土曜日は朝からお天気が良かったので、
Larry Davisの「Sweet Little Angel」、
Peppermint Harrisのアルバム「Shreveveport Downhome Blues」、
Metersのアルバム「Cabbage Alley」を聴きながらお掃除をした。
お天気と曲がマッチするとがぜんやる気が出てきて、お仕事がはかどる。
大きく開けた窓から入ってくる秋の風が気持ちよい。
こういう日にぴったりであろう、Carpentersの「Now&Then」をガーミンに入れて、ランニングに出てみる。
5分程度走ると公園にさしかかる。
おしゃれで小ぎれいな格好のママが、小さな娘さんに自転車の練習を教えている。
生まれて初めて2輪の自転車に乗るなんて、子も必死ならば親も必死だ。
小学生か、年長さんぐらいのその女の子は、卒業するまで買い替える必要のないような、今の背丈にはとても大きすぎるピンクの自転車を与えられている。
当然すぐにはうまくのれない。
女の子はペダルを漕ぎはじめるや否や、すぐに斜めなり片足をついてしまう。
何度も何度も繰り返しているがうまくいかない。
すると、突然イヤフォン越しにママの怒声が聞こえてきた。
おしゃれママは眉間にしわを寄せて「なんでできないの!!!!。#$&%@#¥%$」
と怒鳴りちらしている。
女の子同様、私も心がシュンと折れる。
世が世なので、虐待とみなされて通報されてもおかしくないレベルの怒りようだ。
いつも孫たちに「ひとのせいに100%しないのよ」
と教えている私でも、これは悪いのは子供ではなく、非は自転車の乗り方をきちんと教えることが出来ないママに100%あると断言する。
そう、物事には例外もあるのよ。
誰が何と言おうと100%ママのせい。
信号待ちの車に、後ろから追突した車のドライバーの過失度合いと同じ。
子供はいつの日かは自転車に乗れるようになる。
なぜにそんな風に激しく怒る必要があるのだろうか。
パパは承知の上なんだろうか。
セミが羽化後、数時間すれば飛びたてるように、
「練習したけれど才能がないのか自転車に乗ることはかなわなかったんだよ」なんて話は聞いたことがない。
逆上がりより、オムレツを卵でまとめることより簡単なスキルだ。
柿の葉寿司を作ることのほうが断然、絶対、間違いなく難儀である。
私だけかもしれないけれど。
自転車練習中に親が怒鳴っている光景を見るのは、私も初めてではない。
お友達からも同様の話を何度か聞いたことがある。
“自転車練習中に子どもを怒鳴ってはいけない法”の制定が必要だと思う。
怒鳴った人は1週間、小学校の登下校時に見守りとして旗を持って立つこと。
そして、現役をリタイアした人たちを中心に“自転車練習見回り隊”を町内で作らなければならない。
特に土日の公園では案件が多発するので、多忙を極める。
気弱そうなパパが豹変しているときは注意が必要だ。
うかつに近づこうものなら逆切れされてしまい、私のような小心者はそのショックを寝る前のベッドまで引きずり込むことになる。
そして、”今日の自転車練習ブチ切れ件数”として、夕方のニュースで発表するのだ。
今週はお天気に比例して、ブチ切れ件数も着実に伸びていますといった具合に。
そして「このまま年末を迎えるのは危険ですね」と最後にキャスターが眉をひそめて意見をする。
こんな自転車の練習は子供にとっては悲劇でしかない。
しかし、そのゆがんだ光景を日本から失くすすべがある。
すぐに乗れない理由ははっきりしている。
生まれてこのかた足の着く安定した3輪車だった世界から、2輪の不安定な世界へ身を投じるにあたっての配慮がないからだと思う。
そんなときに、足が地面につかないビッグ・インチの自転車で練習してはいけない。
不安定な世界の中、転倒の恐怖でうまくいかないのだ。
まだブレーキとは心が通っていないので友達にはなれない。
足が地面につくペダルの高さこそが、ネジザウルスのように子供たちを救う唯一、信頼のギアとなる。
乗れるはずのない未知の乗り物に、危機を回避するスキルがつたないとなるとどうだろうか。
私はとても怖くて仕方がない。
幽霊屋敷に1人で放り込まれる方がまだましだ。
いや、やっぱり両方イヤです。
自転車も安く買えるようになったので、小学校の時代を1台の自転車で済ませようとせずに、まずは両足の着く自転車を買い与えることだ。
あまり大きな自転車を最初に与えると、危険時にスムーズな対応が取れず、危険回避ができなくて転ぶリスクも大きくなる。
さあそして、いよいよ練習内容に入る。
心を安定させるために、親も子もいつかは乗れるようになると安らかな気持ちで練習に入ること。
バク転が一生出来なかった話ならそこいらじゅうにたくさんある。
そうではないので、とにかく親が落ち着くこと。
次にまずはペダルが邪魔になるので外して(できれば購入時に外してもらっておく)、地面を蹴って自転車を進ませることで2輪のバランスを覚えること。
そのうちバランスが取れるようになったら、そこでペダルを装着してこぎ方を覚える。
以上で、いとも簡単に乗れるようになる。
明治時代から日本人は自転車に乗っているのに、乗り初めの練習はなぜこんな遠回りをするのだろうか。
当時の自転車はペダルがなくて足で蹴っていたようだ。
原点回帰が子供の悲劇を救い、大人のストレスを軽減する。
南の場合は2歳前のよちよち歩きの頃から、おとーさんがどこからか買ってきたストライダーなるキックバイクに乗っていた。
これは自転車の原点に戻った乗り物だ。
その後3歳になってからは卒園まで、家族で毎週のようにレースに出かけていくようになった。
私は3輪車の後ろについている長い棒をおしながら、南と日向ぼっこをするのが夢だったのだけれど……。
南はストライダーで2輪のバランス感覚を獲得していたので、3歳の誕生日に買ってもらった小さいサイズの自転車の補助輪を外し、またいだと同時に乗りはじめた。
ストライダーにはブレーキがなく足を地面にこすってブレーキングする。
自転車のブレーキング技術と注意事項だけはおとーさんから習っていた。
砂のあるところで前輪だけにブレーキをかけると転ぶんだよとなどなど。
南が優れているのではない。
ストライダーなる乗り物は蹴って推進力を得るので、当然両足は地面についていなければならない。
ぴょこぴょこと蹴っているうちにバランス感覚を獲得し、誰でも何の努力もなしに自然と両足を離して2輪で走れるようになる。
ベビーカーを降りたら三輪車というレギュラーな発想は、これからはもうないのかもしれない。
ちまたの公園では三輪車よりもキックバイク率の方が高くなってきた気がする。
栄枯衰勢の法則はこんなところにまで。
あんなに強かったソフトバンクが2年続けて覇権を逃し、あんなに美しかったバルセロナがUEFAチャンピオンズリーグの予選であえなく敗退したように。
用事玩具の絶対的王者、永久欠番の三輪車にさえ、こうやって存亡の危機が訪れるのだ。
栄華を極めたものは朽ちていく運命にあるということを忘れてはならない。