南のクラスは中1も終わりかけという中で、男女ともにとても自由が過ぎるらしく、
担任の先生から「自由とは?」という問いを土日で考えてくるように宿題が出たそうです。
帰宅するなり説明もおろそかに
「ばーばはどう思う?」と意見を求められます。
「アナタはどう思うの?。人に意見を聞く時は、まず自分の意見からよ」
おにぎりの準備をしながら南の意見を促します。
☆ ☆ ☆
「行動を制限する枠が決まっていて、その枠の大きさに賛成できたときかな」
「へーっ、なかなか深く考えているのね」
たいそう驚きます。
「ばーばはどう?」
「私はね、お尻が決まっていない事だと思うわ」
「お尻ってなに?」
「やりたいことの期限がきまっていないことではないことかな」
「だったら、生きてることは自由じゃないんだね」
と南に返されました。
そういえばそうかもと思いながら、
「あなたの枠理論で行くと、人間はカラダという枠の中で不自由なのかもしれないわね」
「いや、そのカラダでいいですって納得して生まれてくるから自由だよ。でも、ばーばのいう期限でいうと寿命があるから自由ではないってことかな」
幼児期に生前記憶があった南らしい言葉です。
☆ ☆ ☆
「コータはね親が寝静まったら自由らしいよ」
南がおにぎりのお皿を片付けながら突然話を変えます。
私は中1でもまだまだ話が突然飛ぶのねと思いながら
「おそくまでゲームができるからでしょ」とたずねます。
「そうなんだけど、それはそれ。人それぞれなんだから別にいいんだよ」
「そんな自由の答えでいいの?」
「いいんだよ、それまではちゃんと勉強してる姿をみせてるんだって」
「戦略的なのね」
「そうだよ。自由を獲得するためには努力と闘いが必要だって言ってた」
「男の子らしい意見ね。それならばゲームをしていても大丈夫かもね」
「ぜんぜん大丈夫ではないよ。あいつ授業中寝たりするから、自由も程度問題だってみんなで話している。だから枠が大事なんだって」
そうか、南が汎用的な答えを準備していることに感心しました。
おとーさんが帰宅したところに、南が同じ話をすると
「いつも本を読んでいるからだね。すごいね南、次はなんの本がいいかな」
と言われたようです。
南は「自由を失った」と嘆いていました。