i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

観葉植物も子どもも、ほめると育ちかたがちがいます ~ 私にもね

リビングの天井に届きそうな背の高い観葉植物の一つが枯れてしまいました。

13年の間、家族を癒してくれました。

 

 

購入先のお花屋さんに電話で相談すると、女性のオーナーが

「ある程度バッサリ切って新芽が出てきたら大丈夫ですが、出てこないときはあきらめてください」

とあたりまえのように元気な声でアッサリと言われました。

 

 

バッサリってどのくらいだろうと思い、スマホで写真を撮ってお花屋さんをたずねて行きました。

 

すると「茎の真ん中くらいで切りましょうか」

と衝撃的な答えがニコニコ顔とともに返ってきました。

 

「真ん中って人間で言うおへそのあたりですよ。胴体真っ二つで大丈夫なんですか」

マジックショーじゃないんだから、と元気な観葉植物の下でうろたえていると

 

「そうです、おそらく大丈夫ですよ。ダメなときはあきらめましょう」

一歩前に出て背筋を伸ばしてニコニコしながらそう言われると

「ハイ、そうなんですね」と小さく返すしかありません。

 

宮沢賢治が生きていたら「あきらめのいいお花屋さん」という小説を書くでしょう。

 

何度も何度も切る場所を確認して、

「ごめんね。痛いね。痛いね。元気になってね」

と言いながら、麻酔なしで思い切ってカットしました。

 

カット後はどうみても、”終わったな”という姿になりました。

こんな姿から劇的な復活を想像するなんてことはムリです。

 

 

ペットが飼い主に似るように、私に似てきたなと思いながら、

やっぱり切るんじゃなかったかなと少し後悔して、覚悟をしました。

 

 

そして夕方になり家族が帰宅してきます。

口をつく言葉はみな同じです。

「どうしてこうなったの?」

 

そして

「なにしてんの? ばーば」

と口調は明らかに私を責めています。

 

 

だから、必死に言い訳をします。

責任は、”あきらめのいいお花屋さん”にあることを。

 

言い訳をしていると、

「水を上げる時に声をかけてあげてください。復活するかしないかはそれ次第かもしれません」

と最後に言われたことを思い出しみんなに伝えました。

 

すると、

「海に沈めて芹沢博士に原子爆弾を浴びせてもらったら復活するんじゃ」

と、ゴジラのフィギアを眺めながらおちゃらけていた南が、水やり係をかってでました。

 

「南はやさしいのでうってつけね」

とおかーさんやおとーさんにおだてられたからでしょう。

 

毎日毎日、小学3年生の南は声を掛けながら水を与えます。

他の観葉植物には見向きもしません。

水もあげません。

 

「おはよ。今日は元気そうだね」

「ただいま。一日どうだった?」

「うちの観葉植物の中で一番かわいいね」

「はやく元気になってね」

「これは富士山のおいしい水だよ」

本当にしゃべれるのかと思うくらいに小さな声でほめまくります。

 

 

するとどうでしょう。

 

2週間もすると新芽が出てきたのです。

3つも。

鮮やかな緑です。

 

南は喜んで今までにも増して声をかけ始めます。

「新芽はちっちゃいね。がんばってね」

「大きくなってね」

「緑色がきれいだね」

「もうだいじょうぶだね」

 

ひと月もすると、ふさふさに葉が茂りだしました。

宮沢賢治が生きていたら「伐採ニモマケズ」という詩集を出すでしょう。

 

植物もほめられるとうれしいようです。

伸び方が違います。

半年もすると葉もたくさん茂り、切ったところはもう伸びませんがその横から枝も数本出てき見栄えのバランスもよくなりました。

 

植物の生命力を目の当たりにして、お花屋さんの眼力に感心したところです。

オーナーにお礼かたがたお店をたずねると

「ね、大丈夫だったでしょ。よかったですね」

植え替えの手を止めて額の汗をぬぐいながらニコニコ顔で教えてくれました。

 

 

 

 

おとーさんとおかーさんとで

「南もいい経験でしたね。もっとほめてあげるようにしましょう」

と話しました。

 

 

それもいいけど

私にもね。

まだちょっと育ちますんで。