人になにかをあげた場合、
相手がそれをどう使おうと期待を持ったり、指示してはいけない。
ましてや「このあいだあげたあれどう?」などとしつこく掘り返してもいけない。
食べ物などを差し上げた場合などもってのほかだ。
「おいしかったでしょ?」
「おいしかったです」
普通の相手はこう返すしかない。
そして困ったことに、私はしばしば後者の立場に立たされることがある。
ここ数年、我が家に焼き芋を買って持ってきてくださるかたがいる。
彼女は焼き芋のシーズンに突入すると、2週間に一度袋いっぱいに入ったホクホクの焼き芋を、「これおいしのよ。焼きいもがお嫌いな人はいないから」と焼き芋よりもいっぱいの笑顔で届けてくれる。
「この間の焼き芋おいしかったでしょ」
「あっ、はい。おいしくいただきました!!」
「でしょー、あそこのはおいしいのよ。また今度持ってくるわね」
「あの、もうよろしいですよ。毎回毎回もうしわけないので、お金をお支払します」
「いーのよ、私も好きで買いに行くんだから。いーのいーの」って
よくはない。
この会話の繰り返しで数年経ち、今年も無策のままに、私はひきつった笑顔を玄関先で世の中にさらしながら、運転席から手を振りながら帰る彼女の車を3度見送った。
そこで白状すると、私の家のものは焼き芋を得意としておらず、一度ならばなんとか食べ終えるのだが、月に2回の焼き芋はなかなか厳しく、ごめんなさいと言いながら、そっとお隣におすそ分けをしたりする。
さらには、お返しの品物とそのタイミングを推しはかるのにも結構苦労する。
もらうたびにお返しをしていると、わざとらしくなり相手も嫌がることだろう。
押しつけがましくもなく振舞うタイミングが難しい。
焼き芋のお返しは高価すぎても相手の負担になってクリアすべき難題は山積みだ。
そもそも焼き芋って、頂き物=お返しという公式にはそぐわない立ち位置である。
我が家では喧々諤々の議論が繰り広げられるも、「シン・ゴジラ」へ繰り出す自衛隊のミサイル攻撃のように有効な戦略が見当たらない。
そんなおり、話を聞いていた孫の南が
「ばーばは、焼き芋を食べると”いも痔”になるから無理ですって言えば」と脱線の口火を切った。
「あー、それがいいんじゃない。うちの女子はおかーさんも”いも痔”になりますっていえばいーよ」とおとーさんも調子にに乗る。
「で、ついでにおならも止まらなくなって、飛んでいきそうになるので、焼き芋の差し入れはおやめくださいって話せばわかってくれるよ」さらに調子に乗る南。
「焼き芋を食べ始めてから、おかーさんが回転ドアから出られなくなりましたとかは」
「いいね、いいねー、あと、ばーばが栓抜きと指ぬきの区別がつかなくなりましたからって」二人は交互に勢いづき、「それもいいねー、ぎゃははは」と大笑いで楽しそう。
「ばーばも私も”いも痔”でもないし、”いぼ痔”でもありません。仮にいぼ痔になったとしてもレディのそのようなことを他人に話すものではありません」
と、いつまでも妄想が止まらない二人の間におかーさんが割って入る。
「えっ、おかーさんいぼ痔なの?」南は笑いこけていて話を聞いていない。
「だから、仮にっていってるでしょ。そしておならもとまらなくなったり、飛んでいったりもしません。回転ドアからも出れないほど太ってないし、どちかというと細いほうだし、ばーばも栓抜きと指ぬきがわからなくなってませんし、もともとボケてはいませんから!!。おとーさんもまじめに考えてよね」
いくらおかーさんに怒られても、男子チームには危機感は皆無である。
「じゃあ、芋アレルギーになっておかーさんのおっぱいが減ったことにしたら」おとーさんもやめません。
「いもを食べると人の悪口を言うようになりましたというのはどう?」南も続きます。
「おっぱいはもともとないし、人の悪口は芋を食べなくても言います!!」
おかーさん気を確かに。
来年も我が家に焼き芋が途切れることは
きっとない。