南が5年生の時の会話。
「”悲しい”ってなんか足りない気がする」
南が学校から戻ってシャワーを浴び、タオルで髪の毛をふきつつリビングに現れた。
「どういうふうに足りないの?」
おやつの準備をしつつ話相手になる。
「よくわからないけど、野球でいうと1か所しか守れないかんじかな」
「オールラウンダーじゃないってことね。言葉として不完全だって言いたいのね」
おやつのおにぎりと牛乳をお盆に乗せてカウンター越しに南に渡す。
「うーん、だって金魚が死んでも悲しいだし、じいちゃんが死んでも悲しいだし、わかってもらえないことがあっても悲しいで、練習が雨で中止になったら悲しいし、モスラが死んだときも悲しい、お金を落とした時も悲しいですむでしょ。それって悲しいがそれぞれちがうじゃん。そこをいちいち説明しなくてバシッと当てはまる言葉はないんだなって思うよ」
「だったら、うれしいとかもそうじゃないの」
南は肩にタオルをかけたままおにぎりを食べている。そのタオルを取り上げて、濡れたままの頭をゴシゴシと拭く。
「”うれしい”は単純にうれしいでしょ。気持ちが空につきぬけるじゃん。だからそれはいいんだよそれで。悲しいは悲しいの種類によって沈む深さがちがうでしょ。それを悲しいって、ひとつで済ませるのはちがうんじゃないかなって、国語のテストの時間が余ったから考えてたんだ」
「国語のテストのおかげで国語のテストよりも大事なことを考えることができたじゃない。よかったね。でもね、哀しいもあるわよ」
「あー、あるね」
「どうちがうかな?」
ipadを持ち出して調べようとする南を制して、「調べる前になに?」と聞きます。
「まずは、考える」
そうだったなと、思い出して笑顔で答える南。
「すぐに調べる癖はいいけど、まずは考えてみましょうね。ついでに”うれしい”もいろいろな種類があるからあとで考えてみて」
厳しいようだけど、ちょっと考えてみる、咀嚼してみるとこが肝心なところで、将来大きな差になって表れると思うのです。
”哀しい”を南が考えている間に、私は”うれしい”を急いで考えるのであった。