オシャレにコンプレックッスが見え隠れするとダサくなる。
ブティックの店員やファッション雑誌をまんま真似をしても、あれは売らんがための制服なのだから行き過ぎてしまう。
佐川急便の制服は配達中だからいいのであって。
ファッションをバリっと決めすぎて街の中で浮くのは、前述のように制服っぽくなるか、コンプレックスが表にでてしまい見世物のようになるからだ。
特にアジアの平均的な背格好の男性の行き過ぎたファッションは、いい大人を七五三のように映す。
靴も上着もシャツもパンツも、それぞれのディテールは真実を伝えているのかもしれないが、真実を声高に叫びすぎると下品になる。
真実は上品とは限らないのだ。
そして上品でないものは全て下品なのだ。
さらっとした着崩し方が、ファッションから嫌味を取り去る。
それには基本がわかっていないと崩せない。
なんでも基本が大事なのだと当たり前のことをいうつもりはないのだけど。
靴は大事だ。
スーツに合わせる靴は先がとがっていてはダメだし、ドブの中を歩いたかのように汚れているのはもう絶対に論外である。
悪いけど、毛づくろいをしないネコのようにだらしない生活がカラダの細胞にまでしみ込んでいて、それが打算と一緒に足首からシミとなって靴にまで及んでしまったのではないかと疑ってしまう。
きっと玄関で靴は脱ぎっぱなしだし、部屋やトイレはちらかって汚く根拠のない自信にあふれた抑制の効かない人なのだろうと思いたくなる。
革靴はプレーンなものを選び、ほれぼれするぐらいに磨いて幼児のほっぺたのようにうぶでなめらかな状態を保っていてほしい。
靴磨きの七人の小人が家にいないのであれば、ウイスキーか日本酒をストレートで飲みながら自ら夜に磨くといい。
読書感想文を書けと言われて渋々本を読みだす行為より、何倍も快適なはずだ。
きっと心が洗われるし、たったそれだけで、どれだけその人の印象を変えるだろうか。
だから詐欺師の靴はピカピカなのですたい。