南が中学校で、
「あなたたちの将来はグローバル化がもっと進むので、英語をしっかりと勉強しておきなさい」
と先生からハッパをかけられたそうだ。
それはそうだけど、そればかりではない。
だけど、教育現場で、グローバル化に向けて英語以外のプログラムが実行されているとは聞いたことがない。
何十年も前から叫ばれている国際化は今やグローバル化と名前を変えたものの、中味は変わらないし、変わっていない。
企業努力でおし進められてきた日本のグローバル化戦略に学校側はどのように対応してきたのだろうか。
教育現場でグローバル化について身に着けるべきスキルの検討がなされていないことは、日本にとって大きな課題であることは間違いないのだけど、何も手は打たれていない。
そこは就職した後で企業によろしくという空気が流れていないだろうか。
どうして、グローバル化への対応が
「英語力のアップ」だけ
という発想に集中するのだろうか。
確かに世界には3.5人に1人が英語圏に住んでいるので、英語は外せないのだとすると、なぜに小学校3年生から高校3年生までの10年間も勉強しても簡単な英会話がおぼつかない日本の英語教育システムを、国は根本から見直そうとしないのだろう。
民間の英会話教室に利益を誘導するために、学校での英語教育プログラムが実践とかけ離れているのだろうかとさえ思われるほどにニーズとの乖離が激しい。
教育を司る人たちは、PDCAを知らないのかな。
日本はこれが正しいと一つ決まってしまうと、唯一無二のものに硬直してしまうことが多く、そこがいいところでもあり弱点でもある。
どうみても今の英語教育がグローバル化に直結するとは思えないし、
グローバル化へ対応する基礎スキルは、学校で習う英語力のアップでは獲得できない。
そんなイージーな話ではないのだ。
グローバル化の場面においては今の英語教育ではなんの武器にもならない。
そこは企業か個人が背負うべき課題となっている。
☆ ☆ ☆
グローバル化への対応を真面目に教えようとするのであれば、地球の隅々まで行きわたって活躍している商社マンに大切なものは何かを聞いた方がいい。
彼らは誤解を恐れる。
真意が伝わらない事にはプロジェクトは正しく走りださないからだ。
そのためには、現地での文化や習慣と日本人の落差を埋めることからはじめる。
赴任した現地では日本から遠ければ遠いほど文化は違う。
ペンギンとフクロウほどの差がある常識や抱えているリスクを地道に埋めて、現地の人たちと共存していかなければならない。
アフリカのある国では言葉を流ちょうにしゃべれることよりも、ハンティングでオスのライオンを仕留めた者の方が信頼を得ることでビジネスは早いそうだ。
となると、会話は通訳に任せて語学の習得よりも狩猟を学ばねばならない。
そのようなスキルの獲得教育をTOYOTAや三菱商事に頼めば喜んで引き受けてくれると思うのだけれど。
アフリカの商社マンに習わずとも、MLBで活躍する日本選手やヨーロッパのクラブに渡るJリーグのサッカー選手たちを見ているとよくわかるが、認められこちらを向かせることはとてもタフなことだ。
スポーツでもビジネスでも、世界で自分を失わないためには、日本の文化にプライドを持ちながら立ち向かっていかなければならない。
グローバル化としてのプログラムを特別に用意をしていなくても、学校で歴史や文化を勉強する価値はそのような意味を内包している。
幼児の英語教育の前に日本語力の強化が必要なのと同様、
グローバル化の前には日本文化をしっかり理解して、
精神のよりどころを確立しておかないと、その落差を埋めることは困難だ。
決して卑屈になってはいけない。
教育の側に立つ人たちはそこを十分に理解しているだろうか。
日本を出た瞬間に、日本文化との落差を瞬時にカバーできる瞬発力と心身のタフさが必要になる想像がつくだろうか。
自国の文化に対するプライドの欠如は
異国に取り込まれてしまう最たる原因だ。
肩をつかまれて喜んでいる、かの国の首相のように。