先日、友人の友人の娘さんが(ややこしい)、友人を介して幼稚園に入る子どもの園での過ごし方を聞きたいということで相談にこられました。
お母さんというより、ママという呼び名の方がふさわしい、若くて綺麗でおしゃれなお母さんいや、ママでした。
「方程式のようなものはないですよ。幼稚園では子どもの好きにしたらいいですよ」と答えると、
「幼稚園ではなくて幼保園に入るんです。で、そこで悪い言葉を覚えるでしょ。それがいやなんです」
とママは顔をしかめます。
しかめた顔もまた綺麗なのです。
「悪い言葉ぐらい、生きているとそのうちに覚えますよ。小学生の低学年で悪い言葉はすべて覚えるんじゃないでしょうか。早いうちがいいかもしれませんね」
”早期に悪い言葉を覚える派”になってみます。
「英語は早いうちがいいと言いますが、悪い言葉はちょっとですね……」
「逆だと思いますよ。英語は今でなくても大丈夫ですし、小さい時に獲得した言語スキルは使わないと話せなくなりますから。まずはちゃんとした日本語を獲得した後で、どうしてもとうのであれば英語を習ってもいいと思いますよ。日本語が混乱したまま大人になった例は多いのですよ」
「そうなんですか。でも悪い言葉はちょっと……」
「悪い言葉こそ早く覚えて逆にみんなに教えてあげるとどうですか。この時期でないと悪い言葉の連呼はできませんからね。ち〇ち〇や、う〇こやバカたれなんて叫びながら走り回るのは今のうちですよ。特に男の子はその言葉だけで笑い転げていてみんな楽しそうですよ。それも小学校の低学年までですよ。大人になってもそんなことをやってたらそれこそどこかへ連れて行かれます」
この辺までは私の波長も乱れず、まじめに答えていました。
そう、この後、波長が乱れお見苦しいシーンが登場します。
「いやいや、せっかく丁寧に育てたわが子の過去を踏みにじられるようで嫌なんです」
「過去を踏みにじられる?。他の子が………ですか?」
私もママの真似をして眉間にしわを寄せてみるが、きっとママのように綺麗に見えてはいないでしょう。
波長が少しだけ乱れ始めます。
発想についていけないのは私のせいなのか。
世の中はそのように動きだしているのか。
私の勉強不足なのか。
しばし、混乱します。
幼稚園、いや幼保園のお友だちを、稲に被害を与える害虫のように見ています。
「そんなに心配だったら、幼保園なんかに行かせなくて、おうちで面倒見たらどうですか。義務教育じゃないんだし」
「だめですよ。小さい時から社会性を身につけさせないと。そして、人と比べることを経験させないと、自分が優秀であることがわからないじゃないですか」
私はちょっと帰りたくなった。
なんの罰ゲームなのだろう。
あっ、土曜のお昼をいただいた冷凍チャーハンと冷凍コロッケで手を抜いたからだ。
神さまがそのお返しに私を冷凍しようとしているのだ。
「もう手抜きはしませんから、ママに帰ってもらっていいでしょうか」
と神さまにお願いしてみる。
神さまは私のたっての願いをかなえてはくれるはずもなく、若い綺麗なママは決定的なことを言います。
「目指すところが違うんですよね!!」
あきれる。
あきれ果てる。
あっけにとられる。
言葉を失う。
絶句する。
神さまの罰を受けフリーズする。
ピーッという音とともに私の波長計の波は一直線になりました。
KO負けです。
復活の呪文を唱えたあとに、キチンと論理的に話すべきか。
「そうですよねー」ですませるべきか。
ダウンして悩んでいるところへ、追い打ちの言葉。
「チームのリーダーとして育てたいものですから。その効率的な育て方ってないのかしらと思ってるのです。私は家にいたいのですが、会社からどうしても働いてくれとしつこく言われて、なくなく共働きなんです。平日は忙しいもので……、どうですかね?」
ダウンしているものにパンチをふるってはいけません。
それでも私は根がまじめなので、”けなげに”立ち上がり話を整理してみます。
「話を整理するとこうですか?、将来はリーダーに育てたいという抽象的な願望があられると。それに対してご両親は忙しいので手っ取り早い方法はないかというご相談ですね」
「手っ取り早いと言うか効率的というか。抽象的ではなくて目指すはチームのリーダなんです」
手っ取り早いも効率的もどっちも同じようなものだし、チームのリーダーっていうのは抽象的ってことなんですよと思いながらも、これは相談のレベルではないのでもう終わりにしようと固く自分に言い聞かせて話をはじめます。
「育て方に効率性を持ち出す時点でどうかと思います。仮にそれがあるとしても私はその方法を知りません。私は子どもたちに時間をかけて手をかけて、あるときは突き放して育てることしかできませんでした。
それがよかったかどうかはわかりません。子育ては評価するものではないと思っているからです。
ただ、
人の悪口をささやきながら楽しく生きていく方法ならば、いくらでも話せる
のですが、生まれたときから優秀でいらっしゃる方へ、私のような一般市民がお話しすることはないと思います。私には優秀であることがなんなのかがわかりませんし、わが子やわが孫に優秀であれと思ったこともありません。ましてやチームのリーダーの育て方なんて全く考えたこともありません。
そんな私が軽率にしゃべったことで、せっかく優秀なご子息が道を間違われても困るので、今日の所はこの辺でお引き取り願えますか」
と話して、ママには不本意なままに帰ってもらいました。
親のお仕着せがあっても、子どもへの愛情はなく、
目指すところが違うと言う割には、チームのリーダーが最終目的では夢すらない。
友人に電話で結果を報告をしました。
「これからは、相談の表題だけでなく、ちゃんと話の中身をいったん確認してからにしてくれる」
「私に話したときは幼稚園での過ごし方を聞きたいと言うから紹介したのに、そんなことだったのね。私が叱っておくわ」
「もうそのままにしておきましょう。価値観の落差がモイネロのカーブのように激しすぎて何か言ったからといってこの差は埋まらないと思うから」
「モイネロってなに?、なにがそんなにすごいの?」
「ごめんなさい。モイネロのことはいいですので」
「健やかに育つ可能性はないわね」
「ほんとうに優秀なら勝手に育つものよ」
子どもたちは本当はみんな優秀なのです。
下ネタを言ってげらげら笑いながら走り回っていてもです。
お友だちの過去を踏みにじる子どもなんていません。
ただ、それは大人が自分の欲を子供にかぶせていじりすぎなければの話です。
これが子どもの成長を妨げる最大の要因です。
そして、だれかが悩んでるからと言ってなんにでも頭を突っ込んじゃダメです。
両者の価値観が伴わない事には解決しません。
意見の対立が生じるだけです。
外でいろいろ言ってもわかってくれなかった、としか言われません。
そもそもが、知らない人のグチの相手になるのも嫌です。
今日は疲れたので、あっ、疲れたはうちでは禁句でした。
ともあれ、夕飯は、いただいた冷凍の…………、いや、神さまちゃんと作りますよ。