私のおじいさんは、いや、おじいさんという言葉は似合わないので、みんなが読んでいた呼称でじーちゃんと呼ぶ。
これはじーちゃんが一度死んだときにあの世で体験した物語。
じーちゃんは40代のころ、オートバイで仕事先へ急いでいたら、赤信号で止まっている車が並んでいるその隙間を縫って、わき道に入ろうとするワゴン車が突然目の前に出てきた。
じーちゃんはワゴン車の後部にノーブレーキで突っ込み、その勢いで車の上を飛び越えて反対の車道に落ちた。
一回転して受け身を取り、そのまますくっと立ち上がり「なにやってんだおまえー」と叫んでばたっと倒れた。
当時はヘルメット着用義務がなかったので、頭を強く打ったじーちゃんは病院に運ばれた。
意識が戻らず危険な状態が半日続き、先生がご臨終ですと静かに言ったことを幼心に覚えている。
その数分後にじーちゃんはパチッと目を開ける。
驚いてばーちゃんが手を握る。
じーちゃんはしかめっ面をしながら、頭が痛いといって手を離そうとする。
興奮してそれを許さないばーちゃん。
その後、じーちゃんは回復が早く2週間で退院した。
退院後にじーちゃんから聞いた話はこうだ。
観音菩薩が(じーちゃん呼び捨てはやめなさい)、「お前を迎えに来た」と手を差し伸べて、蓮の花を見せに連れていてくれた。
道中、話をしていると「観音菩薩は、長くて言いにくいからこれから観音でいいか」と聞くと、ボディーガードの持国天と言うヤツが、横からしゃしゃりでてきて「観音様にその口のきき方はないだろう」とえらそうに言うので、「やかましーオレはこいつの何物でもない、何と呼ぼうと勝手だろうが」と言い返した。
観音はさすがにできていて、「まあいーじゃないか」と天(省略しないで持国天さまと言いなさい)をたしなめ、ずっと死んでるんだから急ぐこともないし、お互いめったに会えないだろうから、蓮の花の上で酒でも飲もうと提案した。
観音が天に酒を用意させたのだが、あいつはわかってないね、紙コップをもってきた。それで天に
「お前な、そんな味気ないもので酒は飲めないだろう。ちゃんとした器を持って来い」と怒った。
天はぶつくさぶつくさ言いながらも、観音にうながされて上等な酒器を調達してきた。
観音が熱燗がいいかと聞くので「おまえたち本当になにもわかってないな」とあきれて空を仰いだ。
天が一歩前に出て何か言いたげだったが、それを観音が制した。
「酒は日本酒だろうがウイスキーだろうが、生で飲むんだよ。そのままで飲まないと味が変わるだろうが」と観音に説教を垂れた。
あんまり怒ると酒ががまずくなるので、怒るのもその辺でやめて、花札をしながら酒を交わすことにした。
花札は、天が圧倒的にヘタで、役の名前もロクに知らないで、教えた”猪鹿蝶”ばかりそろえようとするから負けが込む。
次に下手なのが観音。
酒の強さもその順番。
天は花札で負けるたびに酒を飲ませたから、早い時分にふらふらになりすぐに寝てしまった。
天が寝てからは観音とサシで勝負した。
観音は負け続け、その都度酒を飲ませた。
だんだんと酔いが回ってくるにつけ、観音はグチっぽくなってきた。
阿弥陀は人使いが荒いだの、休みがないだの、しまいには観音をやめて明王に戻ろうかと思う、なんてことまで言い出した。
オレは「そのうちいいこともあるだろうから、もう少し頑張ってみたらどうか」と、蓮の花の上から池に乗り出して吐き続ける観音の背中をさすりながら励ました。
吐くものが無くなると、口から出てくるものはさらなるグチしかなくて、そのうち話しつかれて観音も寝てしまった。
なんだこいつらは、仏のくせにつき合い悪いな、と思いながら蓮の花の上から小魚の群れを眺めながらオレは1人で酒を飲んでいた。
そのうち寝てしまい、目が覚めたらお前たちがいたんだ。
ばーちゃんが驚いて手を握って揺するから、二日酔いの頭がたいそう痛かったんだぞ。
と、このファンクな体験をサラッと話してくれた。
私はこの話が好きで、じーちゃんにねだって何度も話をしてもらったものだ。
じーちゃんが亡くなった時は臨終の場で、ばーちゃんが
「今度は観音さまに失礼のないようにね」
と送る言葉をかけていた。
じーちゃんもじーちゃんなら、ばーちゃんもばーちゃん。
このじーちゃんにして、このばーちゃんだったんだね。