクターブを多用したイントロがインパクト絶大。後の曲にもオクターブを活用したアレンジが多々あるけ、どどれも好きで、功績の割にあまり語られることはない気がする松任谷正隆のアレンジはどれも面白くておしゃれなのに。
このアルバムで唯一といってもいいほど露骨に歌謡曲っぽいメロディを持った曲だけど、それでもティン・パン・アレーの演奏もあって歌謡曲臭を感じさせない。見事。
⑧たぶんあなたはむかえに来ない
変則的なピアノのイントロで始まるスローバラード。山下達郎らしい女性の声がきれいに聞こえるコーラスアレンジ。ベースがポール・マッカートニーみたいで好き。3枚目のアルバム「COBALT HOUR」の「ルージュの伝言」の続きの曲だと思って聴くとおもしろい。雨にも彼にも”フラれてしまった”というかけ言葉で、かわそうな少女の心情を表している。その割には軽い印象をもつ歌詞。しかし心の中は”激しい雨”。きっとフラれたショックを一生懸命我慢しているのだろう。軽い曲調は、フラれたけれどもほんの少しだけ未来へ向かう気持ちを表現しているように思える。
⑨私のフランソワーズ
ピアノから始まって少しずつバンドサウンドに変わっていき、最後は歌詞に寄り添った見事にアレンジされたストリングスがはいる。ビートルズの「サージェントペパーズ」みたいで好き。
フレンチ・カルチャーからの影響を歌詞の中で表現している。ユーミンのボーカルがファースト・アルバムよりも各段に上手くなっているのがわかる。彼女の努力の跡がみえて好感が持てる。細野晴臣の口数の少ないベースがさみしさを包み込むように優しい。きれいで品がよくてとっても素敵な名曲です。
⑩旅立つ秋
この時代特有のただただ暗く深く落ちていきそうな曲なのだが、ティンパン・アレイのプライドがそれを許さない。こんな歌も歌えるのよというユーミンの歌唱力も聴きどころ。この後のアルバムには華やかさとはかけ離れた、意識に訴えるような優れた佳曲が必ず最後に入っている。エイジングのかかったスニーカーのように、カラダになじんでじわっと身に染みるその楽曲たちを、私は葉巻を愛するチェ・ゲバラのように愛でる。しゃれたアルバムの幕を引くにはふさわしい静かな曲。