i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

グループLINEをはずれた女子

南たちの中学校では「クラスLINE」というものが存在する。

新しいクラスになった時点で、生徒が任意でLINEグループを作っている。

南はなぜそれが必要なのか理由はわからないと言う。

 

 

「そういえば南君は最初からいなかったわよね」

と左隣の席の女子から急に話を振られ、

なんの話かわからなくきょとんとしている南に

「私LINEからはずれたの」

と彼女は少し南の方にカラダを傾け、小さな声で言った。

 

「LINE上で『ずっと友達だよねー』『〇〇(推しのアイドル)の良さがわからないのは悲しいよね』みたいなどうでもいい個人的なやりとりが深夜まで続いて気持ち悪かったらしいよ」

と21時には眠たくなる南が教えてくれた。

 

 

「家に帰ってまでLINEで話すことないし、用事があれば電話すればいいから」

と普段からSNSに全く興味を示さない面倒くさがり屋の南は、最初からLINEに入っていない理由を彼女に話した。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

「最初はつきあってLINEしてたけど、もうめんどくさくなったの。賞味期限が一日切れたくらいで騒ぐような幼さがグループLINEにはあるでしょ」と彼女は言う。

 

 

「うまいこと言うよね」と南は感心しながら

「おれだけじゃないよ」と言ってLINEに入るのを嫌う数人の男子の名前を出し、

「アイツらも、もたれあうからのを嫌うからね。あっ、一人だけ家の人からLINE禁止と言われているからできないんだけど」と話す南。

 

 

「LINEを公園のベンチかなんかと勘違いしてるのよ、みんな」と彼女は妥協を許さない。

 

 

「連絡網があったほうが便利じゃないの?」と安易に私の考えを南に話すと

「連絡網でおわるわけないじゃん」とあっさり南に否定された。

 

「考えかたや、感じ方を押しつけられる感じがあって、みんな同じ方を向いて、そうだよねーって言うのって気持ち悪くない?。それが毎日なのよ」

と南が彼女の言い分を教えてくれた。

 

 

そして極めつけは

「生きていく力を吸い取られそうでだめだったの。こうやって大人になっちゃダメなんだなって」

と彼女が言う。

 

 

「図々しさからの脱出なんだよ」と野球のグローブにオイルを入れながら南が言う。

「抽象化がうまくなったじゃん。でもどういうこと?」とほめながらたずねる。

 

 

「自分たちがいいと思ったことをみんなもいいなーと思ってるってことだよ。自分の推しのアイドルについて延々と遅くまで盛り上がって、好みを押し付けてきたりするんだって」

 

 

「好きなもの同士でやればいいのにね」

「みんなの前で言いたいんじゃないのかな。そのLINEを辞めた子はブルーノ・マーズが好きだからついていけなかったんじゃ。まあそれだけじゃないけどね」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

ひとりの嗜好や考えかたなど、万人が共有できないものをみんなで共有しようとすると、その輪に入れない人はどんどん孤独になっていく。

 

 

反対に、人が抱えている悩みや不安ならば、みんなで共有することができる。

私もそうなのだが、ひたすら話を聞いてもらうことで心が落ち着いてくる。

みんなに苦しい気持ちを感じてもらっているだけで孤独感は消えていく。

 

困ったことや理不尽に思えていることにしっかりと共感してもらえると、

「この先なんとかなるかな」

と思えるようになるものだ。

 

 

そこには、

おせっかいな答えも

どうしてそうなったの?みたいなヘタな質問も

体育会系のノリでクヨクヨせずにがんばれみたいな叱咤激励も

いらない。

 

 

ことばはいらない。

ただひたすら耳を傾けて共感してくれればいい。

グループLINEは彼女には饒舌すぎたのだろう。

 

 

学校にはたくさんの子どもたちが集まる。

しかし、いざ困った時にそれが仲間として機能するかというと、

なかなか難しいようだ。

 

相づちのきっかけにグループLINEがなれればいいのにと思うが、難しそうだ。

 

 

つながろう、つながろうとすると絆はほどけていくものだから。

 

 

思春期の子どもたちは日々、未来をやりとりしている。

それは幼いがためにとても疲れるものなのだ。

 

 

定年になり未来のやり取りを終えても鬱になる人たちがいる。

これまで会社と言う器を通して社会とつながってきた。

そこでは不満やグチを聞いてくれる仲間がいた。

「何とかなるよね」「ドンマイ」という仲間がいたのだ。

 

 

それが会社を退いた途端に社会と分断される。

それでも不満やグチは減らないどころか増える一方だ。

相づちを打ってくれるものは、

いない。

 

そして病む。

 

 

 

ことばは文字にしろ、しゃべるにしろ不安定で未熟だ。

メールやLINEのやりとりは思いがその通りに伝わらない危険を伴う。

 

 

私も連絡などで仕方なくLINEを使うときがあるが、送信する前にはいつも緊張する。

このブログの公開ボタンを押す際はもっと緊張するけど。

 

 

かといってテレパシーが使えるようになったらなったで厄介だ。

すべて互いのことがお見通しなので心の純粋さが必要になる。

と考えると、とうぶん地球でテレパシーを使う日はこないだろう。

 

 

いやいや、そんな日がきてもらおうものなら、

私が随分と困ることになるのでいりません。